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「私は一番最初に、一回だけその人に『助けて』って言ったことがありました。――それからその人はずっと、誰からも嫌われていて、手に負えない問題児だったはずの私を生かし続けてくれた。……もちろん、そんな人間ばかりでは無いし、その人だってそれだけで私の面倒を見てくれていたわけではないと思います。でも、」
カイトが口を挟む間もなく、天音は言葉をつなぐ。
「助けてほしければ、『助けて』と叫ぶしか無いんです。助けてもらえるとは限らないし、こんなにも確率が低くって非合理的な方法はありませんが――これしか無いんです。世界から見放された私たちには」
天音はカイトのナイフを持った腕を掴む。ぐっと背伸びをしてカイトの顔に自分の顔を近づける。
「だから言っているんです。これ以上憎しみを増幅させることに、意味なんて欠片も無いと。憎んだところで助けは来ないんです。復讐を遂げたところで、居場所なんて与えられないんです!」
「……」
天音の叫び。僅かにこだましたそれは、空気に溶けて消えた。
カイトは黙り込む。微かに息を切らした天音は、ただカイトを見つめた。
「それが。君の“正義”、か……」
――しばらくの沈黙の後、そう呟いたカイトの声は小さかった。
「恨み、憎むことよりも――受け入れともに生きることが、君にとっての最善か」
「……はい」
天音は静かに答える。と、カイトが天音を掴む手の力を緩めた。
「――!」
「どうやら、そういうことらしい」
完全に天音から手を離すと、カイトは微笑む。
「わかって、くれますか?」
「うん。完全に理解したよ。――君にとっての“正義”を」
そう言ってカイトは天音の右手をとる。天音はきょとんと首を傾げたが、
――握手……?
そう理解して、彼女はその手をゆるく握る。
「ありがと。気づかせてくれて」
カイトの柔らかい微笑みに、天音も微笑み返す。緊張の解けた空気に、ロビーにいる者たちからホッとしたため息が聞こえる。
――と、
カイトが軽く天音の腕を引いた。
「え?」
その弾みでカイトの方に天音の体が傾ぐ。カイトはまだ笑ったまま。
「……やっぱり、君の“正義”と僕の“正義”は相容れないって……、教えてくれてありがとう」
とびっきりの笑顔。右手に持ったナイフ。――その鋒は真っ直ぐ天音の心臓に向いていた。
「先生っ!?」
“兵器”のひとりが叫ぶ。
にわかにロビーがまた騒がしくなる。
「やめろっっ!!」
アキラが天音に向かって走り出す。しかし、懸命に伸ばされた腕は彼女が死ぬまでには間に合わない。
『ドスッ!』
鈍い音。天音の体に伝わる衝撃。
――ナイフが刺さった。




