表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
8/9

引き継ぎ

「2年かぁ。あっという間だったな」


「初めてお会いした時もちょうど今くらいの時期でしたね」


松原水貴は手許にある書類を、向かって座る女性にそっと手渡し、こう付け加えた。


「担当が変わると言っても、事務所にはいますし。柚月さんはいつもお仕事でお忙しいのに、訪問の時間をいつも合わせていただいて本当にありがとうございました」


「私はいいのよ。仕事と言っても時間くらい自由きくからね」


柚月と言われた女性は、温和な笑みを水貴に向けて、ついで水貴の隣の斎藤スミレに向け丁寧に頭を下げた。


「これからお世話になります。よろしくお願いします」


ひとつひとつの所作の柔らかさが柚月の人柄を物語っている。スミレも居住まいを正して応じた。


「こちらこそよろしくお願いします」


今日は水貴からスミレへの引き継ぎの日だ。一堂は二階建ての一軒家の客間で、テーブルを挟んで2人ずつ座って対面していた。


この家の主、道上拓海は、3年前に営業の外回り中にクモ膜下出血を発症した。急な頭痛を訴えたかと思うとすぐに意識を失い倒れ込んだ。慌てた周囲が救急搬送し、一命こそ取り止めたが、後遺症が残った。道上が50歳の時の話である。


「叔父が……拓海の父がしばらく介護をしてたけど、無理が祟ったんですかね」


「とても大変だったでしょうね。柚月さんが包括支援センターに相談に行ってくれたので、私たちも支援に入ることができました」


柚月の話に神妙に水貴が応じる。水貴達に連絡が入った時は、介護していた父親が亡くなり道上の家が荒れ始め、従姉妹の柚月が途方に暮れていた。子育てはもう手が離れていたものの、家庭を持ちながら仕事をこなす柚月では通いつめての介護は無理があったのだ。


「あの時は本当に助かりました。包括支援センターの人がケアマネさんが行きますって言ったからどんな人が来るかと思ってたら、想像以上に若い人でびっくりしましたよ。今だから言うけど。」


当時を振り返りながらも明るく話すその様子に、スミレは柚月と水貴のあいだの信頼関係を感じ取っていた。


(水貴さんは若く見えるから尚更だったろうな)

とも、スミレは考える。


実際、水貴は30代の後半に差し掛かっていいるが、見た目に年齢を感じさせない。薄めのメイクしかしないが、それが彼女本来の肌の透明感をよりいっそう強調していた。唇にはわずかに色をさし、小ぶりの顔に整った輪郭。32歳のスミレと並んでも遜色ない。そしてあらゆる分野の知識に精通している水貴が教育係を務めてくれていることが、スミレにとっては何よりありがたかった。


肝心の道上拓海は、この間一言も発するでもなく、うつら、うつらと船を漕いでいた。


「また拓海兄さんたら。松原さんも斉藤さんもごめんなさい。きっとまた寝てなかったんだと思います」


道上拓海は53歳。身体付きは精悍でクモ膜下出血の後遺症としては歩く時にふらつきが出てしまう。身体のバランスを調整する機能が低下してしまったのだ。しかしそれを見ただけでは後遺症の残った人だとは気付かれにくいだろう。だが、拓海はもうひとつある問題を抱えていた。


スミレは訊いた。

「引き継ぎでこれまでの話を松原から聞きました。高次脳機能障害が残ってしまっているとか……」


「これがなければヘルパーさんにも迷惑をおかけしないんですけどね」声を落として柚月が応じる。


「迷惑だなんて、そんな」

高次脳機能障害の症状は様々だが、拓海の場合は計画性も何もない衝動的な行動をとることがあり、時間もわからず真夜中に柚月に電話をかけるなど少なからず周囲は振り回されていた。


ヘルパーの訪問も、本人が外出して不在だと提供ができない。予定していた介護サービスが行えないとその分柚月にも負担がかかる。今の拓海の生活を介護のサポートで、自宅で続けることは、想定外のトラブルへの対処も必要になる。


「まずは私も拓海さんとの信頼関係をしっかり作ります」


スミレは力強く請け負った。

水貴と同じようにはできないにしても、自分に出来ることを全力でする。自分にはそうするしかないのだから。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ