雑文青春「泳げ泳げ泳げ!たいやきくんPart2」
なんかこれを書いていたらタイミング的に他の人と被った・・。
むーっ、以心伝心?と言うか後出しになった私がパクリと言われてしまうのか?
でも私の作品はヒューマンだからっ!コメディじゃないからっ!
その少年は泳ぐのが下手だった。いや、下手と言うより体質的に無理だった。何故ならば少年は世界で333人しか発症例がない『皮脂欠乏親水性皮膚症』という特殊な皮膚病を患っており、長く水に浸かっていると皮膚が水をスポンジのように吸ってしまい溺死体のようにぷくぷくになってしまうのだ。
おかげで水中で抵抗は増すわ、体重は重くなるわで徐々に沈んでしまうのである。因みに雨に濡れたくらいならば直ぐ拭き取れば発症はしない。
お風呂も短時間のシャワーくらいならば大丈夫だ。しかし湯船にゆっくり浸かるのは無理である。
もっとも発症してもタオルでぐりぐり拭えば忽ち水分は抜けてゆく。但し水分が抜けた後は皮膚が張りを取り戻すまでヒキガエルのような状態になってしまうのが少し情けなかった。
また、仮に放置しても1時間もすれば勝手に水分が抜け元通りになるので、厄介な病気ではあるが濡れたからと言って命に関わる事がないのがせめてもの救いである。
しかし科学は偉大だった。なんとこの病気を患った者たちの為に専用の防水クリームが外国で開発されたのだっ!このクリームを全身に満遍なく塗る事によって患者たちは長時間水に浸かる事が可能になったのであるっ!
但しそのクリームには国外持ち出し禁止の材料が使われていた為、日本に持ち込む事が出来なかった。
なので少年の両親は彼をその国に留学させた。そして少年が夢にまでみた水泳を思う存分体感させようとしたのである。
そして元々がんばりやさんだった少年は自由に泳げる喜びからめきめき水泳が上達し、なんとその国の100メートル自由形の国内記録を破るまで上達したのである。
だが、残念ながらルール上、防水クリームを塗った状態での記録は公式なものとして扱ってもらえなかった。
しかし大会で競争した水泳仲間たちは少年の病気の事を知っているので、少年の記録を貶める事はなかったのである。
それどころか、繰りあげで優勝したライバルは自分が得た金メダルを少年の首にかけ取材陣のカメラの前で「彼こそが本当の勝者だっ!」と宣言した。
このエピソードは割りと反響を呼び、国内ルールだけでも特例を作るべきではないかという声が挙がった。
しかし防水クリームが水の抵抗を少なくしているのは事実であり、少年もその事は理解していたので新聞へ丁寧な説明コメントを投稿し『平等こそが競技を神聖なものに高めている』と発言し、自分への特例運動はスポーツへの冒涜になるので止めてほしいと訴えた。
だが、だからと言って少年は頂点を目指すのを諦めた訳ではない。なので次回の大会では仲間たちに400メートルメドレーリレーに自由形の選手として出場したいと申し出た。勿論防水クリームなしの状態でだ。
因みになんで単独の100メートル自由形ではなくメドレーリレーを希望したかというと、たまたまメドレーリレーの自由形担当選手が怪我で出場出来なくなったからだ。
しかし、少年の申し出に殆どの仲間たちは無茶をするなと少年を諭した。だがひとりだけ少年の力泳 (りきえい)をもってすれば、100メートルならば皮膚が膨張しだす前に泳ぎきれるかも知れないと発言した。
因みに少年の100メートル自由形の最高タイムは48秒ジャストだった。これは極東の島国の国内記録よりも0.05秒速い。
だがそれでも『皮脂欠乏親水性皮膚症』を発症するには充分過ぎる時間であった。
とは言え400メートルメドレーリレーならば自由形は一番最後に泳ぐ事になる。なので泳ぎきった後に仲間がプールに飛び込んで沈む少年を引き上げても試合には影響がないはずだ。
いや、他の選手がまだゴールしていなければ失格扱いになるのだがそこは幾らでもやりようはあるはずだった。仮に失格となって記録には残らなくても『記憶』には残るはずである。
なので結局みんなは少年の希望を受け入れた。
「ok、タイヤキ。やろうぜっ!だがやる以上はトップを目指すっ!」
「ありがとう、みんなっ!僕もがんばるよっ!」
出場を認めてくれた仲間たちに少年は感謝の言葉を贈る。因みに少年のフルネームは『柳沼 帯 (やぎぬま たい)』と言うのだが、この国では名前と名字は日本とは逆に綴るので、ここでは少年の名前は『帯 柳沼 (たい やぎぬま)』と表現される。
そのせいか少年は仲間たちからニックネームとしてフルネームを短縮させた『タイヤキ』と呼ばれていたのである。
因みに『ギ』を『キ』と発音しているのは単に発音しづらかったからである。
その後少年は大会までの期間中、毎日長時間の遊泳により水を吸ったスポンジ状になった体を南国の強い日差しを浴びて熱い鉄板のようになったプールサイドへ寝転び表皮内の水分を強制蒸発させながら練習を重ねた。
勿論少年は「いやになっちゃうな。」などと愚痴を言ったり、仲間と喧嘩して海に逃げ込んだりしなかった。
だが、どうしても残り10メートルで『皮脂欠乏親水性皮膚症』が発症してしまいタイムは伸びなかった。
なので少年は悔しそうな表情でみんなにメンバー交代を申し出る。しかし仲間たちはキツイ言葉で少年を叱る。
「おい、お前は嘘つきだったのか?出来ると思ったけど出来ないからやめますって言うのか?そんな軽い気持ちで出場したいなんて言ったのか?しかもその辞退する言い訳が俺たちに迷惑を掛けたくないからなんて言うのか?」
「そんなっ!僕はただ・・。」
少年は仲間たちの言葉の裏にある厳しくも優しい励ましに気付いて言葉が止まる。そう、団体競技においてみんなの足を引っ張るからなどという言い訳は通用しないのだ。
それも込みでみんなで一丸となり戦うのが団体競技なのである。そして記録が伸びない者の分は他の者たちが少しずつタイムを削る事によって補おうとするのが団体競技なのだ。
そして大会当日、仲間がそれぞれに削ったタイムと少年のガッツによって少年たちのチームは予選と本選を勝ち抜き決勝へと進出した。
だが、回を重ねる毎に少年の『皮脂欠乏親水性皮膚症』は発症するタイミングが早くなっていた。これは多分時間的に抜け切れていない水分が累積した事と、緊張と疲れから少年のメンタルが少しづつ崩れ、その事が発症速度の促進に繋がってしまったのかも知れない。
なのでチームコーチは決勝では少年は100メートルの半分くらいから症状が出てしまうだろうと予測した。そしてその距離で発症してしまっては、決勝まで勝ち上がれる実力を持つ他のチームにはどう足掻いても勝つ事は出来ない。
だが、この事は仲間たちも薄々気付いてはいたが誰も口にはしなかった。それどころか自分が更にタイムを削ってやるという闘志に燃えていたのだ。
そしてそれは少年も同じであった。そう、少年はもう弱音など吐かなかった。発症する時間が早まったのならば、その前に更に距離を稼げばよいだけだと自分を奮い起こしたのである。
そしてとうとう400メートルメドレーリレーの決勝が始まった。
因みにこの国のメドレーリレーは男女混合ではない。なのでメンバーは全て男子だ。そして泳ぐ順番は第1泳者は背泳ぎで第2泳者が平泳ぎ。第3泳者がバタフライで最終泳者が自由形だった。
因みに自由形は自由と言っても先の3種の泳ぎ方と被ってはいけないルールになっている。なのでクロールで泳ぐのが普通だ。
更に今回の大会で使用されているプールは国際規格に合格している50メートルプールなので、それぞれの泳者は行って戻ってくる事になる。
つまり現状では少年は戻りの50メートルをぶくぶくに膨れ上がった体で泳ぎきらねばならないのである。
そしてとうとう決勝に進出した8チームの第1泳者がスタート台の後に並んだ。
だがメドレーリレーでは一番最初の泳法は背泳ぎなのでスタート台上からは飛び込まない。なので選手たちは次々と足からプールに飛び込みプールの中でスタートの合図を待った。
ピーっ!
スターターの笛の合図により第1泳者たちはスタート台に装備されているバーを握り進行方向に対して背を向けてスタンバイする。
そして「Take your marks(テイク ユア マーク)」という号令で選手たちはスタート体勢に入り、スタートの合図であるピッ!という電子音と共に一斉にプールの壁を蹴ってスタートした。
因みにスタート直後および折り返し後に潜水状態で進める距離はどの泳法でも15メートル以内と決まっている。その目印としてプールに浮かぶコースブイは15メートルで色が替えてあるのである。
では何故そんな規制があるのかというと、これは潜水状態の方が、水面を泳ぐよりも水の抵抗が少なくなり、尚且つドルフィンキックなどの推進力を無駄なく使える為、スタート直後にスピードを乗せやすくなり潜水が得意でない選手に対して不公平となるのを防ぐ配慮からだ。
もっとも本当の理由は、この方法を極めた選手が45メートルほどの距離を潜水状態で泳いで金メダルを取ってしまったからである。しかもその選手が日本人だった為に欧米の人々が憤慨し、規制してしまったのだ。
そして決勝ともなると殆どの選手は15メートルラインぎりぎりまで潜水し自身の速度を上げようとする。そしてなんと一番最初に15メートルラインで頭を水面に出したのは少年のチームの選手だった。
とは言え2位以下のチームとの差は僅かである。そしてどのチームの選手たちも実力は拮抗しているのだろう。なのでみんなが譲らぬ状態で50メートルを泳ぎきりターンしてきた。
しかし、ここで少年のチームの選手はターン後の15メートル潜水域を利用して少しだけリードを広げた。そしてそのま第1泳者のゴールであるスタート地点の壁に一番でタッチした。
その瞬間、今度はスタート台上で待ち構えていた第2泳者がプールに飛び込んだ。それに続くように各チームの第2泳者たちもスタートする。
そして第2泳者の泳法は平泳ぎである。勿論全ての第2泳者もルールの範囲内である15メートルラインまでは潜水で速度を上げようとした。
しかしここで少年のチームに暗雲が立ち込める。何故ならば少年のチームの隣を泳いでいる選手はこの国の平泳ぎ競技100メートルと200メートルのチャンピオンだったからだ。
なので少年のチームの第2泳者はぐんぐん隣の選手に追い上げられた。だがターン後の80メートルラインまでは何とかトツプをキープする。そして最後には抜かれたもののトップと0.2秒差で次の泳者にレースを引き継いだ。
そして次なる第3泳者の泳法はバタフライである。この泳法は中々ダイナミックで見ている分には面白いのだがやる方としては著しく体力を消耗する泳ぎ方らしい。
そんなバタフライの泳ぎ方とは両腕を同時に前後に動かし、また両脚も同時に上下に動かして前に進むのがルールだ。
なので逆に両手両足をバラバラに動かすと失格になる可能性がある泳法である。因みに両手両足を別々に動かす泳法は『クロール』と呼ばれている。
そしてこのバタフライでも別のチームの選手が国内記録保持者だった。なのでトップの順位がまたしても入れ替わる。
そして残念ながら少年のチームは3位に後退してしまった。しかしそのタイム差は僅差だ。その程度の差ならば最後の泳法種目である自由形で国内記録を持っている少年ならばひっくり返せる差であった。
だが、少年がその記録を出した時は、防水クリームを使用していた。しかし今回少年は防水クリームの使用なしで挑戦しようとしている。
更に少年には防水クリームなしで水に浸かり続けると皮膚が水を吸ってぼよぼよになる病気を抱えていた。
この事より少年のチームがこの大会で優勝するのは既に絶望的である。しかし少年はあきらめていなかった。なので前半の50メートルでぐんぐんとトップとの差を詰め暫定の2位まで迫る。
だが50メートルを泳ぎきりターンした頃から少年の体が急速に膨らみ始めた。そう、『皮脂欠乏親水性皮膚症』が発症しだしたのだ。
それにより水の抵抗が増した少年の体はみるみるうちに速度を失ってゆき6位にまで後退する。だがそんな少年に対して会場から大声援が巻き起こった。
「がんばれ!タイヤキっ!」
「タイヤキ、がんばれっ!」
「泳げ、泳げ、泳げっ!」
その熱き声援は神をも動かしたらしい。そう、この時会場にいた者たちは奇蹟を目にしたのだ。
その奇蹟とは少年の体の変化である。なんとあんなにぷよぷよだった少年の体が『タイヤキ』から『マダイ』へと変化したのだっ!いや違う。少年は『マダイ』ではなく魚類の中では最速と言われている『バショウカジキ』へと変化していたのである。
勿論これは幻なはずだ。そもそも人間が『タイヤキ』や『バショウカジキ』に変化する訳がない。
しかし『バショウカジキ』になったように見えた少年はぐんぐんと速度を上げて5位、4位と順位を上げていった。そして残り15メートルラインを示すブイを越えた時には2位の選手をも追い越した。
だが残りの距離は僅か15メートル。現在トップの選手とて国内屈指のアスリートである。なのでそう簡単には追いつけないはずだ。
しかしそれでも少年は力の限り泳ぐ。そして最後のひと掻きの瞬間、少年は思いっきり手を伸ばしプールの壁にタッチした。
その瞬間、会場は静まり返った。何故ならばトップを泳いでいた選手と少年との差は肉眼では殆ど同時に見えたからだ。
なので勝負の結果はビデオ判定に持ち越された。
そして待つこと数十秒。会場の掲示板に順位が掲示された。その瞬間、会場には感嘆の声と盛大な拍手が巻き起こり、その興奮が数分続いたのであった。
果たして少年は本当に『バショウカジキ』に変化したのだろうか?仮にそれが本当ならば口さかない者たちからルール違反だと罵られまいか?
いや、仮に変化が本当だったとしてもそれは神のチカラによるものではないはずだ。そう、少年の努力と気概が少年自身を最速の泳者に変化させたのだ。
そしてそれを後押ししたのが仲間たちのサポートであるのは明白である。
本来奇蹟とはそうゆうものなのだろう。ただ事情を知らない者たちにとっては、信じられない事なので人々はそれを神の奇蹟と呼び納得しようとするのだと思う。
しかし今回、本当に奇蹟は起こった。だが繰り返しになるがそれは神のチカラによるものではなく、少年たちの努力と気概と情熱の熱量が少年を最速の泳者に変化させたのだ。
そして時は過ぎ、少年は水泳は趣味にとどめ医療研究の道に進んだ。
そう、少年は研究者たちの努力により防水クリームという奇蹟のような薬を得て自由に泳ぐ楽しさを知った。
故に今度は自分が様々な病気で夢を断念している子たちを助ける番だと考えたのだ。
これは自身の身を貧者に分け与えたという伝説のタイヤキの逸話にも通ずる話だ。もっともこれは少年にとって予め決められていた人として道なのかも知れない。
何故ならば大人になった今も、彼のニックネームは『タイヤキ』だったからだ。
そう『がんばれ!泳げタイヤキ君』とは今も彼を称える名誉ある呼称なのである。
-お後がよろしいようで。-