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6:見えない境界

 ずび、と鼻をすする。わたしは鍋の蓋を開けた。


「今日はシジミ汁ですか……」


 シジミが入った味噌汁をお玉で軽くかき混ぜる。冷たいまま小皿に受け、一口味見した。


「うー……分からん……」


 いよいよ風邪が本格化しているせいか。最近続いている毎朝のサプライズ味噌汁は、日に日に味が薄くなってきているような気がした。忙しい中用意してもらっているのに申し訳なくなってくる。


「ていうか味噌汁を作りに帰ってこられるなら、普通に帰ってきたらいいのに……」


 鍋の蓋を閉じて、冷蔵庫を開ける。味噌パックの上に先日いただいた猫クッキーを付箋付きで置いた。ささやかではあるがお返しである。


「帰ってきたら、何か豪勢なもの作ってあげますか」


 呟いた拍子に咳が出る。頭が重くて若干寒い。ううむ、その前にこっちをどうにかせねばなるまいか。大地くんとゆかりちゃんにも迷惑はかけられない。


 ここから一番近い病院ってどこだろうかと思考を巡らせつつ、わたしは冷蔵庫のドアを閉めた。


***


 春一番といっていいほどの強い風が交差点を吹き抜ける。


 すぐ傍の人家では、軒先まで伸びた植木の枝葉が激しく揺れている。しかしそんな中でも電柱に背中を預ける形で立っているハルトくんは、いつも通り平然としていた。いや、ちょっと深刻そうな顔をしていた。


「どうしたんです、ハルトくん。浮かない顔して」


 マフラーを巻いていつものように訪ねたわたしに、ハルトくんはじろりと隈の濃い目を向ける。


「おはよう黄泉野」

「おはようございます」

「俺、昨晩、ちょっとどえらい発見をしたかもしれない」

「発見?」


 うん、と頷いた彼は、もたれていた電柱から離れる。足下に供えられていた小瓶の一輪挿しに軽く手をかざした。


 すると――どうだろう。不意に小瓶がひとりでに揺れ始める。しばらく小さく揺れた後、まるで何かにちょんと押されたようにして、倒れた。中に入っていた水と花が飛び出す。わたしは目を丸くして今の光景を整理した。


「い、今のは……」

「あれだ、たぶんポルターガイストってやつ。念力だよ」


 ハルトくんはかざしていた掌に視線を落とす。


「黄泉野、俺たちって知り合ってから何日経ったっけ」

「え? えっと、あの日夕方に声をかけられてからだと……四日でしょうか」

「四日か……そういや今日でお彼岸の折り返しだったな」


 ぼそぼそと呟いて、ニット帽をワシワシ掻く。


「こんなことができるなんて、今まで一度もなかった。正直驚きよりも混乱してるよ。死霊なら皆こんなのできるもんなのか? 黄泉野、お前何か知ってるか」

「いえ……わたしも、見たことないです……」


 背丈を変える死霊なら知っているが、こんないかにも死霊らしい怪奇現象を起こせる死霊は初めてだ。何か彼の中で変化があったのだろうか。それともわたしが知らなかっただけなのか。


「ハルトくん自身は、とく変わりないんですか」

「うん、全然ない。超元気。てかなんだろ、本当に俺の中にあった内なる力が目覚めたのかね。世界を救う選ばれし者だったのかね、俺って」

「男の子ってそういう発想になりやすいですよね」

「夢くらいは見たっていいだろ。でもコレ、あんまよくない方向に進んでいそうな気はするよ。普通に危ねーし。嫌な予感がビンビンする」


 ちなみにハルトくんの嫌な予感の感じ方はというと、うなじの毛が逆立つらしい。猫みたいだ。でもわたしも、ここにきて突然顕われた能力には歓迎よりも不穏さを抱く。はっきり言って、ここ最近のわたしたちというのはまったく進捗がなかった。


 彼が地縛霊である以上は、どこに移動しようにも暖簾に腕押しで、忘却の彼方に流れた記憶も糸口が見えず、これといった手立てもなく。綺麗なまでに手詰まりだった。加えて、橘さんが帰るお彼岸の終わりも刻々と近づいている。彼が帰ってきたら、ハルトくんは十中八九というか、まぁ間違いなく除霊されるだろう。そうした中でのこの現象の発現は、問題をより厄介なものにさせるような気がしてならなかった。


「何かこう……ストレスとかが働いたんじゃないですか。お祓い屋さんに祓われたくないがための防御本能というか、そんな感じで」

「そりゃ確かに除霊に関しちゃまだ覚悟できてないけど……、だからって抵抗するつもりはさらさらなかったぞ。あくまで腹が決まっていないだけで、祓われても仕方ないとは思ってきたし。ていうかコレが出せるようになったのって、黄泉野が俺に関わったのが原因じゃないか?」


 黒い瞳を向けられて、わたしは頭の上に疑問符を浮かべる。いまいちな反応の薄さにハルトくんは「いやだって」と言葉を足した。


「コレが出せるようになったのもお前と関わってからだし、きっかけは絶対そこにあると思うんだよ。あと最近なんか若干空腹も感じるし……。これも今まで一度もなかった。もしやお前には死霊に何かしら影響を及ぼす力があるんじゃないか」

「ないですって、そんなの。わたしはただの視えるだけの一般人ですよ」

「いやいやいや、霊感あるにしても、普通の奴は()()()()()体に巻き付けてねーよ」


 彼の視線がわたしの体全身をなぞる。そんなもんって……あのヤバイやつのことか。


「まだ取れてませんか、それって」

「取れてない。がっちり絡んでる」

「どうやったら取れるんでしょうねぇ」

「お寺に行ったらどうだ? それか知り合いの……今現在除霊しまくっているっていう人に頼めばいいんじゃね?」


 でも橘さんも視えていないみたいだったんだよね……。


「とにかく、こんな変化が起きた以上は、俺たちはもっと慎重になるべきだ。というわけでお前は明日ここに来るな。なんなら祓い屋を呼びなさい。お願いします」

「えっ、ちょ、なんで急にそんなことになるんです」

「顔色が悪い」


 ハルトくんはわたしを見て、神妙に言った。


「風邪が長引いているだろ。そんな状態で死霊と関わり続けていたら、()()()()()()()。治るものも治らなくなる。お前が俺から離れたら、この謎の能力も引っ込むかもだし、お前もお前で体調が回復できる。互いに損はないだろ。ここらで少し距離を取ろう。俺たちはこの数日で近くなり過ぎた」

「はぁ……でもどうして、祓い屋を呼べだなんて」

「いやだって、ぶっちゃけ無理な気がしてくるだろ。この収穫のなさで。黄泉野には悪いが、俺はこっから成仏できる気がまったくしない。そりゃ手伝ってもらえるならワンチャン望みがあるかもとは思っていたが、とどのつまりは自分の問題なんだ。俺にはここから離れられない――離れることの許されない罪があるんだよ」


 地縛霊である前に、怨霊だから。――と彼は言った。


「もしかしたら、事故に遭う直前の俺は、誰かにものすごく腹を立てていたのかもしれない。悲しいことがあったのかもしれない。きっと怨霊認定されるほどだから、尋常じゃない感情を持ってたんだろうよ。だったら――尋常じゃない俺は、このままここにいた方がいいと思うんだ。誰かを傷つける前に祓ってもらった方が世のためだとも思う。だからお前が祓い屋を呼ぶんなら、俺もちゃんと腹を決める。もう俺はそれでいい」


 それは、潔いことだけど、急だった。わたしは「で、でも」となぜだか慌てて言葉を探してしまう。


「家族には、会いたくないんですか。このまま独りで消えても……いいんですか」

「ヤだよ。家族には会いたいさ。会って、もし伝えられるなら、謝りたい。母さんに謝りたい。……急に消えてごめんって」


 ハルトくんの顔から表情が消える。


「戻りたい。やり直したい。リセットしたい。会いたい。笑いたい。腹一杯にして眠りたい。でも無理なんだ。無理なんだよ。俺はもうそっちに戻れない。境界を越えている。だったら――せめて邪魔にならないように、平和を崩さないように消えるべきだろう。それしか死霊には、できることないだろう?」


 風が唸る。

 軒先の植木が嵐みたいに揺れている。


 わたしは、彼から視線を逸らすことができない。

 ハルトくんは仄暗い目でわたしを見据えている。「それとも」と続けた。


「黄泉野には何かこの状況を打開できる手があるのか。思いついたのか。死者を蘇らせるような術でも持ってんのか。あるなら是非ともかけてほしいよ。俺を生き返らせてくれ」


 不意に一歩、二歩とこちらに歩み寄ってくる。なんだか、おかしい。彼ってこんなこと言う人だっただろうか。


「は、ハルトくん」

「ごめん。怒ってるわけじゃないんだ。ただどうしたらいいかもう分からない。……お前はいいよな、黄泉野。そっち側で」


 わたしの前に立った彼は、おもむろに手を伸ばす。小瓶の一輪挿しにしたのと同じように。


「なぁ、黄泉野――俺は一体、誰を怨んでるんだろうな」


 その虚ろな眼差しを前にして、わたしは今さらながら寒気が走った。いつの間にか体が動かない。声も出ない。


 ああ、これは、マズい。


 深く澄んで綺麗だと思っていた黒瞳を通して、深淵を覗いてしまったような気がする。


 絶妙といえば絶妙で、風の悪戯が窮地を救った。


 ざあっ、と一際強い風が吹き抜ける。視界の端から何かが飛んできたと思ったら、スコーンっと勢いよく頭に当たった。弾みで金縛りが解け、わたしはその場に尻餅をつく。


 なんだなんだと傍に転がってきたものに視線を落とすと、細い枝葉だった。顔を上げてさっきから視界の端にあった人家の植木を見るが、そこのものかは分からない。でもとにかくまぁ……助かったかも。


「ご、ごめん、ハルトくん。話の途中で」


 わたしはフラつきながらも慌てて立ち上がって、彼を見る。ギョッとした。


 ハルトくんは、色をなくして硬直していた。


 あかたも人を手に掛けた罪人のような顔をして、わたしに伸ばしていた掌を見つめていた。


「………………俺、今なにしようとしてた?」

「…………わ、分かりません。でもなんか、様子は変でした」

「…………だよな。俺も今、なんか変だった」


 唸っていた風が止み、沈黙が降りる。

 彼は見つめていた掌でぎこちなく額を覆い、長く深い吐息を漏らした。


「ごめん。俺ちょっと頭冷やすわ。自分が何言っていたのか分かんねぇ。今日はもう解散しよう」

「ハルトくん……」

「黄泉野も、ふらふらじゃんか。絶対なにかおかしい。ていうか俺のせいだわ。うん。俺のせい。――ああ、そうだ。俺のせいなんだわ」


 最後にどこか腑に落ちた様子で零れ出た呟きが、引っかかる。


「それって、どういう……」

「ごめん。もう帰ってくれ」


 訊ねる前に、彼はわたしの前から姿を消した。


 電柱の前には、わたし一人がぽつんと残された。


***


 ――その後、どうやって帰ったのかは、正直あやふやだった。なんだかハルトくんとの一件で嫌に緊張したせいか、はたまた風邪が最盛期を迎えたのか、体が重くて力が入らなくて、意識が朦朧としていた。


 ようやっとヒイラギ荘に辿り着いたまではかろうじて覚えているのだけど、それっきり。


 気がつくとわたしは、布団に寝かされていた。


「……?」


 薄ら瞼を開けて、視線を巡らせる。自室ではなかった。布団の下は畳――、ああ、そう。ここはたぶん、あのハート部屋になっていた客間だ。


「七瀬ちゃん」


 ふと、何日ぶりかに聞く声が、上から優しく振ってくる。


 そちらを見ると、枕元に橘さんが座っていた。ひと目で、これはまずいなと思った。出会ってからまだ一度も見ていない顔をしていたからだ。


 彼は、冷やかに、激怒していた。


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