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5:小さいおじさん

「――で、これが従業員の体に張り付いていた変質者だと」


 サービスカウンターの一角で事情を聞いた橘さんは、腕を組んでそう呟いた。わたしはまなじりを上げて強く抗議する。


「そうです! わたしと春子さんの体にへばりついていたんですっ。痴漢ですよ、痴漢! なんとかできないですか⁉」

 サービスカウンターには従業員全員が集まっていた。痴漢騒ぎを聞きつけて召喚された橘さんと一応警護のために呼ばれた大地くん。お客の数も少ないのでレジを止めたゆかりちゃん。そしてわたしと春子さんでカウンターの上に座している変人を見下ろす。


 空き缶くらいに小さい変態おじさんは、護符を全身に巻き付けられて神妙に正座をしていた。見た目でいえば四十代ほどで、やった所業とは裏腹に仕立ての良いスーツをピシリと着ている。神経質そうな顔には銀縁眼鏡をかけて、バリバリのエリートサラリーマンといった風貌が窺えた。正直、痴漢男のイメージと全く結びつかない。彼は毅然とした面持ちでこちらに顔を上げると渋い声で言った。


「君たち、証拠もないのに私を疑うのはやめなさい。私は痴漢などしていない。ただ背中に潜り込んでいただけじゃないか」


 自白してますよ。


「春子さんの胸に飛びついたでしょう。わたし、見てましたからね」


 わたしは腕を組んで変態おじさんを睨む。変態おじさんは短く嘲笑した。


「私が好きで彼女の胸に飛びついたとでも? だとしたらとんだ誤解だ。第一に、私は熟女の胸など好きではない。あれはただの緊急避難だ。化粧で自分を塗り固めた女に興味はない」

「あらぁ、面白いこと仰りますなぁお客さん。ほんならそれが最期の言葉でよろしいおすな」

「ちょちょちょ、待ってください春子さん! 落ち着いて!」


 わたしは咄嗟に、微笑を浮かべながらまだ封の切られていない『伯方の塩』一キログラムをおもむろに小脇に抱える春子さんにしがみつく。『伯方の塩』は悪質客を退散させるためサービスカウンターに常備している防犯アイテムだという。ちなみに塩ならなんでもいいらしい。春子さんは首をかしげてわたしを見た。


「どないしたん? 七ちゃん。これ以上この霊と話すことやこある? さっきまで背中に入られて悪いことされてたやないの」

「そ、そうですけど、ほらもっとこう……なんでこんなことをしたのかとか、いろいろ話を聞いた方がいいんじゃないですか。死霊の悪さは成仏できないからするものだって橘さんも言ってましたし」

「え? 俺そんなこと言ったっけ? いつよ?」


 ええい前に言ってたでしょうが。


「かまへん、かまへん。こういうんはゴキブリと一緒で、出てきたら即退治するんがセオリーなんや」


 春子さんは安心させるようにわたしに笑いかけて、軽くウインクしてみせる。


「とくに若い子と比べて熟女呼ばわりする悪質な霊ほど滅されるべきやね。抹殺しちゃる」


 容赦ないなこの人。


「つーか、春子さんのことは百歩譲って事故として、いつから七瀬ちゃんの背中に潜っていてたんだ? 七瀬ちゃんは俺らとずっと一緒にいたし、憑くタイミングなんてなかったと思うんだけど」

「それなら今朝、彼女が招いてくれたぞ」


 橘さんの言葉に変態おじさんが口を挟む。全員の視線がわたしに集まった。わたしはギョッとして急いで首を横に振る。


「い、いやいやいや! ないです! こんな変態おじさん今まで見たことないしっ」

「私の名前はタジマだ。君、今朝部屋の窓を開けて手招きしてくれただろう。忘れたのか」


 言われて今朝のことを思い出す。そういえば何か変なものが見えて窓は開けたけど、手招きしたのはあくまで白猫だ。間違ってもこのおじさんじゃない。


 橘さんは額に手を当て、はぁぁぁぁぁあ、と肺ごと落ちそうな重い溜め息を吐いた。


「なんっで招いてんだよ七瀬ちゃんッ! 俺言ったよね⁉ 絶対おいでおいでしちゃダメって言ったよね⁉ 言ったそばから招いたの⁉ 何してんのかね君はッ」

「わ、わたしが手招きしたのは猫です! おじさんじゃありません!」

「おじさんも猫でも一緒なの! 無闇に結界を崩すようなことしちゃダメなんですぅ! くっそ、俺には過度な接触をするなって契約させておいておじさんには許すのかよ。俺だって七瀬ちゃんに触りたいのに……っ」


 おい。


「あ、あんのぉ――○×□△&○?」


 つと、それまで黙っていたゆかりちゃんが何かを零す。色白の顔をすっかり青くして大地くんの背中に隠れていた。あまりに饒舌な東北弁のせいで途中から何を言っているのか分からなかったけど、怯えて困惑していることは見てとれる。大地くんはゆかりちゃんをチラリと見ると、代わりに翻訳してくれた。


「どうしてその人は、そんなに小さいのかって訊いてるっス」

「……なんで金城さんの言ったこと分かるんですか、柏木さん」

「自分も東北の出身なんでなんとなくっス。あと自分と金城には敬語いいっス。七さんの方が年上なんで」


 七さんって言ってもらえた。なんかちょっと嬉しいぞ。


「死霊は言い換えれば思念の塊やさかいね。形はいくらでも変えられるもんやわ。大方、専門屋とかに見つからへんように背を小さくして悪さしてたんとちがう?」


 とりあえず『伯方の塩』をカウンターに置いた春子さんが説明してくれる。


「こういう形態の霊は世間でも都市伝説や怪談でもてはやされるさかい、よう知られてるで。とくにこの霊の場合は都市伝説の『小さいおじさん』そのものやね」

「小さいおじさん……?」


 わたしは首をかしげる。春子さんは「あら知らへん?」と片頬に手を当てた。


「二〇〇九年あたりに一時期流行った伝説や。小さいおじさんは身長十五センチほどで、風呂場や部屋の窓に張り付いとる、妖怪とも妖精ともつかへん存在なんやて。まぁ具体的な行動はまちまちで、人が疲れたときに見る幻覚やとも言われとるけどなぁ」


 風呂場に張り付く妖怪か妖精の類い……。


 わたしはさっきから神妙に黙りこくっている変態おじさんことタジマさんに胡乱な眼差しを向ける。


「……今日このままわたしが気づかなかったら、風呂場も覗くつもりだったんですか」


 タジマさんは銀縁眼鏡を光らせてキリリと顔を上げた。


「私は見守ることを第一にしている人間だ。君がそう思うのであれば、そうなっていたかもしれない。これでも過去に何人か一人暮らしの女子高生宅にお邪魔してきた。女子の生活スタイルにはある程度見識があるつもりだ」


 ゆかりちゃんが化け物でも見るかのような顔をして後ずさる。妖怪か妖精かは選択外になった。


「成仏する気はないんですか?」

「成仏したいから今、己の欲を満たそうとしているんじゃないか。ちなみに君のバストとブラの色は把握させてもらっている。あと背中のホクロの数も。大丈夫、他言はしない」


 傍らで橘さんが素早くポケットからメモとペンを取り出す。わたしは彼の脛を思い切り蹴った。橘さんはメモとペンを取り落としてその場でフラミンゴみたいになる。しばらく動かなくなった。


「で、結局この霊どないするん? 祓ってええならうちが祓うで」


 腕を組んだ春子さんが話を戻す。


「たとえ七ちゃんが招いたとはいえ、背中に潜り込んで痴漢行為をした挙げ句、うちには熟女呼ばわりの厚化粧ババアと罵った始末や。大目に見るにしても、手ぶらで帰すのはあかんやろう」


 そこまで罵ってはないんだけどなぁ~。


「自分と金城はまだ見習いなんで春子さんに任せるっス。七さんは」


 大地くんに振られ、わたしはちょっと考える。もちろんタジマさんの行いは許されざるものではあるのだけど、だからって早々祓ってしまっていいのかといえば、躊躇いが出る。


「……そもそも、どうして背中に張り付いていたんですか。見守ることを第一にしているなら、直接張り付かなくても部屋に隠れたり、鞄に紛れ込んでいたりできたでしょう」

「それではダメだ。見守りが足りない。尻ポケットや背中くらいがちょうどいいのだよ。君には分からんと思うがね」


 タジマさんはやれやれと肩をすくめてみせる。やっぱりさっさと祓ってしまってもいいようだった。


 背中のみならず尻まで触っていたのかと思うとブルリと寒気が走り、わたしは黒パンツの尻ポケットの辺りを手でさする。その拍子に、あれ、と気づいた。


「なんかポケットに入ってる……」


 ポケットから取り出してみると、白い小花の刺繍がついた可愛らしいヘアピンだった。隣から春子さんが覗き込んでくる。


「あら七ちゃん、それどないしたん」

「いや……なんでしょう。わたしも知らないものです。初めて見ました」


 わたしは眉をひそめてヘアピンを裏返す。値札のシールがまだついたままだった。十中八九、ここに置いてある商品である。さっきのアクセサリーブースのものだろうか。でもこれを手に取った覚えも、ましてや尻ポケットに入れた覚えもない。と、なれば――。


「ほー、万引きですか。いい度胸してますね」


 ようやくフラミンゴから回復した橘さんが低い声で言った。


「言っときますけど、うちは万引き撲滅を目指す店なんで、万引きしようとしていたんならそれなりの対応をしますよ。従業員の身体に接触したことと併せて」

「……金は犬の霊に追われている際に落とした。だからそう思いたければ思えばいい。言い訳はしないさ」


 タジマさんはとくに動じる様子もなく真っ直ぐ言い切る。


「ただもう後悔したくないからそうしたまでだ」


 橘さんが僅かに目を細めた。わたしも眉をひそめる。何を後悔したくないんだろう。


「それより、別室にでも連れて行くのならこの護符を剥がしてくれないか。さっきから体が痺れて堪えているんだ」


 つと神経質顔から不快そうに表情を崩したタジマさんは正座したまま小さく身じろぎする。橘さんは春子さんをチラリと見た。春子さんは一瞬口をひん曲げたけど、諦めてタジマさんから護符を剥がす。その瞬間、


「とうっ」


 謎のかけ声を残して。

 

 タジマさんはカウンターから消えた。


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