どうやら帝国最強の魔導卿は可愛いトカゲにもなれるようです
トボトボと、力なく廊下を歩くミラ。
豪華な装飾の柱も、磨き抜かれた床も、今の彼女にはまったく嬉しくなかった。
「はぁ……。出られない、帰れない、監禁決定……」
ぶつぶつと呟きながら歩いていたミラは、突き当たりの円形の広場に差しかかって、ふと足を止めた。
そこは高い窓から柔らかな陽光が差し込み、床に丸い光を落としている、妙に落ち着く場所だった。
そして、その陽だまりの中心に――
「……ん?」
大きな、雲みたいにふかふかなクッションの上で、一匹の不思議な生き物が丸まっていた。
「何か可愛いけど……トカゲ……?」
手のひら二つ分くらいの大きさ。
真珠色に輝く鱗を持った、小さな龍のような生き物だった。
ミラがそっと近づくと、その生き物は片目だけを薄く開けてこちらを見る。
だが、特に警戒する様子もなく、また重たそうに瞼を閉じた。
「……あ、無視された」
ミラは思わず苦笑した。
「まあ、いいか。……ちょっとだけ、失礼しますね」
そろそろとしゃがみ込み、指先でその鱗をつつく。
「わぁ……ツルツルしてる。すごい、なめらか……」
見た目は硬そうなのに、表面は驚くほど滑らかだった。
職人の性が疼く。
「私の魔導糸より滑りがいいかも……。この鱗、削ったらどんな光沢になるんだろう」
危険な感想を漏らしつつも、ミラはすっかりその触り心地に魅了されていた。
小さな龍の隣に、ちょこんと腰を下ろす。
「君、会ったことある? 何か、すごく既視感あるんだけど……」
もちろん返事はない。
けれど、その静かな魔力の拍動が妙に心地よかった。
逃げ回って、叫んで、頭を使って、最後には完全に丸め込まれて。
――ミラの体力は、もう限界だった。
「……少しだけ、おやすみなさい、トカゲさん……」
陽だまりの暖かさと、隣の生き物が持つ微かな魔力に誘われるように、ミラはクッションに身を預けた。
そのまま、あっという間に深い眠りへ落ちていく。
――その直後。
小さな龍が、ゆっくりと身を震わせた。
ミラが寝ぼけて腕を回した瞬間、龍の身体が音もなく膨れ上がる。
手のひらサイズだったそれは、中型の猟犬ほどの大きさへと変わり、眠るミラを包み込むように翼を広げた。
外敵から守る壁のように。
そして満足げに鼻を鳴らし、ミラの頭に触れるか触れないかの距離に顔を寄せ、静かに目を閉じる。
その瞳の色は――
ついさっきまでミラを追い詰めていた、あの魔導卿と同じ鮮やかな紫色だった。
◇
「……んぅ……。あ、よく寝た……」
ミラは何か温かくて硬いものに頬をすり寄せながら、ぼんやりと目を開けた。
「……やっぱり、いい素材ウロコの隣は安眠できるなぁ……」
半分寝ぼけたまま呟いて、ふと違和感に気づく。
頬に触れているのは、真珠色の鱗ではない。
最高級の、なめらかな漆黒のシルクだ。
「……ん?」
規則正しく刻まれる心臓の音。
包み込むような体温。
恐る恐る顔を上げると――そこにミニ龍の姿はなく、自分を抱き枕のように腕の中へ収めたゼノスがいた。
「……あぁ〜。やっぱり」
ミラは驚くより先に、遠い目をした。
「……可愛いトカゲさん、ゼノス様の関係者でしたか……」
「関係者、か」
ゼノスはくすりと笑う。
「惜しいね。かなり近いけれど」
「惜しいんですか」
逃げても無駄、隠れても無駄。
指輪には二十四時間監視の術式つき。
そして今、自分は当然のようにこの男の腕の中に回収されている。
――もう、今の自分にできる抵抗など、この腕の中から這い出すことくらいだ。
「……おはよう、ミラ」
ゼノスは幸福そのものみたいな声で囁いた。
「僕の腕の中は、そんなに居心地が良かったかな?」
「トカゲさんの隣だと思って油断して寝ました」
「なるほど。では次からは、最初から僕の隣で眠るといい」
「飛躍がすごい」
ゼノスの指先が、ミラの頬をそっと撫でる。
甘く、とろけるような空気。
けれどその雰囲気は、次の一言で綺麗に粉砕された。
「ゼノス様。……お腹、空きました」
「……え?」
「走り回って、叫んで、知略戦して」
「知略戦」
「負けましたけど」
ミラは真顔で続けた。
「とにかくもう、お腹が背中とくっつきそうです。監禁するなら、まずは美味しいご飯を食べさせてください。職人は空腹だと、いい仕事も逃亡もできませんから!」
一瞬の沈黙。
次の瞬間、ゼノスが堪えきれないように笑い出した。
「……クフッ、ハハハハ!」
「何で笑うんですか!?」
「いや……普通の令嬢なら、泣くか、震えるか、僕に縋るところだろう?」
「私はお腹空いてるんです」
「そうだろうね」
ゼノスは笑みを深めた。
「いいよ、ミラ。君のその、雑草のような逞しさ……ますます気に入った」
「褒められてる気がしません」
「最高の褒め言葉だよ」
彼はごく自然にミラを抱き上げた。
もはや当然のような動作だった。
「さあ、行こうか。君のために、大陸中の山海の珍味を集めさせてある」
「規模が怖い」
「……僕の隣で、一生かけて味わってもらうよ」
「一生は長いので、とりあえず今日の夕飯を豪華にしてください! 肉! 肉がいいです!」
「可愛い要求だ」
「現実的な要求です!」
ミラは抱きかかえられたまま、抵抗する気力もなくゼノスに運ばれていく。
豪華すぎる魔塔の廊下を進みながら、ふと側近の姿が視界に入った。
彼は壁際で一礼し、静かに主を見送っていた。
そのすれ違いざま、ぽつりと呟く。
「……主様を『飯使い』のように扱うとは。ミラ様、あなたこそが真の魔導卿かもしれませんね」
「やめてください。そんな称号いりません」
「僕は欲しいけれど?」
「ゼノス様は黙っててください」
「はい」
帝国最強の魔導卿が、素直に返事をする。
その異様な光景を横目に、側近はほんのわずかに目を細めた。
そしてミラは、ゼノスに抱えられたまま盛大にため息をつく。
さっきまで「監禁決定」と絶望していたはずなのに、今の頭の大半を占めているのは夕飯のことだった。
(……何はともあれ、ご飯大事だからね!!
監禁でも空腹でも、肉だけは譲れない)
そうしてミラは、ゼノスに抱えられたまま豪華な食堂へと連行されていくのだった。
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