老婦人
町へと着くとあの介護用品専門店へと向かった。もう昼近いのに、ほとんどの店はシャッターが下りていた。以前よりさらに閉店した店は増えたかもしれない。雨が降ったせいか町に人はほとんどいなかった。たまに生活雑貨や食品を入れた買い物袋を持った老人とすれ違うくらいだ。そんなアーケード内を夕子を連れて介護用品店を目指して歩いた。しばらく歩いてたが、どういうわけか通り過ぎたように感じられ、またもと来た道を戻る。店を見失わないように注意深く歩いた。
店を見つけると、どうりで見失うわけだと思った。介護用品専門店にもシャッターが下り、他の閉店した店と同様にアーケード街の風景の一部として溶け込んでいた。そのシャッターには張り紙がしてあり「永い間ご利用いただきまして、ありがとうございます」と書かれていた。私はその文字を見て呆気に取られた。
「閉店ですか。困りますわよね」と、この私と同じくこの店に用があったのか、買い物袋を持った老婦人が歩いてきて私に言った。
「ええ、困りました」私は簡潔に同調して答える。
「何を買いにいらしたの」
「いえ、ちょっとこの子の点検を」と言い、老婦人の顔を見た。それはどこかで見た顔だった。
「失礼ですが以前、お会いになりましたか。何か貴女の顔に見覚えがあるのですが」
「いえ、お会いしたのは始めてだと思います。それとも私、口説かれていますか。今度すれ違った時に手巾でも落とそうかしら」そう言って微笑み「この店がなくなると困りますわ。隣町までは遠いし、病院の商品は値段が高めですから。そうは言っても閉店してしまったらどちらかにするしかないのでしょうね。そうそう、その子、以前この店で売られていましたよね」と言い、夕子に向かって「人の良さそうな方に買ってもらってよかったわね。口説き文句が少し古典的だけど」
その言葉に夕子は軽くお辞儀をした。
私は老婦人の言葉に年甲斐も無く少々照れを感じながら「どこかアンドロイドの点検をできるところはないでしょうか」と言った。
「この頃はどこも閉店しましてね。昔は斜長石採掘用のアンドロイドが多くいたので工場も多かったのですけど。今はもうどこも閉店しています。発売元へ問い合わせるのが一番だと思いますわ。それにしても、この子、どこか悪いの」
夕子が老婦人の声に反応する前に私は「いえ、定期検査ですよ」と言った。
何故だか夕子の欠陥を言うのが憚られた。
老婦人は「そう、それでは」と言い、もと来た道を帰っていった。
見送った後姿を見て老婦人をどこで見たのか思い出した。確か夏にバス停のベンチに座って白い日傘を持ち鼻唄を歌っていた人だ。あの時、私は彼女は地球へ帰る人だと思っていた。だが彼女はまだ残るつもりらしい。今の彼女に地球に行く気配を感じなかった。もしかしたら私と同様に残りの人生、月で過ごそうとしているのかもしれない。彼女はおそらく一生の大半をここで過ごし、たとえ住み難くとも、ここ以外に自分の居場所を求められないのだろう。私と同じく残りの人生をここで終えるにしても理由が違うように感じられた。ここに残る大半の人はそうだ。私は場違いな人間だろうか。例えそうだとしても全然構わないが。
○
夕子の調子も私の名を思い出してから落ち着いているようだった。
買い物をすませ、家に戻ると久しぶりにネットに繋いだ。様々なニュースがネット上に提示されていた。私は世捨て人ではないがそれに近い生活を送っている。自分とは違った時間の流れのようなものが垣間見れた。太陽系外に新天地を見つけそこに向かう人類の船は着実に完成に近づいている。その船を動かすための木星資源の供給も十分に補われそうだった。世の中は進んでいる。私に一向に構わず。人類はまだ若く、あらゆる方向に向かって全力で伸びてゆく樹のようなものに思えた。深く地中に根を張り巡らし、空に向かってどこまでも枝を伸ばしてゆく。私はその樹にあった一枚の葉だ。月はその葉をつけた枝。もうどちらも枯れ果て地に落ちようとしている。その枝葉を見ているものはいない。
私はニュースを見終わると大東亜工業のサイトに繋いで問い合わせに夕子の型と欠陥の症状をできる限り詳しく書いて送った。数分も経たない内に問い合わせから返信が来た。
「現在、お客様の商品のサポートは行われておりません。直営店の修理サービスも行われていない型です。修復には製品の初期化をおすすめ致します」
その後には新製品の広告がどっさりと添付してあった。怒りを感じてネットを切り、ノートパソコンを閉じた。夕子がいつもと変わらず珈琲を持ってきた。私はそれを一口飲むと言った。
「歌を歌ってくれないか。もし嫌なら止めてくれ」
目を瞑り、大きく深呼吸をし、怒りをほぐした。
私の要望に夕子はあの歌手の歌を歌いだす。
私の人生を振り返ってみる。人生で美しいものにいくつも出会ったし、それを私なりに解釈して文章にして人に読んでもらっていた。しかし、今現在、振り返ってみて、その中で本当に自分の心に残っているものを数えた時、それはたったの五、六個くらいしかない。子供に玩具を多く与えても五、六個を大事にするばかりで他はぞんざいに扱うらしい。結局、人は大きくなっても年老いても本当に大切なものは五、六個しか心の中に残らないのだ。この歌は私の人生に於いてこの五、六個の内の一つとして心に残るものだ。この歌を作った歌手は全ての存在を消して、ただこの歌だけの存在になって私の前にいる。それはまるで何万光年離れて尚、光り輝く星のように私の心に響いた。彼女の光がこの歌に宿っている。
初期化と簡単に言ってきた販売元に腹が立つ。これを消せというのか。夕子の記憶を消せというのか。できるわけがない。