6:お祓いをしないお祓い屋
バスに乗っていくらかしないうちに、窓の外は田園風景になった。春先の田んぼは一面薄紫色をした蓮華草やホトケノザに覆われて、花の絨毯のように遠くまで続いている。霊鞍山はそんな景色に溶け込むように、霞をまとって鎮座していた。
「ここが入り口。昨日、山から下りてきたところだ」
バスを降りて麓まで来たところで、橘さんはようやく足を止めた。わたしは辺りを見渡す。
昨日、山から下りたときはすでに夜だったのでろくに景色を見られなかったけど、昼間でもやっぱり山の麓ってことしか分からない。昼前なのに薄暗く、ここまで農道が一本あっただけで人家もない。辺りはむっとするほどの森の匂いで満ちていた。
橘さんの背後には、さっきの公園の神社と同じような石鳥居が立っていた。でもこっちの方が一回り大きく、苔むしている。昨日はここで別れたんだっけ。
「わたし……昨日、町を歩いていたらいきなり山の中にいたんです。それからいくら歩いても出口が見つからなくてあんなことに……。一体何なんですか、ここ」
「あーそれね。たぶん霊道に入っちゃったんだ。よくあんのよ、この町じゃ」
橘さんは気の毒そうに苦笑いを浮かべる。人さし指を一本立てた。
「さっき神社でも説明したけど、この町はわりとあの世に近い場所にあってね、昔から死霊がよく集まんの。だから彼らが通る道もあちこちにあって、こっち側に踏み込んだ人がそこを通りがかると、あの世とこの世の狭間の空間――〝境界〟に迷い込むことになる。んで、この山がその境界がある場所。この世の人は、こういう境界がある場所のことを、昔から霊場って呼んでいる」
「霊場……」
そういえば、朝食のとき蒼ちゃんが話していた。
「霊鞍山が霊場……でもそれって大昔の話なんじゃ……?」
「そうそう、大昔――開闢した当初こそは、山岳信者のおかげでそれなりに有名だったんだけどねー。でも参拝ついでに境界に迷い込む人がままいて危なっかしくなってさ。俗に言う〝神隠し〟ってやつ。だから神聖な場所ではあるんだけど、俺ら専門屋が昔からウワサを流して人避けしてきたの。ここに来たらろくでもないこと起こるよってね」
ああ……なるほど。
この山が昔から敬遠されて怪談話が豊富だというのは、そのせいか。
「でも万が一、不幸にも境界に迷い込んでしまった人がいた場合、すぐに気がつけるようにここら一帯には専用の護符を張ってるんだ。俺が昨日君を見つけられたのは、その護符のおかげ。まぁアレが発動したところを見たのは初めてだったんだけどね」
「はぁ……、でもどうしてお祓い屋さんが霊場でそんなことを? 霊場ってこう……仏さんがいたりお墓があったり、神社仏閣が建つ場所ですよね。お坊さんたちの領域なんじゃないんですか」
「あ~、まぁそこあたりは追々説明するよ。今はとりあえずアンコさんだ」
橘さんはわたしの背後にいる巨大な影に目を向ける。ここまで来る道中、アンコさんはずっと静かにわたしのあとをついてきていた。バスに乗る際も一緒で、後ろの座席に座った。相変わらずおどろおどろしい雰囲気があるけど、最初のように襲ってくる様子はない。というより、アンコさんはさっきから、
『ぁアンコ……、ほシイ、ナィ? ホ、シい、ナい?』
こればかり零している。橘さん曰く、ずっと「ほしいものはないか」と訊いているらしい。
「どうしてわたしに『ほしいもの』を訊いてくるんですか。ほ、ほしいものを叶えたあとに取って食うつもりとか……?」
「しないしない、アンコさんはそんな霊じゃないよ。彼女は辻に来た人にこそ悪さをする悪霊だけど、普段は大人しいんだ。人を見た目で判断しちゃぁいけないよ」
人って言われても……人には見えないんだけど。
「それで、このアンコさんをどうするんです? 祓うんですか」
「いんや。祓わない。成仏させる」
「……成仏?」
「そう、成仏。平和的解決。このアンコさんの願いを叶える」
……………………えぇー……。
わたしはこめかみに手を当てる。
「……よく分からないんですけど。どうして祓わないんです? 橘さん、お祓い屋さんなんじゃないんですか」
「うん。でも俺、除霊するの好きじゃないし」
橘さんはあっけらかんと言った。
「そりゃね、生きている人に悪さする霊ってのはよくないもんだよ。悪さしてんだから成仏できないのは当たり前。自業自得。忌み嫌われても仕方ない。でもさ、彼らだって一応、ついこの間まで生きていた人間だったんだ。そんで悪さってのは裏を返すと――成仏できないからしているもんなんだと思う」
「……成仏できないから?」
「うん。自分を縛る悔恨怨恨から解放されたくて、生者に縋ってでも答えを探してんのよ。悩み、苦しみ、迷って、もがいて。こっちからしちゃまったくはた迷惑なことだけど、俺は生まれつき視えるから、そう考える。だから必死に自分探しをしている人たちを、やれ『気持ち悪い』だ『気味悪い』だで強制的に消したかないのよ。生粋のラブ&ピースな人間である俺には心苦しい所業なわけ。分かる?」
……う~ん、言いたいことは分かるけど、残念ながら同意はできない。
だって幽霊側にも事情があるんだと言われて、素直に呑めるか。今後の人生、霊障に追いかけ回されても「仕方ないよね」で許せって? 許せるかバカ。
少なくともわたしは、この状況に大変迷惑している。橘さんみたいに寛容な心はないのだ。
「分かりたいところですけど、分からないです」
率直に言うと、そう言われることが分かっていたのか、橘さんはくすりと笑った。
「正直だねぇ。まぁ七瀬ちゃんの気持ちも分かるよ。いきなりこんなん言われても理不尽だし、納得できるわけがない。でも俺からしたら、君も、アンコさんと変わらんのよ。似ているとすら思う」
「どこがです?」
「んー、報われない思いを抱えているところとか?」
すらりと出てきた言葉に、思わず息を呑む。鋭い矢に、一番打ち抜かれたくないところを射られたようだった。
橘さんの微笑が、深まる。
「言っとくけど、死霊モドキが視えるようになったのは七瀬ちゃんに問題があるからだ。確かにこの町はちょいと変わっちゃいるが、それだけさ。他と違ってこちら側があるだけで、そこに踏み込むのはいつだって外から来る人間だ。――君が、自分から、この町の境界線を踏み越えたんだよ。しかも中途半端に」
「……中途半端」
「そ。中途半端ってのはつまり、何かが妨げとなって未完になったってことだろ? 妨げは迷いだ。迷いがあるから七瀬ちゃんは死霊を視ようにも視えない。いや、直視できない。だからモドキになる。迷いを抱えて彷徨うのは生者も死者も同じってわけよ」
何もかも見透かされているんじゃいかってほどの、的確な指摘。ぞわっとした。
〝視ようにも視えない。直視できない。〟
この人、どうしてそこまでのことが――分かるんだろう。洞察力? 観察眼? 昨日今日と知り合ったばかりなのに、人ってここまで分析できるもんなんだろうか。
なんだか、ちょっと怖い。
「まーあれだ。ここで立ち話していても何だし、さっそく行こうか。アンコさんを成仏させに。あ、ここの鳥居は境界と顕界を区切るもんだからアンコさんも問題なく通れるよ。ちゃちゃっと終わらせましょうや」
ころっといつものひょうきんさに戻った橘さんは、話を切り上げて石鳥居をくぐろうとする。わたしは慌てて呼び止めた。
「あの、さっき言っていた働けってのはどういう意味なんですか。この鳥居の先に、何があるんです?」
「ん? 働けってのはそのままの意味だよ。霊感が目覚めた君に、ぜひとも紹介したい職場があるの。この鳥居の先にね。とりあえず騙されたと思って来てごらんよ。悪いようにはしないから」
悪人がいう言葉なんだな、それ。
わたしは僅かに躊躇う。本当は帰りたい。でも帰ってもこの状況がなくなるわけではないことも分かっている。かといってこのまま進んだら、それこそ……後戻りできないような。
う~、もう頭が痛い。ズキズキする。考えがまとまらない。
目の前には、青暗く拡がる森と、「さぁどうぞどうぞっ」と家に人を招くテンションでわたしを促す橘さん。
わたしは諦めて、鳥居をくぐった。




