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おまけ:橘新太のひとりごと

「……やー、まさかの熟睡っすか」


 俺は頬杖をつきながら口の中で言葉を転がした。


 視線の先では七瀬ちゃんが豪快にいびきをかきながら寝ている。時々歯ぎしりもしていた。いつもクールな立ち振る舞いをしているだけに、なかなかの寝相である。というか、男である俺がすぐ隣にいるのにこうもあっさり寝られるもんなのかね。豪胆といえば豪胆だけど、警戒心がなさ過ぎる。


 まったく少しはこっちの身にもなってほしい。手を伸ばせばすぐに触れられる距離で、何もせずに何時間も我慢しているのだ。餌を前に永遠「待て」と言われる犬みたいな気分だった。だけどここで手を出したら今までの努力が無駄になる。まだダメだ。まだ。


 俺は七瀬ちゃんに目を凝らす。ふごっ、と一際大きいいびきを発した彼女は、口をむにゃむにゃさせた。安らかな寝顔だ。でもその顔には、首には、胸には、手には、全身には――毒々しい黒い茨が巻き付いている。一本の木に絡むように大きくうねりながら、無数の棘が内にも外にも。誰にも触れられないように。どこへも行けないように。


 あの自縛怨霊高校生――よくもまぁ、視えたもんだ。


 素質があったのか知らないが、コレが視える奴はそういない。最初見たときはきっと驚いたことだろう。なんせ全身に茨を巻き付けながら平然としている少女だ。パリのファッションショーとかでありそうな出で立ちだが、残念ながら彼女はモデルじゃない。だから余計に、なぜそんな格好をしているのか気になったはずだ。気にすることなんてなかったのに。視なくてもよかったんだ。コレは、俺さえ視えていたらいい。


 本当はまだずっと七瀬ちゃんを眺めていたかったけど、そろそろ動かなければならない。彼女の前髪を軽く撫でてから、ゆっくりと身を起こした。音を殺して部屋を出て、自室に行く。いつもの黒ジャージに着替えてから錫杖を持ち、荘を出た。


 死神催促強化週間だけあって、ひっそりと寝静まる夜の道は浮遊霊の一人もいなかった。田舎らしい銀砂をまいたような星空を仰ぎながら、俺は一つ吐息を漏らす。


「……好きなところ、百個かぁ」


 最初は目でよかっただろうか、なんて思う。彼女の真っ直ぐな目は好きだ。声も好き。耳も好き。髪も、手も、可愛らしい胸も、足の形も、何もかも。数えたら百なんてあっという間に越える。だから始めはどれから出せばいいか本当に迷った。彼女はそんなこと露ほども知らないことだろう。知らぬまま――俺が『先祖の宿命に縛られる哀れな男』だと信じているんだろう。疑いもせず。


 夕方の交差点に着く。車の往来も絶えた交差点は真夜中の静けさに沈んでいる。件の電柱のところへ行くと、すでに先客がいた。山吹色の道行を来た、着物姿の春子さんだった。


 電柱の足下を見ていた春子さんは、俺に気づいて「あら」と温和に微笑む。


「お疲れさん、新太くん。除霊仕事頑張ってはる?」

「仕事はもう終わってますよ。ちょっとやり残したことがあったんで来たんです。夕方は七瀬ちゃんと一緒だったんで、後処理ができてなくて」

「あらあら、そやったん。相変わらず仕事が早いことで。七ちゃんも、なんや大変みたいやったなぁ。ゆかりちゃんから聞いたでぇ。倒れたとか」

「ええ。ここの自縛怨霊と関わっていたみたいで。まったくイヤな話ですよ。俺の知らんところで知らん男と仲良くしてたっていうんだから」


 俺は電柱の足下に目を向ける。小さな瓶に一輪の花が挿してあった。取り上げようと手を伸ばすと、バチッと強めの静電気みたいな痛みが指先に走る。


「ここのウワサは前々から聞いてたさかい、もしや思うて今日来てみたんやけど……ビンゴやったみたいやね。専門屋には触れられへんよう術が施されとるわ」


 傍らから春子さんが説明する。


「ウワサには装飾があらへんと現実味がないさかいね。たとえここから消し滓が消えても、ウワサさえ生きていれば、いくらでもこの交差点の空気は淀む。ほんでまた同じことが起きるやろうで。ホンマ、厄介なことしてくれるわなぁ――呪師(のろんじ)は」

「……そうっすねぇ。大方、アンコさんの怪談も奴らの仕業でしょうし」


 俺は苦笑を零す。夕方祓った消し滓の本体は、七瀬ちゃんたちを霊道に閉じ込める力があっただけに、なかなかの大きさをしていた。祓い屋を語るニセ祓い屋集団――彼らが意図的に図ったことは目に見えている。わざと不十分な除霊をして消し滓を集めていたんだろう。


「春子さん、結界とかってもう張ってます?」

「さっき張り終えたとこやで」

「ならあとはコイツだけですね」


 慣れた作業で護身の印を結んでから、続けて真言を唱える。


「ノウマク サンマンダ バザラダン センダンマカロシャダヤ ソハタヤ ウンタラタカンマン」


 最後に一つ錫杖を鳴らすと、小瓶の一輪挿しにヒビが走った。ぱん、と内側から破裂して破片が四方に飛び散る。これで後処理は完了だ。


「地味なお祓いやねぇ。こんなことをお彼岸中ずぅーっとせなあかんとは。面倒で疲れる以外ないわな。そやから死神催促強化週間って嫌いなんやわ」


 大きな溜め息を零して、春子さんは着物の袖からポリ袋を取り出す。飛び散った破片を集めにかかった。俺もしゃがんで集めに入る。確かに地味な作業だ。なんで呪師が置いていったゴミを俺たちが片付けなければならないんだろう。不法投棄を処理する管理者の気持ちがよく分かる。


「でも春子さん、べつにわざわざここに来なくてもよかったんじゃないすか。気になっていたとはいえ、俺が仕事できる奴だってことは知ってるっしょ? さっきそう言ってたし」

「う~ん、そうなんやけどなぁ。まぁもう一個、確認したことがあったっちゅうか? なんや今日、ここに来たら新太くんに会えるんちゃうかなぁって勘が働いてもうてね」

「はぁ、俺にすか」

「うん。そう。あんなぁ、新太くん」


 ひた、と首筋に何かが当たる感覚があった。俺は顔を上げる。

 春子さんは柔和に微笑みながら、俺の首筋に一枚の呪符を添えていた。


「あんまり七ちゃんを困らせたらあきまへんよって。殺すで」

「……俺が死んだら世が滅ぶんスけど。てかなんで?」

「七ちゃんから前に聞いたんやけどね――七ちゃんのおばあさんは、無類のオカルト好きやったそうやない」


 春子さんは変わらぬ口調で語る。


「あちこちの禁足地に分け入ったり、珍しい護符を集めたり、降霊術をしたりとかで、えらいアグレッシブな人やったんやて。これを聞いたんがただの一般人やったら『変わったおばあさんやねぇ』で済んでたやろうけど、残念ながらうちは只人やない。七ちゃんのおばあさん――専門屋やったんやねぇ。そやったら、七ちゃんがこの町に来て、いきなり境界に飛ばされたのも分かるわ。あとまぁ苗字でもしかしては思うてたけども」

「……で、それと俺になんの関係が?」

「七ちゃんにも専門屋の素質があるはずなんやわ。だけど今のあの子にはそれがない。今まで血筋のことを隠されて、封じられて、箱の中で大事にされていたんやろうねぇ。そやけどあの子は家を出てもうた。この町に来て、アンタに出会うてもうたわけや。――七ちゃんが来るのをずぅーっと待ってたアンタになぁ」


 育ての親が急死し、生きる意味を見失っていた少女の前に、突然現われた魔法使い。


 ニッコリ顔で魔法をかけると、あら不思議。少女の心の傷が癒えたじゃありませんか。


 優しい魔法使いさん。あなたを信じたらきっと楽しい毎日が待っている。


 なんてまぁ、素敵でロマンチックなストーリーでしょう。


「七ちゃんと出会うためだけに、おばあさんを呪殺したやろ」


 春子さんの声音は、もう冷え切っていた。


「アンタの気持ちはべつに否定せぇへんよ。七ちゃんのことをどう思おうが好きにされたらええ。そやけどな、手を出していい範囲くらい分かるやろう。度が過ぎてるで、怨霊さん」

「……俺が、七瀬ちゃんのおばあさんを殺したっていう証拠とかあるんでしょーか」

「ない。全部うちの推測や。でもなぁ、アンタならやりかねへんと思うやないの。もう何百年生きてますのや。頭のネジの一本か二本取れていてもおかしくないやろう」

「ひどい言い草っスねぇ。俺、これでも善人らしく振る舞っていると思うのに」


 心から重い溜め息を吐く。がっしがっしと頭を掻いた。気をつけていたはずなのだけど――春子さんはやっぱり鋭い。呪い憑きの橘家を長年監視してきた家柄だけあるというか。


「怨霊ってのは頭のネジが取れてこそじゃないんですか。ていうか、この呪符で本当に俺を殺せるんですか。殺せるなら殺してほしいんですけど」

「無理やね。さっきのはただの勢いや。アンタに一番効くんは殺すことやのうて、生き続けることやろう。この呪符もただの護身符。うっかり呪師に襲われでもして死んでもうたら世が終わるさかいね。せいぜい体を大事にして苦しみなはれ」


 春子さんは俺の顔にべしっと護身符を張る。符には術が施されていたようで、すうと形が透けると俺の中に溶け込んだ。魂を直接保護する護符らしい。これじゃますます死ねないじゃないか。俺は口を尖らせて抗議した。


「春子さん、俺と七瀬ちゃんの恋を応援してるんじゃないんですか」

「応援しとるよ? そやけど人殺すんはぶっちぎりのアウトや言うてんねや。普段は慈悲と慈愛の仏の橘さんやのに、なんで好きな子のことになったら途端に鬼畜に変貌すんのよ。頭おかしいやろ。おかしいけども」

「だって、でも、ああでもしないと七瀬ちゃんにいつまでも会えないと思ったというか……。そりゃ、おばあさんの気持ちも分かっちゃいましたけど、こう、自分を律しきれず……」

「これだから怨霊は……」


 今度は春子さんが心から大きな溜め息を吐く。会社で上司に詰られた心地だ。


「アンタは頭おかしい怨霊やから、いずれ必ず地獄に墜ちるやろ。そやからこれ以上は何も言わへん。でも、七ちゃんのことが好きなら、せめてあの子を悲しませんようにしい。あの子は何も知らへんのや――アンタのことも、呪いの本当の意味も、自分のことさえも。分かってんねやろうな? そこんところ」

「分かってますよ。……分かってるから、気持ちが急くんです。俺はあの子をずっと待っていたんですから」


 今まで他の女性ともお付き合いをして、意識を変えようという試みはしてきた。べつに七瀬ちゃんにこだわらなくてもいいじゃないかと。けど、やっぱり全部うまくいかなかった。別れ話になったら、もちろん呪い憑きの件は出されるが、必ず、「それに」が足されていた。


『新太、ワタシのこと見てないじゃない』


 女性というのは、みんな春子さんみたいだなと思う。つまりめちゃくちゃ鋭い。


 気に入られるためにどれだけ尽くしても、愛を語っても、騙されてくる人は一人もいなかった。いくら研鑽して磨いても「心がない」と突き返してくる職人と同じ。人の心を掴むというのは想像以上に難しい。好きでもない人の心なら、尚更だ。


 七瀬ちゃんは知らない。俺がずっと七瀬ちゃんを待っていたこと。


 それは彼女の血筋にも大きく関係している。俺の呪いにも関係している。俺が怨霊となって、橘家の人間の中に閉じ込められた日から、この関係は始まっている。憎しみなんていうちっぽけな感情一つで存在している哀れな俺の救いとなるのは、慰めとなるのは、どうやら彼女以外にいないらしい。


 だから。


「だから――大事にします。絶対に傷つけるようなことはしません」

「人を殺しておいてどの口が言う」

「今後の話っす、今後の! 七瀬ちゃんのおばあさんにはあの世に逝ったとき絶対お詫びしますからっ。ていうかしっかり地獄で苦しみを味わうんで、今だけ、ねっ。今だけ!」


 両手を合わせて上目遣いに拝む。俺を冷やかに見据えていた春子さんは、また一つ吐息を零した。適当に破片を集めると、着物の裾を払って立ち上がる。


「……まぁ、七ちゃんも、いつかは知らなあかんかったかもしれへんね。黄泉野の名を背負っといて何も知らされてへんいうんは、ある意味可哀想なことやし。アンタに出会おうてへんかったら、それこそ今頃この世はどうなっとったか分かへんし」


 釣られて立ち上がった俺に、はい、と破片の入ったポリ袋を突き出す。


「傷つけへんように守ってあげなさい。うちかてアンタには同情してんねやで。好きで怨霊になったわけやないのに何百年と同じ思いに囚われて……。まぁ、七ちゃんがアンタを救ってくれることを祈ってるわ」

「…………これ俺が持って帰るんスか」

「人を殺しておいてどの口が言う」

「…………ウス」


 渋々、ポリ袋を受け取る。たぶんしばらくこの上下関係は続くだろう。


 ほんならまた職場で、春子さんは手を振って踵を返した。俺も頭を下げて帰路につく。行きと同じように空を仰いだ。闇夜に瞬く満点の空。


 きっと。七瀬ちゃんの知らないことは、この星の数ほどあるんだろう。


 ゆっくり知っていけばいい。ゆっくり気づいていけばいい。


 その先で、俺を拒絶することがあるかもしれない。俺から離れたいと思うかもしれない。


 覚悟はしている。そうなったときのこと。


 けどごめん。君の体に真っ黒い茨が絡んでいるうちは。


「離してやれないんだなぁー、これが」


 口から零れた呪いは、呆気なく夜の静寂(しじま)に解けていった。


ここまで読んでくださりありがとうございました! このお話の続きは今後ゆっくりと書いて掲載していきたいと思っています。拙い文章ではありますが、お暇なときにでも読んでいただけると嬉しいです。改めて、ありがとうございました。

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