さよなら鄒靖将軍
劉備達の活躍もあり、黄巾賊の脅威は幽州から去った。
しかし、依然として漢は賊の蔓延る地であることに変わりは無かった。
青州刺史龔景から手紙が届いた。
黄巾軍に城を囲まれているので助けてほしい、という旨の手紙である。
鄒靖の下、義軍は青州の救援へと向かった。
劉備達の救援を知った黄巾軍は、彼らへの構えを取り始めた。
正面から戦っても、勝ち目は無かろうと思われたため、劉備の献じた策で戦うことになった。
決戦の日。
劉備・鄒靖らは兵を率いて黄巾軍に襲いかかった。
しかし、どうしたことか、初陣の時の勢いが見られない。
とうとう、銅鑼を鳴らして退き始めてしまった。
黄巾軍は、
「所詮はただの寄せ集めだ。追撃して相手の士気を地におとせ」
と、勢いづいて彼らを追いかける。
どれほどの距離を追っただろうか、林の中に入り込んでいた。
突如銅鑼や太鼓が鳴り響き、右から関羽の、左から張飛の部隊が飛び出し、黄巾軍に打ちかかる。
この伏兵に痛めつけられ、黄巾軍は総崩れとなった。
こうして青洲も一時の平和を迎えたものの、まだまだ黄巾賊は全国各地に健在である。
劉備は、官軍として戦っている盧植のもとへ行きたかった。
盧植は劉備と同郷であり、短い期間だったが、劉備は盧植の下で学んでいたことがあった。
ただ、流石に鄒靖の下に居るまま盧植の加勢には向かえない。
鄒靖は快くこれを許し、劉備達と五〇〇の兵は、鄒靖軍の下を去った。