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機械仕掛けの英雄譚  作者: 十六夜 秋斗
Chapter16,『英雄たちのエピローグ』
472/476

472,

 閉じられた白銀の睫毛がきらきらと輝いている。

 ――あれから三年が経つ。何も変わっていないが、何もかも変わった。


「いい天気だな」


 どこまでも晴れた空。見向きもしない蒼の瞳は瞼の裏に隠されて、イツキは痩せこけた白い小さな手をそっと握る。


「午後、大元帥が来たいと言っていた。忙しいくせに律儀なものだな」


 寝台の端に座ると、マットレスが深く沈み込んでギシリと乾いた軋む音がする。かさかさと油分を失った冷えた手を親指の先で撫でながらとりとめのない話をする。


「昨日、巫剣の現当主から手紙が来ていた。誕生日の祝いの言葉と、無事に第一子が生まれたことの報告だそうだ。ご丁寧に写真までついていた」


 今はローテーブルに置かれたままになっている封筒の話。


「巫剣の教授からの手紙も一緒に届いていた。近いうちにまた会いに来たいと……他都市の支配者たちからも分厚い書簡が届いている。どいつもこいつも暇人なのか」


 独り言にしては大きな声で、しかし聞く者はいない。それでもイツキは話すことをやめない。


「またお前が細くなったってローレンスがうるさいんだ。頼むからこれ以上小さくならないでくれ」


 もともと細いがより一層小さく細くなった身体。痩けた頬と乾燥して割れる唇。どれだけ必死にケアしても――死体に近い人間の身体は徐々に弱ってやがて朽ちていく。


 ――『もうそろそろ限界だろう……気持ちはわかるがね、覚悟を決めなさい』


 つい先日もセレイネにそう言われたばかりだった。かろうじて生きてはいる。息もしているし心臓の音も聞こえる。体の諸器官は最低限のラインで動いているのだ。ただ目を覚まさない――それだけなんだ。それだけのことなのに、だんだんと静かに衰弱していく。冷たくなっていく手と小さくなる心臓の音と、弱く掠れる呼吸がそれを物語っている。限界が――終わりが近い。セレイネの言ったことは何一つだって間違ったことじゃない。


「今日は、お前の誕生日だ。」


 触れれば壊れてしまいそうなほどに青白くて細い。それなのにその様子すらも美しい。そういう彼女の存在があまりに不思議で、思わずその頬に手を伸ばしていた。


「見た目はまったく変わってないけど……もう二十歳なんだな。おめでとう」


 “首都”の法では二十歳で成人。やっと少女を抜け出したはずの天音は、しかしまだどこか幼い表情のままで眠っている。まるで彼女の周りだけ時が止まってしまっているかのようだ。


「……なあ、」


 平静を装っていた。元来感情が薄い。表情にも出ない。紅い瞳はいつだって冷静で――冷静なはずだったが。


「いつまで寝てるつもりなんだよ」


 ぽろりと零れ出た声には隠しきれなかった感情が溢れている。指先に滲む骨ばった頬はやはり乾ききって、ふにふにと柔く温かかった肌の感触が瞬間、蘇って消える。すりすりと撫でながら、イツキは今日も届かない戯言を吐き続けている。


「もう、戦いは終わった。“兵器”は要らなくなったし修繕(リペア)も不要になった」


 だから帰ってこないのだろうか。役目を終えてしまったから――


「馬鹿だ」


 そんなはずはない。


「まだ、俺にお前が必要なんだよ……」


 イツキだけではない。“兵器”たちも人間たちも、天音に親しかった者たちはみんな彼女の目覚めを待っている。三年はアーティファクトには僅かな時だが、人間には長い。背が高くなったローリエに髭がより目立つようになったスグルは貫禄が出た。腰が痛いとぼやくセレイネ。元老院(セナトス)の面々も的場も、子供ほどではないが少しずつ見た目が変わっている。

 いつまでも待つわけにはいかない。人間の一生は短く――きっと、天音だけではなくすべてにとって限界が近づいているのだろう。


「戻ってこれるんだろう? だからまだ身体は生きているんだろう? だったら……早く戻ってこいよ」


 あの日、三年前のあの日ソルを復活させたことによって天音という存在は消えた。しかし彼女の器である肉体はそのまま残り続けている。死に片足を突っ込んだ状態で、それでもまだ眠っているかのように確かに命を持ってそこに存在している。


「……天音」


 こうやって呼ぶとふわりと笑う。陽だまりのような暖かさで包まれる感覚が鮮明に思い出される。思い出じゃなくて――もう一度、


「……」


 息を吐いてうつむく。こんなふうに天音を欲する資格を、本当は持ってなどいないのだ。

 一回彼女を見捨ててしまった。

 天音は仕方のないことだと笑ったが――それでもイツキは自分を許すことができないままにこの三年を生きてきた。なにも諦めることができないままに、手放すことができないままに、前に進むことができないままに。そんな宙ぶらりんの状態で毎日を惰性で生きている。


「――馬鹿だ」


 馬鹿は自分だった。暖かい春の光の中で、手の中のかすかなぬくもりをそっと握った。

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