指の傷
右の親指に傷ができた。
傷といっても大したものではない。血は出ていないし強く触れさえしなければ痛みを感じることもない。ただ、そんなところに傷を作る心当たりがなかったので、何故だっただろうかと気になった。
紙で切ったような細い傷で、色は少しだけ赤い。
同じ場所に怪我をしている人がいることに気が付いたのは、傷に気付いてから三日目のことだ。
自分の怪我と同じところにテープを巻いている人がいたのだ。
それだけなら偶然と思ったかもしれない。しかしそれから数日、 数えて四人同じところに怪我をしているらしい人を見かけて、何か理由があるのかもしれないと、私はそう思い至った。
その中の一人に声をかけてみることにした。
自分の勤める職場で、清掃員をしている年配の男性が、例によって右の親指に絆創膏を貼っているのを見かけたからだ。
布でできた大きな物入れを覗きこむ男性に、失礼と話しかけた。
男性は愛想よくはいはいと返事をした。
「あなた、それはいけませんね。塞がないなんて」
私も同じところに怪我をしたのですよと、そう言うため、口を開くか開かないかの内に、男性はそう言った。
「浅い傷ですから、もうほとんど治っているんです」
「いやいや、それではいけません。悪いものが入ってきてしまう」
「ばい菌ですか」
「そうですね」
清掃の仕事は水も扱う。手元の傷には敏感なのかもしれないと思った。その割に男性の貼っている絆創膏は簡素で、防水性のなさそうなものだ。端は黒くなって剥がれかけている。
「この傷はね、伝染るんですよ」
親指だけ突き上げるようにして、男性はそう言った。話振りはどこか嬉しそうであった。
「あなたも早く、伝染してしまいなさい」
後日見かけた男性の手には何も貼られていなかった。
私の右手には今、防水性の高い絆創膏が巻かれている。