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また会うために  作者: かーすけ


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5/21

第5話 午前四時を越えて、

懐中時計は、ちゃんと動いている。


朝の光の中で、

銀の蓋は静かに呼吸しているみたいだ。


茜はそれを制服のポケットに入れて、家を出る。


ざり。


玄関前の砂利を踏む。


胸が、わずかに熱くなる。


あの音だ。


でも今は、自分の足音。


それが少しだけ、寂しい。


学校はいつも通りだった。


チャイム。

友達の笑い声。

先生の板書。


なのに。


黒板の文字が、一瞬だけ崩れる。


見たことのない文字列。


インクのにじんだ手紙。


「必ず、四時に」


知らないはずの筆跡。


はっとして瞬きをすると、

黒板は元に戻る。


心臓が速い。


「大丈夫?」と友達が覗き込む。


茜は笑ってごまかす。


でも、笑うたびに、どこかで誰かを裏切っている気がする。


放課後。


あの古本屋へ向かう。


引き戸を開ける。


からり。


あの日と同じ音。


奥の棚の前に、老人は立っていた。


灰色の帽子。

少しだけ柔らいだ目。


「来ると思ってた」


その声に、胸が震える。


「どうして?」


「君の足音が、変わったから」


茜は立ち止まる。


ざり。


一歩、踏み出す。


老人の瞳が揺れる。


「前は、私の音を追っていた。今は、自分で鳴らしている」


意味がわからない。


でも、わかる気もする。


懐中時計が、ポケットの中でかすかに震える。


ち、ち。


規則正しい音。


「ねえ」


茜は、まっすぐ彼を見る。


「私、あなたのこと・・・前から知ってるよね?」


沈黙。


紙の匂いが、重くなる。


老人は目を伏せる。


「知っている、というより——」


言葉が止まる。


「思い出しかけている」


その言い方が、怖い。


「全部、思い出したらどうなるの?」


彼はすぐには答えない。


代わりに、棚の本をそっと閉じる。


「君は優しい人だ」


それは答えになっていない。


「優しいから、いつも同じ選択をする」


胸がざわつく。


「どんな選択?」


老人は、茜を見ない。


「私を守る」


空気が、冷える。


意味がわからない。


でも、涙が出そうになる。


「守るって・・・何から?」


「時間から」


その言葉は、ひどく静かだった。


店を出る。


夕暮れが近い。


ざり。


二人の足音が重なる。


でも、ほんの少しだけ、ずれている。


「ねえ」


茜が言う。


「私が全部思い出したら、あなたはどうなるの?」


老人は、初めて少しだけ笑う。


寂しい笑い。


「私は、必要なくなる」


足が止まる。


「それ、どういう意味?」


答えはない。


代わりに、風が吹く。


ざり。


足音が一瞬、途切れる。


茜の胸が強く締めつけられる。


消えないで。


まだ、言えない。


まだ、自分の気持ちがはっきりしない。


でも。


この人がいなくなる未来だけは、

嫌だとわかる。


懐中時計が、強く脈打つ。


ち、ち、ち。


針が、ほんのわずかに早くなる。


そしてその夜。


午前四時。


目が覚める。


ざり。


今度は、遠い。


でも確実に、彼の足音。


茜は、布団の中で目を開いたまま思う。


——思い出したい。


——でも、失いたくない。


胸の奥で、二つの願いがぶつかる。


午前四時の闇は、静かに揺れている。


・・・


午前四時の目覚めは、続いている。


ざり。


足音は、もう遠くない。


窓の外ではなく、

胸の奥で鳴る。


眠りと現実の境目で、

誰かの呼吸が重なる。


目を開けるたび、

失うのが怖くなっている。


放課後。


古本屋の奥。


棚と棚の狭い通路。


茜は背伸びをして、本を取ろうとする。


届かない。


ざり。


すぐ後ろに、気配。


「危ないよ」


低い声。


腕が伸びる。


背中のすぐ後ろで、布の擦れる音。


距離が、近い。


近すぎる。


本が抜き取られる。


でも彼は、すぐに離れない。


わずかな空気の震え。


茜は、振り向く。


目が合う。


思っていたより、近い。


老人の瞳は、年齢を忘れたみたいに澄んでいる。


「・・・どうして」


声が、かすれる。


「どうして、そんな目で見るの」


彼は一瞬、息を止める。


「どんな目?」


「いなくなる人を見るみたいな目」


沈黙。


紙の匂いが濃くなる。


彼の指先が、ゆっくりと茜の頬に触れかけて、止まる。


触れない。


でも、温度は伝わる。


「私は」


彼が、初めて迷いながら言う。


「君に、何度も会っている」


鼓動が跳ねる。


「知ってる」


茜の声は、思ったより落ち着いている。


「全部じゃないけど、わかる」


彼の瞳が揺れる。


「思い出さなくていい」


「どうして?」


問い詰めるように、一歩近づく。


ざり。


足音が重なる。


もう、ずれていない。


「思い出せば、君はまた私を選ぶ」


「それの何が悪いの」


即答だった。


自分でも驚くほど。


彼は目を閉じる。


「悪いのは、私だ」


空気が、痛い。


「私は、君に同じ未来を繰り返させたくない」


「同じ未来って?」


声が震える。


怖い。


でも、知りたい。


彼は、そっと茜の手首を握る。


初めての、はっきりした接触。


冷たいはずなのに、熱い。


視界が、揺れる。


夜明け前の橋。

爆ぜる光。

自分が彼を突き飛ばす。

胸に走る衝撃。


息が止まる。


「・・・あ」


膝が崩れそうになる。


彼が支える。


抱きとめる形になる。


距離が、ゼロになる。


彼の鼓動は聞こえない。


でも、確かに“いる”。


「今度は、させない」


彼の声は、低く震えている。


初めての、本音。


茜は彼の胸元を掴む。


「今度は、って何回目?」


涙がにじむ。


「何回、私はあなたを守ったの」


答えない。


その沈黙が、答えだ。


「ねえ」


息が近い。


「守りたいのは、あなたじゃない」


彼の視線が揺れる。


「一緒にいたいの」


その言葉は、小さい。


でも、はっきりしている。


彼の手が、わずかに強くなる。


そして、すぐに離れる。


ざり。


一歩、後ろへ。


「それが、一番危険なんだ」


「どうして」


「君は、愛すると命を差し出す」


その言葉が、胸を裂く。


「じゃあ、今回は差し出さない」


強く言う。


自分でも知らなかった強さ。


「今の私は、前の私じゃない」


懐中時計が、急に強く脈打つ。


ち、ち、ち、ち。


針が早まる。


空気が震える。


ざり。


足音が、店の外で鳴る。


でも二人は動かない。


目を逸らさない。


彼は、初めて苦しそうに笑う。


「君は、毎回そう言う」


その言葉が、決定的だった。


繰り返している。


何度も。


でも。


茜は彼の手を、今度は自分から握る。


「じゃあ今回は、違うって証明する」


足音が、ぴたりと止まる。


時間が、張りつめる。


懐中時計の針が、一瞬だけ震え——


かちり。


ほんのわずかに、遅れる。


まだ、止まらない。


でも。


終わりは、近づいている。


・・・


古本屋の奥。


二人の距離は、まだ近い。


手は離れたのに、

体温だけが残っている。


懐中時計の針は、落ち着きを取り戻したように

規則正しく刻んでいる。


ち、ち、ち。


彼は、それを見つめる。


「その音が、怖い」


小さく言う。


茜は、眉を寄せる。


「どうして?」


彼は、棚にもたれる。


ほんの少しだけ、疲れた表情。


「動いている限り、君は前へ進む」


「それは、いいことでしょ」


彼は、静かに首を振る。


「私は、進めない」


その言葉は、初めての種類の重さだった。


「私はね」


彼はゆっくり話し始める。


「君が最初にいなくなった夜、死ぬはずだった」


茜の呼吸が止まる。


「でも、死ねなかった」


「・・・どういうこと?」


「気づいたら、時間が巻き戻っていた」


淡々としている。


だからこそ、怖い。


「君は別の家に生まれていた。

 別の名前で、別の人生を始めていた」


彼は笑う。


乾いた笑い。


「私は、そのままだった」


空気が重く沈む。


「年を取ることもあれば、取らないこともある。

 街が変わっても、時代が変わっても、

 私は“覚えている側”のままだ」


その孤独の輪郭が、初めて見える。


「何度も会えた」


「何度も、君は私を好きになった」


「何度も、君は私を守った」


茜の胸が締めつけられる。


「そして、何度も——いなくなった」


静寂。


時計の音だけが響く。


ち、ち、ち。


「私は、原因だ」


彼の声が、初めて揺れる。


「君が私を選ぶ限り、君の時間は、途中で終わる」


「違う」


茜が、即座に言う。


「あなたのせいじゃない」


彼は首を振る。


「違わない」


一歩、近づく。


でも今度は触れない。


「君は、私がいなければ、普通に生きて、普通に笑って、

誰かと穏やかな人生を送れる」


その言葉が、刃のように刺さる。


「だから、私は」


喉が詰まる。


それでも言う。


「終わりたいと思ったことがある」


空気が凍る。


「午前四時が来なければいいと願ったことがある」


茜の目が見開かれる。


「足音が、二度と聞こえなければいいと」


それは、裏切りの告白みたいだった。


「君が私を忘れたまま生きられるなら、それが一番正しい」


彼の目は、優しい。


だからこそ残酷だ。


「私は、もう十分だ」


その言葉は、“愛している”よりも重い。


茜の喉が震える。


「十分って、なに」


「何回も会えた。

 何回も、好きだと言ってもらえた」


彼は、ほんの少し笑う。


「これ以上望めば、罰が当たる」


「罰なんてない」


「ある」


即答だった。


「私がここにいること自体が、もう歪みなんだ」


ざり。


外で足音が鳴る。


でも、それは彼のものじゃない。


ただの通行人。


それなのに、二人は同時に息を止める。


「消えたいわけじゃない」


彼が、静かに付け足す。


「でも、君の未来の中にいないなら、それでもいいと思ってしまう」


それが本音。


待ち続けた男の、終わりたい願い。


茜は、ゆっくり首を振る。


「私は」


声が震える。


「あなたがいない未来なんて、まだ選んでない」


彼の瞳が揺れる。


「まだ?」


「うん」


一歩、近づく。


「選び直せるって言ったでしょ」


彼は、痛いものを見るみたいな目をする。


「それが一番、怖い」


「どうして」


「君が選ぶたびに、私はまた希望を持ってしまう」


沈黙。


懐中時計の針が、わずかに不規則になる。


ち、・・ち、ち。


時間が、軋む。


「希望は、残酷だ」


彼が言う。


「終わらせてくれないから」


茜は、そっと懐中時計を握る。


「じゃあ」


涙をこらえながら。


「今度は、終わらせないで」


その言葉は、祈りに近い。


彼は目を閉じる。


そして、かすかに囁く。


「それができるなら——私は初めて、君と同じ時間に立てる」


ざり。


遠くで、足音が鳴る。


午前四時が、近づいている。


・・・


午前四時。


目が覚める前に、わかっていた。


今日は、違う。


懐中時計が、枕元で鳴っている。


ち、ち、ち、ち。


今までより速い。


呼吸が合わない。


胸が痛い。


ざり。


足音が、もう遠くない。


廊下じゃない。


階段でもない。


すぐ外。


茜は起き上がる。


「来るんでしょ」


独り言じゃない。


扉が、ゆっくり開く。


そこに立っている。


何度も見た背中。


何度も守った人。


「時間が、もうない」


彼は静かに言う。


顔色が、薄い。


輪郭が、揺れている。


「今回が、最後だ」


茜は笑う。


震えているのに。


「それ、前も言ったよね」


彼の目が揺れる。


「何度目?」


「覚えていない」


嘘だ。


覚えている。


全部。


「君は毎回、私を庇って死ぬ」


空気が凍る。


「橋の上で。

爆発の前に。

銃弾の前に。

落ちる足場の前で」


一つ一つ、淡々と。


「私は、生き残る」


その声は、壊れかけている。


「生き残って、また午前四時に戻る」


茜の手が、震える。


でも逃げない。


「君を救えない世界が、必ず来る」


「じゃあ」


一歩、近づく。


「あなたがいなくなれば、いいって思ったの?」


彼が目を閉じる。


正解。


「私が消えれば、君は死なない」


それが、彼の“消えたい本音”。


自分が存在する限り、彼女は命を差し出す。


だから、存在ごと消える。


繰り返しの中心から、抜け落ちる。


「・・・勝手だよ」


茜の声が、初めて怒る。


「何回も私を残しておいて、今さら優しいふりしないで」


彼が息を詰める。


「優しさじゃない」


「知ってるよ」


涙が落ちる。


「罪悪感でしょ」


彼の瞳が、砕ける。


図星。


「私が死ぬたびに、あなたは壊れて、それでもまた四時に戻る」


一歩。


距離が、ゼロ。


「あなたは、私よりずっと死んでる」


沈黙。


時計が速まる。


ち、ち、ち、ち、ち、ち。


「ねえ」


茜は彼の胸を掴む。


「今回は、私を庇って」


彼が、目を見開く。


「無理だ」


「無理じゃない」


「未来は変わらない」


「じゃあ、二人で壊す」


足音が、爆発の予兆みたいに鳴る。


ざり。


窓の外、橋。


夜明け前。


爆薬を積んだトラック。


すべて思い出している。


彼は、茜の手を振り払おうとする。


でも。


「離さない」


茜が握り返す。


強く。


「今まで、あなたを守ることであなたを殺してた」


彼の呼吸が乱れる。


「だから今回は違う」


外で銃声。


世界が傾く。


橋が揺れる。


時間が歪む。


懐中時計が、限界まで震える。


彼は叫ぶ。


「やめろ!」


茜は彼を突き飛ばさない。


代わりに——


抱きしめる。


爆発。


光。


衝撃。


でも、落ちない。


彼が、茜を庇った。


初めて。


背中に衝撃を受けながら、彼は笑う。


「これで、終わる」


体が、崩れる。


輪郭が、砂のように崩れていく。


「だめ」


茜がしがみつく。


「消えないで」


「これでいい」


彼の声が、薄くなる。


「君が、生きる」


「一緒に、でしょ」


その一言で、彼が止まる。


「・・・何?」


懐中時計が、空中に浮く。


針が、ぐちゃぐちゃに回る。


「どっちかじゃない」


茜は彼の顔を両手で挟む。


「二人で生きる。

二人で死ぬ。

どっちかだけなんて、もう選ばない」


時間が悲鳴を上げる。


ちちちちちちちち——


針が、折れる。


かちん。


静寂。


光が、止む。


橋は壊れていない。


トラックは、エンジンが止まったまま。


夜明け前。


風だけが吹く。


彼は、そこにいる。


消えていない。


震えながら、茜を見ている。


「・・・四時は?」


懐中時計を見る。


針は、四時を少し過ぎている。


動いている。


前に。


初めて。


彼の喉が震える。


「君は、私を選ばなかった」


茜は首を振る。


「違うよ」


微笑む。


涙だらけで。


「今回は、あなたが私を選んだの」


彼の目から、初めて涙が落ちる。


世界は、繰り返さない。


ざり。


足音は、もう聞こえない。


夜が、明ける。


・・・


鳥の声で目が覚めた。


それだけで、少し笑ってしまう。


静かだ。


胸が痛くない。


ざり、という足音も聞こえない。


窓の外は、淡い橙色。


世界は、何事もなかったみたいに息をしている。


茜は、ゆっくり起き上がる。


枕元の懐中時計を手に取る。


針は、五時十二分。


ちゃんと進んでいる。


指で触れてみる。


冷たい。


でも、確かに生きている。


「・・・おはよう」


声が、後ろからする。


振り向く。


そこにいる。


少しだけ寝癖のついた、あの人。


輪郭は揺れていない。


消えかけてもいない。


ただ、いる。


それだけで、胸が熱くなる。


「四時、越えたね」


彼は、ゆっくり頷く。


「初めてだ」


その言い方が、可笑しい。


まるで長い夜勤を終えたみたいだ。


茜は立ち上がる。


少し迷って。


でも、迷う時間はもういらないと気づく。


歩いて、彼の前に立つ。


距離は、昨日より自然に近い。


「痛い?」


彼は少し考えてから答える。


「少し」


「そっか」


茜は、そっと彼の背中に触れる。


包帯の代わりに、温度。


「でも、生きてる」


彼の声は、まだ少し震えている。


それが、嬉しい。


彼が、人間みたいに震えていることが。


窓から朝日が差し込む。


二人の影が、床に並ぶ。


重なって、離れて、また重なる。


彼が言う。


「君は、後悔していないか」


茜は首を傾げる。


「何を?」


「私を選んだことを」


少しだけ、間。


茜は懐中時計を彼の手に乗せる。


「選んだのは、二人で生きるほうだよ」


彼は、それを見つめる。


針が、かすかに音を立てる。


ち、ち。


静かな音。


「未来は、わからない」


彼が言う。


「うん」


「また危険が来るかもしれない」


「うん」


「それでも——」


「一緒なら、いい」


言葉を奪う。


朝の光の中で。


彼は、ようやく笑う。


あの罪悪感に縛られた笑みじゃない。


少し不器用で、少し照れた、普通の笑顔。


それを見た瞬間、茜は思う。


ああ、四時は終わったんだ、と。


ざり。


床を踏む音。


今度は、彼の足音。


確かに、ここにある音。


「散歩、するか」


彼が言う。


「うん」


ドアを開ける。


冷たい朝の空気。


世界は、繰り返さない。


振り返らない。


でも。


どこか遠くで、時計の針が進む音がする。


未来の音。


それはもう、恐くない。


二人分の、時間だから。

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