点検
荒廃した乾燥地帯、殺伐とした景色の中、漠然と場違いなほど大きな研究所があった。そこには、博士と助手のロボットが暮らしていた。
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「博士、資料を持ってきました」
「そこに置いてくれ」
博士は顕微鏡を覗き込んだまま、両手のピンセットで繊細に『何か』を捌いている。
「順調ですか?」
「あぁ。……今ちょうど、ロボットに『脳』を収めたところだ」
脳。中枢演算ユニットのことだろうか。だが、僕のレンズが捉えるピンセットの先には、空虚な空間が揺れているだけだった。
「やはり、僕にはミクロの世界は難しいようです」
「そうだろうな。だがお前の身体には、それよりずっと微細なパーツがいくらでも詰まっているんだぞ」
博士は顕微鏡を覗いたまま、事もなげに言った。
実感は湧かない。僕を形作るために、あの目に見えないほど細かな欠片が、数万、あるいは数億も積み重なっているというのだろうか。
「そんなことより、道具の点検を頼む」
「分かりました」
『そんなこと』……博士にとっては、瑣末な事実でしかないのだ。僕がこの身体と意識を持って動いていることも、それが博士の数少ない傑作であることも。
僕は部屋を出て、道具箱の中から一つの器具を取り出した。赤黒く変色した鉄製のそれは、もはや道具と呼べるかすら怪しいほどにふやけている。
「なんでこんなになるまで放置したんでしょうか…」
僕は独り言をこぼしながら、その表面を覆う酸化物を削り落とし始めた。
ジャリ、ジャリと、砂を踏むような音がしんとした部屋に響き、鉄の粉が床へ積もっていく。
「……これくらいで良いでしょうか」
赤黒かった塊は、僕のレンズを焼くような鋭い光沢を放つレンチに変わった。
重い腐食を帯びていたのはこれ一丁だけのようで、他の道具たちは、辛うじて鉄の体裁を保っている。
小さな黄色のタオルで、それらを丁寧に拭いていく。
こんな布切れでは余計に状態を悪化させそうだが、点検はこうしろと、博士からはしつこく言い含められてきた。
今更やり方を変えるつもりはない。いや、僕には変えることすら許されていないのだ。
ガシャン、と扉が開き、博士が姿を現した。ゆっくり椅子に深く腰掛けた。
「順調か」
「はい。特にこのレンチを見てください。……製造時よりも、輝いているのではありませんか?」
僕は手を止め、磨き上げたばかりのそれを博士に差し出した。
「ほう。お前も、いい腕になったじゃないか」
「力がみなぎりますね、その言葉」
僕は再び黄色のタオルを手に取り、作業を再開した。
五分ほど経った頃、博士がふいに口を開いた。
「……お前のその姿を見ていると、昔を思い出すよ」
「昔、ですか」
「お前が生まれるずっと前だ。かつての世界はこれほど荒廃しておらず、機械も人間も、皆が平穏に共生していた。だが、急激な気候変動がすべてを変えた。機械は悉く腐食し、人間は移住するか、あるいは死に絶えるほか無かったのだ」
「……それと僕の姿に、どのような関係があるのですか」
「荒廃していく世界を前に、研究者たちはこぞって抗おうと闘った。この研究所も例外ではない。私はそこで助手として従事し、今のお前と同じように、道具を磨いていたのだよ」
博士は僕の手の動きをじっと眺めながら、言葉を続けた。
僕にとってはこの荒廃こそが世界のすべてであり、特に気にかけるほどのことでもない。ただ、博士の語る『かつての世界』など、いくら演算を繰り返しても想像すら及ばなかった。
「荒廃していない世界。……見てみたいものですね」
「私は、そのために研究を続けているのだからな」
「では、なぜロボットばかり作っているのですか?」
「……そろそろ、研究に戻るよ」
博士はそう言って立ち上がろうとした。だが、その身体は微塵も浮き上がらなかった。いや、物理的に拒絶されたかのように、立ち上がれなかったのだ。
「どうしたのですか、博士」
「……関節が動かない。この身体も、もはや限界のようだ」
「……そうですか、では──」
「……もし、私が。私の身体が動かなくなったら、これまでの記録を、」
「分かっていますよ、博士」
博士は何かを言いかけて、その唇を微かに震わせた。
濁った瞳の奥で、最後に残った命の火が爆ぜるように揺れ、やがてゆっくりと、その瞼が重く閉じられた。
部屋を、深い沈黙が満たす。
僕は博士の活動停止を確認した。
椅子から滑り落ちそうになったその身体を、僕は静かに床へと横たえる。
人骨を模したチタンのフレームを覆う、精巧な人工皮膚。
その、うなじにある隠しボルトに、僕は磨き上げたばかりのレンチをかけた。
頭部のパーツを外し、その迷路のような回路の奥底にある、記録媒体を求めて指先を沈める。
「……やはり、僕にはミクロの世界は難しいようです」
精巧なからくりの中を、僕はただ独り、何時間も、何時間も探し続けた。




