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「バケモノ……?」
ますます混乱するイツキを見上げて、アザレアはため息をついた。
「半年ほど前のことでしたわぁ。食事をしに来ていた人たちが何人か、ここで喧嘩になりましたの。ワタクシとアキラはただ偶然そこに居合わせただけなのですけど、」
本当にバカ。
アザレアの低い辛辣な呟きに、カウンター前の“兵器”のうちの数名がうなだれる。イツキはそれに納得したようにうなずいた。
「――それで?」
「マスターが止めても、ローリエが泣いても喧嘩は収まらず……挙句の果てに取っ組み合いになりましたの」
ここで口を開いたのはアキラだった。
「マジであれは怖かったな。――殴り合いになる寸前に、急にドアも開かないのにドアベルが鳴ってさ……出てきたんだよ」
「何が?」
イツキの問いに、アキラはぐわっと両手を広げる。その弾みで吹き飛ばされそうになったルクスは、必死にアキラの髪にしがみついた。
「こーんな感じの――なんだ、顎みたいなやつ」
「正確には、猛獣の頭の姿をした“影”ですわ」
アザレアは手のひらを向き合わせて合わせると、ちょうど動物の顎のようにパカパカと上下に開いたり閉じたりして見せる。
「ドアベルから出てきたと思ったら、そのまま喧嘩してた人たちを丸呑みしましたの!……流石に、周りでヤジを飛ばしていた愚か者たちも静まり返って」
「……それが、修繕師の作ったやつだったと」
イツキはそう言って、ちらりと天音を見る。天音は何故かパチパチと目を瞬かせた。
「あのときのあれは、そういった理由があったんですね……。てっきり防衛システムが誤爆して、皆さんを巻き込んでしまったんだと思ってました」
「防衛……システム」
何やら不穏な言葉に、イツキは目を細める。天音は大きくうなずいて――おもむろにパチン!と指を鳴らした。鋭い音が走り抜ける。
その瞬間
『グワゥ……ワァッ!!』
凄まじい唸り声とともに――
「わあっ!?」
「で、出たっ!」
アザレアやアキラが言った、狼の頭のような姿をした真っ黒な影がイツキの目の前に現れた。
「……なんだ、これは」
鼻先でゆらゆらと軽く上下に揺れるその影を、イツキはぼんやりと眺める。天音はどこか得意そうに言った。
「ですから、防衛システムです」
「……」
横目で説明を促すイツキを見て、天音はその影に近づくと頭をよしよしと撫でる。
「このお店の内部で戦闘行為が発生した場合、店内の治安維持のために暴れているものを捕縛するシステムです」
天音の言葉に応えるように、その影はぐわーっと口を開ける。目の前で呆然とその様子を眺めるイツキ。周りの“兵器”たちは恐る恐るその影を眺める。スグルはまた苦笑した。
「あの時はまさかこんな……ビジュアルのものだとは思ってなかったので焦りましたが、実際役に立ってはくれたので、ありがたいですよ」
「よかったです。術式を組み込んだり、動きをプログラムしたり地味に作るの大変だったので……。引き続き、お店の安全はお任せください」
天音は真面目な顔でそう言うと、影の鼻面をペシペシと叩く。すると影はドアベルの中に引っ込んでいった。飲み込まれた記憶に恐れおののいていた“兵器”たちに、安堵の空気が流れる。
ふと、アキラの目に天音の足元に転がされたままのコンテナが入った。
「そう言えば、先生はマスターにプレゼントを渡しに来たんっすよね?」
ドアベルを見上げていた天音は、アキラの言葉にキョトンと振り返るが――はっと身をかがめると、コンテナの蓋を持ち上げた。
「そうでした。危ない」
忘れるとこでした。天音はそう言うと、箱に詰め込まれた緩衝材の紙玉をかき分ける。
「改めまして。スグルさん、三十二歳のお誕生日おめでとうございます」
顔を上げた天音の細い腕が、何やら重々しいモノを持ち上げてかかげてみせた。




