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また会うために  作者: かーすけ


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15/21

第15話 雨の日の同級生  途切れた約束の続き

 中学二年の六月。

 昼休み、陽菜は決まって紗季の机にやってきた。

  「ねえ、今日お弁当交換しよ」

  「また?昨日もでしょ」

  「だって紗季のお母さんの卵焼き、世界一だもん」

 陽菜は勝手に箸を伸ばす。

 紗季は呆れながらも、自分の弁当箱を少し寄せる。

 陽菜の弁当は、いつも少し偏っていた。

 好きなものだけきれいに減っていて、嫌いなピーマンは端に追いやられている。

  「ちゃんと食べなよ」

  「紗季が半分食べてくれたら食べる」

 そう言って、笑う。

 その笑い方が好きだった。

 目尻が少しだけ下がって、口元がいたずらっぽくなる。


 放課後はだいたい一緒に帰る。

 特別な約束をしたわけじゃないのに、気づけば昇降口で隣にいる。

 ある日、急な夕立がきた。昇降口の屋根を叩く雨音に、クラス中がざわつく。

  「うわ、最悪」

 陽菜は鞄を抱えて外を見つめた。

  「傘ないの?」

  「あるけど教室。取りに戻るの面倒」

 紗季はため息をつきながら、自分の傘を広げる。

  「ほら」

 陽菜は一瞬目を輝かせ、それから当たり前みたいに横に並んだ。


 二人で一つの傘に入ると、距離が急に近くなる。

 腕が触れる。肩がぶつかる。歩幅を合わせないと進めない。

  「狭いね」

  「陽菜が寄りすぎ」

  「だって濡れるじゃん」

 雨は思ったより強くて、アスファルトに細かな波紋を作っていた。

 二人の靴が水たまりを跳ねる。

 校門を出たところで、陽菜が言う。

  「ねえ」

  「なに」

  「なんかさ、こういうのっていいよね」

  「なにが」

  「雨の日に一緒の傘ってさ。世界がちょっとだけ小さくなる感じ」

 紗季は少し考えてから言う。

  「それ、窮屈って言うんじゃない?」

  「違うよ。安心ってやつ」

 陽菜はそう言って、少しだけ肩を寄せた。

 その瞬間、紗季は不思議な気持ちになった。

 この時間が、ずっと続けばいいのに、と。

 理由なんてない。ただ、そう思った。

 家の分かれ道に着いても、二人はすぐには離れなかった。

  「明日も雨かな」

  「さあね」

  「雨、嫌いじゃないんだよね」

  「え、そうなの?」

 陽菜は少し考えるように空を見上げる。

  「なんか、ちゃんと濡れたあとじゃないと、晴れたときの匂い分かんない気がして」

 紗季はその言葉を、なぜか強く覚えた。

 特別な約束なんてしていない。

 来世の話も、永遠の誓いもない。

 ただ、当たり前のように並んで歩く二人がいた。

 それだけで、十分だった。

 ――この当たり前が、なくなるなんて、想像もしなかった。


 三年生の六月だった。

 進路の話が教室のあちこちで飛び交うようになり、

「卒業」という言葉が、まだ遠いはずなのに、どこか現実味を帯び始めていた頃。

 その日は朝から、細かい雨が降っていた。

 霧みたいな雨。

 傘をさしても、制服の裾がじわじわと湿るような、静かな雨。

 放課後、紗季は昇降口で陽菜を待っていた。

 今日は部活がないはずだった。

 でも、なかなか降りてこない。


 十分ほどして、階段を駆け下りてくる足音がした。

  「ごめんごめん!」

 陽菜は息を切らせていた。

  「先生に進路のことで捕まった」

  「なに、また迷ってるの?」

  「迷ってないし。ちょっとだけ、考えてるだけ」

 陽菜はそう言って笑ったけれど、その笑いは少しだけ弱かった。

 外に出ると、雨はまだ続いている。

  「傘ある?」

  「あるけどさ」

 陽菜はわざとらしく自分の傘を開き、それから閉じた。

  「やっぱり一緒に入れて」

  「は?」

  「だって、こっちのほうが安心する」

 紗季は呆れたふりをしながら、自分の傘を少し広げる。

 二人で並ぶ。

 肩が触れる。

 腕がぶつかる。

 いつもの距離。

 でも、今日はなぜか、陽菜の歩幅が少しゆっくりだった。

  「ねえ」

 陽菜が言う。

  「もしさ、卒業して、全然会えなくなったらどうする?」

  「急に何」

  「いや、なんとなく」

 紗季は少し考える。

  「別に、会いたくなったら会えばいいじゃん」

  「簡単に言うなあ」

 陽菜は小さく笑う。

 交差点の信号が赤になる。

 二人は立ち止まる。

 雨粒が傘を細かく叩く音。

 車のタイヤが水を弾く音。

 陽菜は信号の向こうを見ながら、ぽつりと呟いた。

  「ずっと同級生でいられたら楽なのにね」

  「なにそれ」

  「だってさ。家族より気楽で、恋人より面倒くさくない。ちょうどいい距離じゃん、同級生って」

 紗季は笑う。

  「陽菜らしい理屈」

  「ねえ」

 陽菜は少しだけ真剣な声になる。

  「もし生まれ変わりとかあったらさ」

 紗季は横目で見る。

  「なに」

  「また同級生がいいな」

 冗談みたいな言い方だった。

 でも、目は少しだけ本気だった。

 信号が青に変わる。

 紗季は、半歩前に出る陽菜の腕を軽く引く。

  「またって、何回目のつもり」

  「さあ?三回目くらい?」

  「多すぎ」

 二人は笑う。

 横断歩道を渡りながら、陽菜が言う。

  「約束ね」

  「なにを」

  「次も、同級生」

 紗季は肩をすくめる。

  「はいはい」

 本気じゃない返事。

 でも、嫌じゃなかった。

 家の分かれ道に着く。

 雨はまだやまない。

  「じゃあね、また明日」

 陽菜は自分の傘を開き直し、くるりと振り向く。

  「また明日」

 それが、最後だった・・・。


 翌日の午後、雨の交差点で起きた事故の知らせが届いた。

 紗季の耳には、ずっとあの声が残る。

 ――また同級生がいいな。

 ――約束ね。

 守れなかった約束が、雨音と一緒に、胸の奥に沈んでいった。


 知らせは、放課後の教室で聞いた。

 担任の声は妙に平坦で、「残念なお知らせがあります」と言ったとき、誰のことを言っているのか、紗希はまだ理解していなかった。

 陽菜の名前が出た瞬間、教室の空気がぐにゃりと歪んだ。

 笑い声が止まり、誰かが息を呑む。

 紗希は、ただ机の木目を見ていた。


 ――違う。

 そう思った。

 それは陽菜じゃない。

 同じ名前の誰かだ。

 さっきまで、普通だった。

 昨日だって、普通に笑っていた。

 「また明日」って言った。

 また明日って言ったんだ。

 人は、「また明日」と言った翌日に、死なない。

 現実は、ひどく現実的だった。


 病院の白い廊下。

 消毒液の匂い。

 小さく泣く声。

 紗希はようやく陽菜の顔を見る。

 眠っているみたいだった。

 昨日と同じ顔。

 少しだけ、白い。

  「起きなよ」

 声が出ない。

 喉がひりつく。

 頭の中で、何度も巻き戻す。

 横断歩道。

 青信号。

 自分が腕を引いた感触。

 ――あのとき、もう少し強く引いていたら。

 ――一緒に帰らなければ。

 ――あの約束なんて、しなければ。

  「また同級生がいいな」

 あの言葉が、刃物みたいに胸に刺さる。

 紗希は泣かなかった。

 泣いたら、本当に死んでしまう気がした。

 涙の代わりに、胸の奥が凍っていく。

 

 葬儀の日も、雨だった。

 傘を差す音が、やけに大きく聞こえる。

 焼香の煙が揺れる。

 紗希はただ、思う。

 約束なんて、するんじゃなかった。

 生まれ変わりなんて、あるわけない。

 あったとしても、もう二度と会えない。

 それから紗希は、雨の日に外を歩かなくなった。

 雨は、連れていく。

 大事なものを。


 七年後。

 六月。

 駅前のカフェの窓を、細かい雨が叩いている。

 紗希は窓際の席で、コーヒーを冷ましたまま動かない。

 社会人になり、忙しくなり、日常は淡々と流れている。

 それでも、六月になると、胸の奥が静かにざわつく。

 雨の匂いがすると、あの横断歩道がよみがえる。

 ――また同級生がいいな。

 思い出さない日はない。

 忘れたいわけじゃない。

 でも、思い出すたびに、息が少し浅くなる。


 カフェの扉が開く。

 小さなベルの音。

  「すみません、相席いいですか?」

 紗希は顔を上げる。

 そして、時間が止まる。

 そこに立っていたのは、見知らぬ若い女性。

 けれど。

 その目。

 その笑い方。

 ほんの少し首を傾げる癖。

 心臓が、大きく脈打つ。

 ありえない。

 ありえないのに。

 外では、雨が降っている。

 七年前と、同じ六月の雨。

 紗希は乾いた喉で、言う。

  「・・どうぞ」

 運命なんて、信じていない。

 生まれ変わりなんて、信じていない。

 それでも。

 目の前の彼女から、消えなかったはずの“約束の匂い”がする。

 雨は、まだ止まない。


 向かいに座った彼女は、少しだけ緊張したように笑った。

  「ありがとうございます。混んでますね」

 声が、似ている。

 けれど違う。

 高さも、話し方も、微妙に違う。

 それなのに。

 紗希の胸は、ゆっくりと騒ぎ始める。

  「お仕事帰りですか?」

 何気ない会話。

 名前は「美月」だと言った。二十歳。大学二年生。

 年齢は合わない。

 計算すれば、ちょうど七年。

 ――やめて。

 そんな考え方、卑怯だ。

 偶然はいくらでもある。

 外の雨が少し強まる。

 美月が窓の外を見て、ふっと言う。

 「雨の匂いって、好きなんです」

 紗希の指先が止まる。

  「・・どうして?」

 美月は、少し考える。

  「うーん。ちゃんと濡れたあとじゃないと、晴れたときの匂い分からない気がして」

 胸の奥が、きしむ。

 その言葉。

 中学三年の分かれ道。

 あの日の、横顔。

  「変ですよね」

 美月は自分で笑う。

  「なんか、昔からそう思ってた気がして。でも、いつの記憶か分からないんです」

 いつの記憶か、分からない。

 紗希は視線を落とす。

 カップの中の黒い液体が、わずかに揺れている。

  「ねえ」

 気づけば、口が動いていた。

  「理科室の裏って、知ってる?」

 美月はきょとんとする。

  「理科室・・?」

 一瞬、何も知らない顔。

 やっぱり違う。

 そう思った、そのとき。

  「夕方、オレンジ色になるところですよね」

 小さく、続ける。 

  「なんか・・粉っぽい匂いがして」

 息が止まる。

 それは、二人しか知らない時間の匂い。

 偶然?

 学校なら誰でも覚えている?

 でも、あの匂いまで?

 美月は首を押さえる。

  「変ですよね。行ったことないはずなのに、懐かしい感じがして」

 紗希の中で、何かが静かに崩れる。

 問い詰めたい。

 確かめたい。

 「陽菜なの?」と叫びたい。

 でも、もし違ったら。

 この時間は壊れる。

 沈黙が落ちる。

 外の雨音だけが、二人の間を満たす。

 

 しばらくして、美月がぽつりと言う。

  「私、同級生って好きなんです」

 紗希の心臓が跳ねる。

  「なんで?」

  「家族より気楽で、恋人より面倒くさくない。ちょうどいい距離じゃないですか」

 同じ言葉。

 同じ理屈。

 七年前の、横断歩道の上。

 紗希の視界がにじむ。

 美月は少し困ったように笑う。

  「なんか、どこかで誰かに言ったことある気がするんですよね」

 言ったことある。

 誰に?

 いつ?

 分からないまま、言葉だけが残っている。

 紗希は、そっと息を吐く。

  「・・約束って、覚えてる?」

 「約束?」

 美月は首をかしげる。

 その仕草が、痛いほど似ている。

  「どんなですか?」

 聞き返される。

 紗希は迷う。

 言えば、決定的になる。

 言わなければ、曖昧なままいられる。

 紗希は、笑う。

  「たいしたことじゃないよ」

 雨が、少し弱くなる。


 店を出るとき、自然に二人は同じ傘に入る。

 距離が、近い。

 肩が触れる。

 その瞬間、美月が小さく息を呑む。

  「・・なんか」

  「なに?」

  「この感じ、知ってる」

 紗希は何も言わない。

 ただ、歩幅を合わせる。

 分かれ道で立ち止まる。

 七年前と同じ場所ではない。

 でも、似ている。

 美月が言う。

  「また会えますよね?」

 紗希は、少しだけ笑う。

  「同級生じゃないけどね」

 美月は不思議そうにする。

  「え?」

 紗希は首を振る。

  「なんでもない」

 約束は、口にしない。

 確かめない。

 名前も、前世も、証拠もいらない。

 ただ、雨の匂いと、肩の温度だけがある。

 美月が去っていく。

 その背中に、紗希は心の中でだけ呼びかける。

 ――また同級生がいいな。

 返事はない。

 でも、雨上がりの空気の中で、ほんの少しだけ、懐かしい安心が胸に広がる。

 それが転生かどうかは、分からない。

 けれど。

 七年前、失われたはずの約束は、今日、もう一度、静かに息をした。


 美月が去っていく。

 小さく手を振り、駅の階段へと消えていく背中。

 紗希はしばらく、その場から動けない。

 雨は、ほとんど止んでいた。

 アスファルトに残る水たまりが、薄い空を映している。

 ――違うかもしれない。

 ――ただの偶然かもしれない。

 何度も自分に言い聞かせる。

 それでも胸の奥に、あたたかい何かが灯っている。

 踵を返そうとした、そのとき。

  「紗希!」

 階段の途中から、美月が振り向く。

 紗希の呼吸が止まった。

 どうして、名前を・・・。

 名乗った覚えはないよ。

 一度も。

 人混みのざわめきの中で、美月は少し首をかしげる。

  「あれ?」

 自分の口を押さえる。

  「・・なんで知ってるんだろ」

 戸惑ったように笑う。

  「さっき、聞いてないですよね?」

 紗希の心臓が、激しく打った。

 足が動かない。

 言葉が出ない。

 美月は照れたように続けた。

  「なんか、前から知ってたみたいに出ちゃって」

 そして、少し考えるように目を細めた。

  「変ですよね」

 小さく、息を吸って。

 無意識のように、呟く。

  「また明日、って言いそびれた気がして」

 世界が、静かになる。

 それは。

 あの日の、最後の言葉。

 誰にも話してなかった。

 葬儀でも、誰にも言わなかった。

 “また明日”。

 紗希だけが、胸の奥に閉じ込めてきた言葉。

 美月は首を振った。

  「すみません、ほんと変なこと言って」

 そして、照れたように笑った。

  「じゃあ、また」

 その言葉に、ほんの一拍の間があいた。

 紗希は、やっと息をする。

 喉の奥が震えた。

 泣きそうで、でも泣かない。

 今度は、ちゃんと答える。

  「・・うん」

 小さく、でも確かに。

  「また明日」

 美月は驚いたように瞬きをして、それから笑った。

 階段を上りきる背中が、夕方の光に溶けていった。

 雨は止んでいる。

 湿った空気の向こうで、雲の隙間から光が落ちる。

 転生かどうかは、分からない。

 記憶の錯覚かもしれない。

 でも。

 七年前、途切れたはずの言葉は、今日、ちゃんと続いた。

 “また明日”が、未来に向かって置き直された。

 紗希は、空を見上げる。

 もう、雨は怖くない。

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