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点検

作者: マサ
掲載日:2026/03/07


荒廃した乾燥地帯、殺伐とした景色の中、漠然と場違いなほど大きな研究所があった。そこには、博士と助手のロボットが暮らしていた。


―――――――――――――――――


「博士、資料を持ってきました」


「そこに置いてくれ」


博士は顕微鏡を覗き込んだまま、両手のピンセットで繊細に『何か』を捌いている。


「順調ですか?」


「あぁ。……今ちょうど、ロボットに『脳』を収めたところだ」


脳。中枢演算ユニットのことだろうか。だが、僕のレンズが捉えるピンセットの先には、空虚な空間が揺れているだけだった。


「やはり、僕にはミクロの世界は難しいようです」


「そうだろうな。だがお前の身体には、それよりずっと微細なパーツがいくらでも詰まっているんだぞ」


博士は顕微鏡を覗いたまま、事もなげに言った。


実感は湧かない。僕を形作るために、あの目に見えないほど細かな欠片が、数万、あるいは数億も積み重なっているというのだろうか。


「そんなことより、道具の点検を頼む」


「分かりました」


『そんなこと』……博士にとっては、瑣末な事実でしかないのだ。僕がこの身体と意識を持って動いていることも、それが博士の数少ない傑作であることも。


僕は部屋を出て、道具箱の中から一つの器具を取り出した。赤黒く変色した鉄製のそれは、もはや道具と呼べるかすら怪しいほどにふやけている。


「なんでこんなになるまで放置したんでしょうか…」


僕は独り言をこぼしながら、その表面を覆う酸化物を削り落とし始めた。

ジャリ、ジャリと、砂を踏むような音がしんとした部屋に響き、鉄の粉が床へ積もっていく。


「……これくらいで良いでしょうか」


赤黒かった塊は、僕のレンズを焼くような鋭い光沢を放つレンチに変わった。

重い腐食を帯びていたのはこれ一丁だけのようで、他の道具たちは、辛うじて鉄の体裁を保っている。

小さな黄色のタオルで、それらを丁寧に拭いていく。

こんな布切れでは余計に状態を悪化させそうだが、点検はこうしろと、博士からはしつこく言い含められてきた。


今更やり方を変えるつもりはない。いや、僕には変えることすら許されていないのだ。


ガシャン、と扉が開き、博士が姿を現した。ゆっくり椅子に深く腰掛けた。


「順調か」


「はい。特にこのレンチを見てください。……製造時よりも、輝いているのではありませんか?」


僕は手を止め、磨き上げたばかりのそれを博士に差し出した。


「ほう。お前も、いい腕になったじゃないか」


「力がみなぎりますね、その言葉」


僕は再び黄色のタオルを手に取り、作業を再開した。

五分ほど経った頃、博士がふいに口を開いた。


「……お前のその姿を見ていると、昔を思い出すよ」


「昔、ですか」


「お前が生まれるずっと前だ。かつての世界はこれほど荒廃しておらず、機械も人間も、皆が平穏に共生していた。だが、急激な気候変動がすべてを変えた。機械は悉く腐食し、人間は移住するか、あるいは死に絶えるほか無かったのだ」


「……それと僕の姿に、どのような関係があるのですか」


「荒廃していく世界を前に、研究者たちはこぞって抗おうと闘った。この研究所も例外ではない。私はそこで助手として従事し、今のお前と同じように、道具を磨いていたのだよ」


博士は僕の手の動きをじっと眺めながら、言葉を続けた。


僕にとってはこの荒廃こそが世界のすべてであり、特に気にかけるほどのことでもない。ただ、博士の語る『かつての世界』など、いくら演算を繰り返しても想像すら及ばなかった。


「荒廃していない世界。……見てみたいものですね」


「私は、そのために研究を続けているのだからな」


「では、なぜロボットばかり作っているのですか?」


「……そろそろ、研究に戻るよ」


博士はそう言って立ち上がろうとした。だが、その身体は微塵も浮き上がらなかった。いや、物理的に拒絶されたかのように、立ち上がれなかったのだ。


「どうしたのですか、博士」


「……関節が動かない。この身体も、もはや限界のようだ」


「……そうですか、では──」


「……もし、私が。私の身体が動かなくなったら、これまでの記録を、」


「分かっていますよ、博士」


博士は何かを言いかけて、その唇を微かに震わせた。

濁った瞳の奥で、最後に残った命の火が爆ぜるように揺れ、やがてゆっくりと、その瞼が重く閉じられた。


部屋を、深い沈黙が満たす。


僕は博士の活動停止を確認した。

椅子から滑り落ちそうになったその身体を、僕は静かに床へと横たえる。


人骨を模したチタンのフレームを覆う、精巧な人工皮膚。

その、うなじにある隠しボルトに、僕は磨き上げたばかりのレンチをかけた。


頭部のパーツを外し、その迷路のような回路の奥底にある、記録媒体を求めて指先を沈める。


「……やはり、僕にはミクロの世界は難しいようです」


精巧なからくりの中を、僕はただ独り、何時間も、何時間も探し続けた。





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