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また会うために  作者: かーすけ


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12/21

第12話 風鈴の音を覚えている 輪廻は“赦し直すため”に

母の骨壺は、冷蔵庫の上に置いてある。

白くて、つややかで、軽い。

両手で持ち上げられてしまう重さだ。

あんなに大きな存在だった人が、こんな器に収まるなんて、どうしても納得がいかない。


味噌汁が吹きこぼれる。

「あっ」

火を弱める。

母なら、こんな失敗はしない。

『火加減を見なさい。鍋から目を離さないで。』

声がする気がして、振り向く。

誰もいない。


「ママ、それなに?」

五歳の陽菜が椅子によじ登り、骨壺を覗こうとする。

「触らないで!」

思ったより強い声が出る。

陽菜がびくっとして、手を引っ込める。

その表情が、一瞬、母に似る。

胸がざらつく。


母・美津子は、厳しい人だった。

正しいことを、正しいまま言う人。

「甘えるな」

「泣いても何も変わらない」

「自分で立ちなさい」

その言葉で育った。

だから紗季は、泣き方を忘れた。

けれど。

母が倒れたあの日、紗季は泣けばよかったのだ。

・・・

三月の終わりだった。

空は高く、まだ冷たい風が吹いていた。

近所の佐々木さんから電話が来たのは、午後三時過ぎ。

「お母さんが縁側で倒れてるの!」

紗季は一瞬、意味がわからなかった。

電車に飛び乗り、実家へ向かう。

胸がずっとざわついていた。

玄関の引き戸は開いたままだった。

縁側に、母が横たわっていた。

洗濯物が、半分だけ干されたまま揺れている。

白いシーツが風に翻っている。

母の片手は、まだ洗濯ばさみを握っていた。

「お母さん!」

駆け寄った。

目は閉じたまま。

呼吸は浅い。

救急車のサイレンが近づく。

紗季は母の頬を叩く。

「起きてよ。ねえ、起きてよ!」

返事はない。

救急隊員が処置をする。

酸素マスク。

血圧測定。

「脳の可能性があります」

言葉が、遠くで響く。

病院の白い廊下。

消毒液の匂い。

集中治療室の前で、紗季は立ち尽くす。

数時間後、医師が言った。

「広範囲の脳梗塞です。意識の回復は難しいかもしれません」

難しい・・・。

その言葉は、やけに穏やかだった。

ベッドの上の母は、眠っているように見えた。

「ねえ、お母さん!」

手を握る。

温かい。

「起きてよ。まだ話してないこと、いっぱいあるでしょ」

言えなかった。

ありがとう。

ごめんね。

頑張ってくれてたよね。

何一つ。

・・・

三日後、心拍が止まった。

医師が何かを言っていた。

看護師が頭を下げた。

紗季は、ただ母の手を握っていた。

まだ温かい。

なのに、もう戻らない。

そのときも、泣けなかった。

胸の奥が凍ったまま、音が消えた。

・・・

六月。

実家の片付けに来た。

縁側は、あの日と同じ。

洗濯物はない。

でも、あの午後の風がまだ残っている気がする。

軒先には、風鈴。

薄青色の、朝顔の絵柄。

母は毎年、夏のはじまりに風鈴を替えた。

「去年の音は去年の音。今年は今年の音」

意味がわからなかった。

今なら、わかる気がする。

縁側に座る。

風はない。

それでも。

ちりん。

風鈴が鳴る。

糸は揺れていない。

胸が締めつけられる。

あの日も、風が吹いていた。

白いシーツが揺れていた。

母の手が、洗濯ばさみを握っていた。

ちりん。

もう一度鳴る。

「きれいな音」

陽菜が笑う。

そして歌い出す。

♪ ねんねんころりよ おころりよ

背筋が震えた。

その子守唄は、母が歌っていた。

熱を出した夜。

眠れなかった夜。

「どこで覚えたの?」

「ふってきた」

ふってきた。

歌の最後、少しだけ音を外す。

母と同じ癖。

胸の奥の氷が、ひび割れる。

・・・

荷物の整理をしていると、押し入れから手帳が出てきた。

『紗季を抱くとき、手が震える。この子を守れるだろうか。』

『今日は叱りすぎた。本当は抱きしめたかった。』

涙が落ちる。

母も、怖かった。

強くあろうとして、強くなりすぎただけ。

陽菜が袖を引く。

「ちゃんと、だっこして」

その言葉で、堰が切れる。

抱き上げた。

小さな体。

あたたかい。

「ごめんね・・・お母さん」

声が震える。

嗚咽が漏れる。

あの日、病院で泣けなかった分が、今、溢れ出した。

陽菜が背中をぽんぽん叩く。

「いま、いえた」

涙が止まらない。

「ありがとう」

初めて、ちゃんと口に出す。

・・・

その夜、紗季は夢を見た。

白い空間。

やわらかな光。

椅子に座る魂たち。

誰かが何度も練習している。

「ありがとう」

「ごめんね」

「愛してる」

母が立っている。若い姿で。

「あの日ね、風が気持ちよかったの」

紗季が息を呑む。

「洗濯物を干していて、ああ、春だなあって思ったの」

「怖くなかったの?」

「少しだけ。でもね、ここに来たら、静かだった」

母は言う。

「言えなかった言葉は、ここで練習するの。次にちゃんと伝えられるように」

遠くで、赤ん坊の泣き声がしていた。

光がひとつ、消えた。

目が覚めた。

頬が濡れていた。

・・・

帰り道。

陽菜が言う。

「ひとはね、しぬとね、おやすみするの」

「どこで?」

「ひかりのへや」

紗季は頷く。

「ママね、おばあちゃんにありがとうって言えなかった」

陽菜は首をかしげる。

「いま、いえたよ」


風が吹く。

ちりん、と風鈴が鳴る。

今度は確かに揺れている。

紗季は陽菜を抱きしめる。

「何度生まれ変わっても、見つけるよ。

 何度でも、ありがとうって言うよ」

夏の匂いがする。

あの日の午後の風は、もう冷たくない。

輪廻は、終わりの物語じゃない。

続きを生きる物語だ。

光の部屋では、今日も誰かが、次の人生の台詞を練習している。

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