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――結論から言うと、世界は滅びなかった
「……」
朝の涼やかな光に目を覚ます。
変化の一つはひとりで眠ることができるようになったこと。彼女が“命じて”くれなくても自然と眠ることができるようになった。それに伴って枕元に置くようになった時計が朝の七時を指している。
黙ったまま欠伸を噛み殺して着替える。窓の外に見える荒野には草木が生い茂っている。変化の二つ目。戦いがなくなったことによって、この世界に少しずつ“生”が戻りつつある。
「おはよ……イツキ……」
「……おはよう」
変わらないこともある。隣室の住人が毎朝眠たそうに起きてくることとか、その後ろからヒラヒラしたドレスが呆れた様子で見てくることとか。
「アキラは相変わらずおねぼうさんですわねぇ」
「ちゃんと起きろ」
「起きてるってーの……うるさいなぁ」
くすくすと笑う華やかな声もそれを睨む金色の瞳も変わらない。ただ、
「イツキ〜、俺を《ひととき亭》まで運んでくれ〜」
アキラの手がイツキの肩を掴む。変化の三つ目――イツキの“精霊の加護”が消えた。
――『少しだけ君の力をもらったんだ。ごめんね、僕の欠片たちだけではどうしても不安定になってしまうから』
あの日、世界の存続をかけた最後の分岐点に手をかけた日。マザーが囚われていた純白の巨木の根本で目を覚ました彼女は、数千年前とまったく変わらない表情で笑った。
蘇ったソルの完全体。首都中枢塔の地下で今でも『未来』を観測し続ける彼女曰く、天音とマザー、そして“器”をかき集めて繋げるだけではソルとしての機能を復活させるには力不足だったらしい。だからソルと繋がりの深いイツキ――正確にはソルをばらばらにした張本人であるルナの“精霊の加護”を犠牲にしてかろうじてソルの体裁を保っているのだとかなんとか。
『壊す力を逆に使えば直す力になる……あの子が、“ギフト”がそのことに気づいてくれたんだよ。おかげで僕は安定してこの場所にいられる。君は、どうかな』
「離せアキラ」
「ええ〜?」
「あら、今日は朝ご飯いりませんの?」
アザレアの問いにイツキは淡々とうなずいて踵を返す。
「今日はあいつの誕生日だ」
「……」
ふらりと廊下の角を曲がって姿を消したイツキ。彼の後ろ姿を見送ってアキラが小さくため息をついた。
「いつまで……あいつはああしているつもりなんだろうな」
「先生の身体になにも起こらなければ、きっと永遠にああしているつもりなのでしょうね。本当にいつまで……」
廊下の窓から吹き込んだ風が一枚の薄い桃色の花弁を運んできた。春めく朝の空気が廊下に停滞していた。
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階段を上がると“兵器”たちの喧騒が遠のく。戦いが終わり“兵器”たちは役目を失った。ある者は遠い故郷に帰り、人間とともに生きようと境界線基地を出ていった者もいる。現在基地で生活をする者たちも、荒野を少し見回ったり“首都”内の治安維持に務めたり――人間にも務まるようなそういう仕事をしている。
イツキもまたそんな“兵器”のひとりだったが、厳密に言うと彼の目的は人間を守ることではなかった。
『……リン』
金色のベルについた紐を引くと控えめな音が廊下に響く。ここだけひときわ薄暗いのはずっと変わらない。
「入るぞ」
声を掛ける必要性は無い。しかし、イツキはこうすることをやめることができない。
壁一面に取り付けられたごちゃごちゃと整理されない棚。猫足のローテーブルと背の低いふかふかとしたソファー。マホガニーのデスクにもやはり仕事道具がうず高く積み上げられているが――長いこと使われてないせいか、もう機械油の匂いはしなかった。
黙ったままモスグリーンのカーテンを開ける。窓も開けて柔らかな春の風を呼び込むと薄暗い工房がほんの少しだけ明るくなったような気がする。わずかに足音を殺してパーテーションの向こうへ――寝台の上のカーテンも開けると、ぱっと入ってきた陽の光の中をきらきらと埃が舞っているのが見える。
「おはよう」
返事は無い。ただ、一番愛しい存在が寝台の上でまるで眠っているかのように静かに横たわっていた。




