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※引き続き微流血表現があります
『かはっ……』
お母様の口から、赤色の液体が滴り落ちる。その液体は、私の顔にかかった。ぬめっとした感触と、抱きしめられたときと同じぬくもり。
お母様は何も言わなくなった。
「おかあ、さま……?」
私の声は空虚に消える。
お母様のお腹から、なにかが突き出ている。鋭く銀色のそれは、先端から同じように赤色が滴る。
「……」
ひたすらに、私は困惑した。お母様の体が横倒しになる。お母様に近づいて、その体を揺する。
「おかあさま?」
お父様の手を握る。――おかしいことに、いつもと違って冷たい。
「おとうさま?」
ぺたりと座り込んだ足に、赤色が流れてきて触れる。あたたかい。いつもと同じあたたかさは、何故かここにあった。
『……巫剣 天音』
仮面の男に名前を呼ばれて、私は顔を上げる。目に映ったのは、お父様とお母様の体に刺さっているのと同じ、太い槍だった。
『次はお前だ』
――私が、
こうなるの?
そのことをやっと理解したとき、途端に私はパニックを起こした。
鮮明に視界を彩る血の赤色。握った手の冷たさと、足に染み込むあたたかさ。
それらが、私の恐怖とほんの少しの狂気を増幅させる。
「や……やだ、」
――恐らく、この選択が私にとって一番の罪だった。
素直に死んでおけば良かったんだ。あのとき、お父様とお母様についていってしまえば良かった。
「やだ……やだ」
仮面の男が近づいてくる。槍の穂先が視界をかすめる。五十嵐の高笑い。
――やだ、
しにたくない。
私が初めて、『死』という概念を知り、理解し……すぐ目の前に、それを見たとき
「……私に、近づかないで」
ぶわり……
何かが、体の中から湧き上がるような不思議な感覚とともに、無意識のうちに、そう呟いていた。たったそれだけのことだったのに、
『っ!?』
『何をしている?ガキひとりくらい、早く殺せ!』
誰一人として、私に近づけなくなった。
「私に近づくな……」
「さわるな、話しかけるな……っ」
“私を、殺すな”
――戦線歴2108年 3月4日。
その日は、私の四歳の誕生日であり、私の両親が死んだ日であり……
《神聖な贈り物》が発現した日だった
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「っ!?」
天音は飛び起きた。
息が上がっている。心臓が痛い。
「また、」
――あの夢か……
天音はため息をつく。立ち上がろうと動くと、ベッドが軋んだ音を立てた。
パーテーションを出て、作業場の流しの蛇口をひねる。流水に手を突っ込むと、冷たさが心地いい。
「ふぅ……」
フラッシュバックした血の赤を、懸命に頭から振り落とそうとする。しかし、それはいつだってこびりついて離れない。
「ぅ、」
昼間の出来事のせいか、いつもよりも鮮明に思い出した両親の姿に、吐き気がこみ上げてくる。天音は思わず口元を手で押さえてえずいた。
水を出しっぱなしにしたまま、シンクの縁を握ってしゃがみ込む。視界にちらつく赤色に苦しさがこみ上げる。
「はぁ、はっ……」
必死に息をして体が再現する感触を振り払おうと藻掻く。血液のぬるりとしたあたたかさと、お母様の抱擁。お父様の頭を撫でてくれる手の感触――
「……ぁ」
絶望的に苦しくなって、またパニックを起こしかけたとき、不意に別の感触を思い出す。
『――俺は死なないぞ?』
まるで自分を守ろうとするかのように、抱きしめられる感覚も頭を撫でられる場面も、イツキにされた感触に塗り替えられる。お父様とはぜんぜん違う、優しいのに、どこか適当で雑な手付き。
そして何よりも、機械らしいゴツゴツとしてぬくもりのないひんやりとした手。
少しだけ、吐き気が和らいだ。
「ふ……ぅ」
息を吐き出し、床にぺたりと座り込む。
イツキの言葉は、何故か信用できると思った。――いや、信用したいと言うべきか。天音は自分の肩に垂れた銀髪をそっと指で絡めて握る。
そんな天音を、カーテンの隙間から差し込む月明かりだけが知っていた。
第3章はこれで完結になります!まだまだ続きそうなのでこれからも応援よろしくおねがいします