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機械仕掛けの英雄譚  作者: 十六夜 秋斗
Chapter3,『正義の基準』
87/476

87,

 階下の喧騒が、床から染み出してきているようだった。薄皮一枚隔てた遠い声と物音。微かに機械ランプが灯った薄暗いその部屋は、まるで別世界だ。


『カチャ……カタン、』


 小さな金属音が嫌に耳に残る。イツキは背の低いソファーの上で、閉じていた目をそっと開いた。


 目に映るのは修繕師(リペアラー)の工房。何度か入ったことのあるそこは、相変わらずごちゃごちゃと物で溢れていて、それでいて息を潜めるように落ち着いている。僅かなグリスの匂いは、荒野に面した小さな窓から入ってくる風にかき消された。


「――ふぅ、」


 ふと、後ろから小さく息を吐き出す音と、微かに身動ぎする気配がする。その直後、イツキの裸の背中にゆっくりと触れた小さな手は、この部屋の主――天音のものだった。


 ――天音を庇って刺された傷は、思っていたよりもずっと深いものだった。人間なら間違いなく即死だったであろうその傷を見て、百戦錬磨の修繕師であるはずの天音でさえも、絶句していたくらいだ。


『ごめんなさい。本当にごめんなさい……』


 庇われた自分がいけないとでも思ったのだろうか。

 憔悴した様子で何度も何度も頭を下げて謝る天音を止めるのに、それなりに時間がかかったことを、イツキはぼんやりと思い出す。


 ――びくんっ


 ゆったりと流れていく時間の中、再びイツキが目を閉じかけたとき、突然天音の手が震えて背中の上で跳ねた。イツキは思わず後ろを振り返る。


「どうした……?」


 イツキの声に、天音ははっと顔を上げる。


「いえ……あの、」


 蒼い目がイツキの視線を避けるように不安定に揺れる。ほんの少し口ごもって、天音はふるふると首を横に振った。


「なんでもないです。――ごめんなさい」


 そう言って再び作業に戻ってしまう天音を、イツキはしばらく眺めていたが、やがて小さく息を吐き出すと目を離して前を向く。


 ――なんでもなく無いな


 イツキの背中を、小さな手が優しく撫でる。時折背中に触れる、ひんやりとした金属製の工具や無機質な機械の感触の中で、ひときわ柔らかく温いそれは感じ取りやすい。

 だからイツキは、もうとっくに気づいていた。


 ――まだ震えてる……


 天音の手は、イツキの修繕(リペア)を始めてから、ずっと細かく震えていた。なにかにひどく怯えるような、弱々しい震え。


 今だけじゃない。

 庇われた直後、イツキの体の下で見せた怯えた目も、苦しげに笑っていたカイトを見たときの焦燥に満ちた眼差しも。

 自分が傷ついたわけじゃないのに、自分の体が痛むのかのように天音はずっと怯えている。



「……背中は、終わりました、」


 しばらくイツキが考えを巡らせている間に、背中の傷を塞ぎ終わった天音は、立ち上がるとイツキの前側にまわってくる。


「こっちも診せてください」


 天音の手が視界に入る。ほっそりとした指が肩の裂傷をなぞる。少し顔を上げれば、彼女の眉間にぐっとしわが寄っているのがわかった。

 何を言うでもなく天音は工具を持った手を動かす。いまだに震えているそれは、しかし正確に損壊を直していく。

 しかし、


『ガシャンっ!!』


 ――震える天音の手が、手に持っていた工具を大きな音を立てて取り落とした。

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