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別れの時

「お疲れ様です。我々は今から引き上げます」


松原水貴が番場宅に駆けつけた時、医師は既に死亡確認を済ませていた。往診医が看護師を引き連れ、家の前に停めた車に乗ろうとした時、入れ違いにやって来た水貴の姿を認め声をかける。


「訪問看護も来ていますよ。少し残ってエンゼルメイクをすると言ってましたが…。そろそろ終わる頃合いかな」


「そうですか。今回もお世話になりました」


淡々と医師への挨拶を済ませる水貴。往診医はこの後も往診の予定が入っているのだろうか。病院に戻って書類を作るか、はてさて外来診療に備えるのだろうか。


いずれにせよ、多忙を極める医師を長く引き留める理由もなし。また、引き留めてもいけないだろう。


同行している看護師は医師と水貴が話しているのを横目に見ながらも、運転席に座りエンジンをかけた。改めて往診医は水貴に会釈し、助手席へと乗り込む。気持ちに余裕があれば走り出す車を見送って頭を下げるところだが、今日の水貴はさすがにそんな気にもなれない。


「松原さん」玄関から出てきた息子に声をかけられ、水貴も振り返って見やる。話し声に気づいて息子と嫁が出てきたのだろう。


遺族と向き合う時はいつもどんな顔をして良いか悩む。いろいろな亡くなり方があり、遺族ひとりひとり、その人なりの受け止め方がある。なくなってすぐは気丈に振舞っているものの、時間が経つと悲嘆の気持ちを隠さないようになる人もいれば、その逆もいる。番場の家族は果たしてどうだろうか。表情だけではわからない気持ちなぞいくらでもあるものだ。


「…この度は、ご愁傷さまです…」


水貴は遺族に向き直り、ゆっくりと頭を垂れた。


「…忙しいのに来てくださって…。」


息子はそう言ったきり、何かを言いたいようにも見えたが言葉が継げない様子である。その様子を見かねたか、嫁が小さな笑顔を作り水貴に向ける。「会ってあげてくださいますか?」


水貴に歩み寄り嫁は言葉を継ぐ。「看護師さんがお顔を綺麗にしてくださったところです。義母も喜びます。こんなところじゃなんですから、さ、どうぞ…」


是非もないことである。「お言葉に甘えて…。失礼します」と応じる水貴。息子も黙ったまま振り返り、家の中へ。


「あら」中にいた看護師が水貴の姿を認め、会釈する。そのまま看護師は番場に向き直り言葉を紡ぐ。「番場さん、松原さんですよ」


番場の着ている服は療養中よく使っていた寝間着である。ベージュは番場が好んで着用していた色だ。さりげなくメイクを施された番場の顔は穏やかで、痩せてはいるが生前の優しさも気丈さも、少しも失われてはいない。


看護師の栗原は番場にかけた布団を優しく整え、後ろに下がる。その所作のひとつひとつに水貴は優しさを感じる。水貴が感じる優しさは、遺族にも伝わっているのだろうか。そうであったらいいな、と思いながら、水貴は息子夫婦に向き直った。


「私も、ご挨拶させて頂いても、よろしいでしょうか?」


自分の言葉なのに思うように言葉が紡げずもどかしい。「もちろんどうぞ」という嫁の言葉は優しく、息子は頷いただけで押し黙ったままである。


「番場さん…」と介護ベッドに横たわる番場に近づき、水貴はゆっくりと腰を下ろす。なんと声をかけるのが良いか水貴自身もわからないことなのである。なので水貴は番場の顔をしばし眺めるのみであった。


今までいろいろなやり取りが脳裏に浮かぶ。想いはいろいろと心の中に浮かぶようでいて整理もしきれない。何か言葉として発するだけで、言葉にしないなにかが消えていってしまうような


悲しさなのか寂しさなのか、自分の感情さえもよくわからぬまま


「今までお世話になりました。ありがとうございました」


ようやく発した水貴なりの別れの言葉である。


番場には友達がいる。家族がいる。葬儀には別れを惜しむ者が顔を出すだろう。最期は番場との別れを惜しむ、これまで番場と関わってきたたくさんの人達に見送られて葬儀をするのだろう。これもそうであって欲しいと水貴は願う。


「昨日、『何か食べたいものはない?買ってくるよ』と本人に聞いたんです」


これまで黙っていた息子が不意に口を開き、一同は視線を息子に向ける。


「『アイスがあればそれでいい』と言ってました。『そんなことよりあんたもしっかり食べるんやで』とも…。最期まで、母は、いつも周りのことばっかり気にして…」


息子は話しながら、嗚咽を漏らす。


水貴は番場ともう少し別れを惜しむ時間を取りたくもあった。だが、番場と息子の最期の時間は、誰にも邪魔されるべきではない。


水貴は嫁に介護ベッドの返却について、段取りはこちらである程度整えておきますとさらりと伝え、辞去することにした。栗原も残った手続きについてはできることは相談に乗りますと嫁に伝える。もう介護サービスが相談を受けることはほとんど残っていない


それが領分というものである。

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