どうやら帝国最強の魔導卿に囲まれているようです
魔塔の廊下では、エリート魔導師たちが顔を真っ青にしてひそひそ話をしていた。
「……おい、聞いたか? 最上階の主様の部屋の隣、昨日から『空間拡張魔法』の出力が異常数値を叩き出してるらしいぞ」
「ああ……。本来なら一つの街を丸ごと飲み込むレベルの魔力を使って、たった一部屋を広げ続けておいでだ。しかも、あの方、ご自分で『編み物』の解読まで始めて……」
「昨日は一晩中、顕微鏡で紐の結び目を見つめながら、『この曲線……彼女の指の動きが目に浮かぶようだ……』ってうっとりされてたんだぞ。怖すぎるだろ!」
彼らにとって、国を救った英雄であるはずのゼノスは、今や「最も近寄りたくない狂人」へと変貌を遂げていた。
――一方。
ゼノス本人は、自らの寝室の隣に、
「世界で最も美しい箱庭を――そして、決して逃げられない場所」
用意していた。
「彼女は職人だ。なら、最高の道具がなければ」
そこには、ミラが普段使っている道具を魔法で超強化したような、ゼノスの選んだものだけが丁寧に並べられている。
「このハサミは龍の牙を削り、この作業台は千年樫の芯を使おう。……ここで彼女が指先を動かす姿。想像するだけで、僕の魔力が甘く軋んでいく」
わずかに息を吐く。
「……はぁ。僕のうさぎ。君がいない時間が長ければ長いほど、現実を壊してしまいたくなる。早く僕のもとにおいで」
部屋の奥の扉を開ける。
そこには、この国には存在しないはずの、永遠に春が続く「異次元庭園」が広がっていた。
見たこともない花と蝶が舞い、柔らかな光が満ちている。
「日差しが強すぎては彼女の肌が焼ける。風が冷たくては指が悴む……よし、気候も時間も僕が支配しよう」
青い空。舞い散る花びら。
そして――彼女と歩くための回廊。
それはもはや部屋ではなく、彼が作り上げた「世界」だった。
最後にゼノスは、ふかふかのベッドの天蓋へと手を伸ばす。
「あの日の、耳がちぎれたうさぎ」を修復し、魔力の鎖で静かに固定した。
「……準備は整った。君が逃げようとしたその瞬間に、僕の腕の中に、そしてこの箱庭の中に――永遠に閉じ込めてあげる」
――市場の片隅。
『うさぎMiRa』。
そこではミラが、鼻歌を歌いながら手際よく商品を片付けていた。
「よしよし、この『お花色のストラップ』も完売! さすが私、いいセンスしてるわ〜。……ま、今日でこのお店も最後なんだけどね!」
彼女は、自分を「生贄」か何かのように探している魔塔の騎士たちの噂なんて、どこ吹く風。
「最近、なんか視線を感じる気がするけど……。ま、私の作品が素敵すぎて、遠くから見惚れてるファンがいるのかも? 少しは職人として自立したかしら! 打倒兄弟子たち!……いつか、うさぎで見返してやるんだから!」
そんなことを言いながら、大きなトランクに愛用の道具を詰め込んでいく。
(あら? また、熱い視線なんて嬉しいわね。ふふふ)
――だが。
路地の暗がりには、一般人に擬態した魔塔の精鋭たちがいた。
どう見ても隠しきれていない殺気を放ちながら、魔導具で連絡を取り合っている。
「……うさぎ、荷造りを開始。移動の準備に入りました」
「「「誰だ、コードネーム決めたの」」」
一瞬の沈黙。
「……主様だ……」
二度目の沈黙。
「……よし、主様に報告しろ。……おい、絶対に見失うなよ。
もし彼女が指一本でも擦りむいたら、我々はこの市場ごと、主様の魔力で消し炭にされるからな……」
その背後。
さらに深い闇の中から――
「ククッ……」
低く、甘い笑い声。
そこには、最高級の漆黒の外套に身を包んだゼノスが、獲物を狙う豹のような瞳でミラを見つめていた。
そんな殺伐とした周囲の状況なんて一ミリも知らないミラは、トランクをパタンと閉め、鍵をかける。
「ふぅ! これで引っ越しの準備は完了。明日の朝一番の馬車で、遠くの街に行って、また新しいお店でも立ち上げよっかな〜。……あ、最後にあの『不気味な魔塔』でも拝んでおく? 結局、あのボロボロのイケメンには会えなかったけど、大丈夫だったかしら?」
彼女は意気揚々と立ち上がり、くるりと振り返る。
――その瞬間。
空気が、ぴたりと止まった。
目の前には、壁のようにそびえ立つ、見覚えがあるはずなのに思い出せない男の胸板。
「……お疲れ様。随分と楽しそうに、僕から逃げる準備をしていたんだね?」
至近距離。
低く、甘い声。
「……ひぇっ!?!?(なに!? 誰!? 距離近っ!! 顔いいのに怖っ!! ちょっと待って近い近い!!)」
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