どうやら帝国最強の魔導卿に完全にペースを握られているようです
「……君の指先が紡ぐリズムは、僕の鼓動と共鳴して……」
ゼノスのネチネチとした愛のポエムは止まるどころか、
「第二章:雨粒と君の魔力の屈折率」に突入しようとしていた。
ミラは、自分の手を頬ずりするように握りしめている絶世の美男子を、
もはや「顔がいいだけのバグ」か何かだと思い始めていた。
(……あー、もう無理)
(耳が、私の耳が溶ける……っ!)
ミラは、斜め後ろで完璧な姿勢で控えている側近へと、必死に視線を送る。
(ねぇ、側近さん! 見てないで助けて!
この人、もう何言ってるか分かんないから!
騎士? 兵士? 傭兵? 誰でもいいから、誰か呼んで!)
ミラの必死のSOSに気づいたのか、側近の目がキランと光る。
彼はすっと一歩前に出る。
(そうそう、それ! 「主様、会議の時間です」とか何とか言って連れてって!)
ミラが期待の眼差しを向ける中、側近は慇懃無礼に頭を下げ、口を開く。
「……主様。ミラ様が、先ほどから激しく瞬きをされ、こちらを凝視しておいでです」
「……何? ミラ、どうしたんだい? 目に魔導糸の塵でも入ったのかな。
僕が魔法で取り除いてあげよう。さあ、そのまま僕の瞳をじっと見て……」
(違う!! そうじゃない!! 側近、お前、わざとか!?)
ミラは心の中で絶叫した。
側近は相変わらず無表情のまま、ミラの訴えなどなかったかのように淡々と続ける。
「ミラ様。……無駄です。
今の主様に外の世界の常識やスケジュールの概念を説いても、魔力の無駄遣いに終わります。
……それよりも、主様はあなたが『自分に注目してくれない』ことに、
先ほどから、かすかな殺気が漏れております。」
一拍置いて。
「……これ以上私に助けを求めると、
この部屋の魔力濃度を調整して、あなたを眠らせかねませんよ」
「……えぇ!?(え、この人も大概おかしいわ!)」
側近の言葉通り、ゼノスは「ミラが自分以外の男(側近)を見ている」という事実に、
目に見えて不機嫌そうなオーラを出し始めていた。
彼の指先がミラの顎を優しく、だが逃がさない強さで自分の方へ向けさせる。
「ミラ。……僕以外の男に、そんなに熱心に視線を送るなんて。
……僕の話、退屈だったかな?
じゃあ、次は『君の編み目が僕の深層心理に与えた影響』について、
もっと具体的に話そうか」
「……側近さぁぁぁん!! 裏切り者ーーー!!
そして、ゼノスさま。そろそろ飽きてきました。
内容が頭に入ってきません。脳が拒否しています!!」
ミラの絶望的な叫びも、ゼノスの「愛の授業」の前では、
ただの心地よいBGMとしか受け取られないのだった。
(だめだ……この人、話を聞かないタイプだ……)
「あー、もう!! ストップ! 全面停止です!」
ミラは、自分を「空気」にしようとしていたゼノスの胸板を両手で思いっきり突き放した。
あまりの勢いに、さすがの魔導卿も「おや?」と目を丸くして動きを止める。
「分かりましたよ、分かりました!
そこまで私の技術に惚れ込んでるなら、編めばいいんでしょ、編めば!
その代わり条件があります!」
「条件? ……何だい、僕にできることなら何でも……」
「私が編んでいる間は、一言も喋らないこと!
ポエムも独白も思い出話も禁止!
私の集中力を削ぐような熱視線も、できれば解像度を下げてお願いします!」
ミラはソファから飛び起きると、足早に作業台へと向かった。
棚から、ゼノスが買い占めてきた最高級の『銀雪の魔導糸』をひったくるように手に取る。
「……あ。……すごい、この糸。滑らかさが異常……」
思わずうっとりと見入る。
だが背後から――
「……ああ、やはり君の指先にはその銀色が……」
と、甘い声が漏れ聞こえた。
「喋るな!! 黙って座ってて!!」
「…………っ」
ゼノスは、まるで叱られた大型犬のように口を噤んだ。
帝国最強の魔導卿が、市場娘に一喝されておとなしく座り直す。
その光景に、壁際で控えていた側近が、心なしか感動の面持ちで呟く。
「……奇跡だ。魔塔に久々の静寂が訪れた……」
カチ、カチ……と、魔導糸が交差する音だけが室内に響き始める。
ミラの指先は、怒りとは裏腹に、驚くほど正確で流麗な動きを見せていた。
最高級の材料、整えられた魔力環境。
――正直、作り手としては「最高」と言わざるを得ない環境で。
彼女は無意識に、あの日よりもさらに洗練された『守護の術式』を編み込んでいく。
(……ふん、黙らせるためなんだからね。
大人しく私を市場に帰しなさいよ……!)
一方のゼノスは。
約束通り、一言も発さずにじっとしていた。
だが、その瞳は雄弁だった。
黙々と指を動かすミラの横顔。
集中して少し尖らせた唇。
そして銀色の糸が彼女の肌の上を滑る様子を、貪るような視線で追っている。
(……ああ。
……なんて、なんて素晴らしいんだ。
僕の用意した糸が、彼女の意思で形を変えていく。
……黙っているのは辛いが、この静寂の中で、
彼女の指先が奏でる音だけを聴いていられるのは……最高のご褒美だ……)
声に出せない分だけ、脳内の愛のポエムはますます煮詰まっていく。
「……よし、できた! はい、これ! 約束通り黙っててくれたお礼です!」
ミラは、達成感と共に、出来立ての『銀雪の魔導糸の守護チャーム』をゼノスの目の前に突き出した。
銀色の糸が、魔塔の魔力を吸い込んで淡い真珠色に発光している。
あの日、雨の中で渡した「試作うさぎ」とは比べ物にならないほど、
美しく、そして強固な「拒絶と守護」の力が宿った一級品だ。
ゼノスは、まるで聖遺物を拝むような震える手で、それを受け取った。
「…………ああ」
「……あ、あの。ゼノス様? 黙っててくださいって言いましたけど、
もう喋ってもいいですよ?
むしろ何か言ってくれないと、その無言のプレッシャーが怖いんですけど」
ゼノスはミラの言葉も耳に入らない様子で、
ブレスレットを瞳の高さまで持ち上げ、じっと見つめた。
そして――
この世のものとは思えないほど美しく、同時に恐ろしく危うい微笑みを浮かべた。
「……素晴らしいよ、ミラ。
この編み目……君の指先の温度、集中した時の吐息、
僕を黙らせようとした情熱まで、全てがこの中に閉じ込められている」
「いや、そこまで込めたつもりはないですけど」
「……体内に取り込んでしまおうか」
「……はい? 今なんておっしゃいました?」
ゼノスはブレスレットを愛おしそうに頬に寄せ、うっとりと目を閉じる。
「この糸に込められた君の魔力は、どんな高級な食事よりも僕の魂を満たしてくれる。
これさえあれば、僕の魂は満たされる。
君の指先から紡ぎ出されるものだけを摂取して、僕は君の愛だけで永劫を過ごそう」
「……決めたよ。僕は今日から、一生、これだけを食べて生きていける」
「キモ。食べないで!!」
横で控えていた側近が、そっとミラに耳打ちする。
「……ミラ様。主様は本気です。
あの方は以前、あなたの残した魔力の残滓だけで一週間を過ごそうとした前科があります。
……早く、何か普通の食べ物を差し出さないと、
あの方は本当に『不食の魔導卿』として歴史に名を刻み、
その責任は全てあなたに押し付けられますよ」
「側近さん、何でそんなに冷静なの!? 止めなさいよ!!
そして、責任を押し付けないでくれます?
めんどくさいので……」
ミラのツッコミも虚しく、ゼノスは
「……ああ、甘いな。君の魔力は、どうしてこんなに僕を狂わせるんだ……」
と、ブレスレットに額を押し当てて独り言を続けている。
……その微笑みは、どこまでも甘く――そして、どこまでも危険だった。
――そしてミラは、この男が本気で「それ」をやりかねないことを、まだ知らない。
――この男の“絶対に逃がさない”は誰も覆せない。
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