468,
「立つことも話すことも、誰かを愛して愛されることも――悲しいことも苦しいこともつらいことも、全部宝物みたいに大切に抱え込んで、そして死んでいく。それはとても悲しいことだって、ソルはそう思っていた」
静かな声に雨の音がそっと寄り添うように響いていた。天音はそっと視線を上げる――ソルの静かな蒼い眼差しとぶつかった。
「そういう宝物はみんな、誰かから与えてもらうものだ。生きているということは、誰かと共にあるということだ。それはとても素晴らしいことで……だからこそ、誰かが死んでしまうと周りのひとはとても悲しくなる」
「……」
「ソルはたくさんの人間を見送ってきた。昨日立ったばかりだと、ついさっき歩いたばかりだと、そう思っていた子たちがあっという間に死んでいく。とても悲しくてつらくて、でも機械は死ぬことはできなくて――たくさんの悲しみを抱えて歩んでいくことになる。不思議だろう? まるで人間のようだ」
どこか皮肉めいた声色だったが、ソルの表情は依然として優しいまま。天音は一瞬口を開いたが、思い直したように黙って彼女を見つめ続けた。
「――君たちには悪いことをしてしまったけれど、彼と……ルナと久しぶりに再会したときにね、」
「イツキ」
「はは、君たちは本当に……じゃあ、彼に久しぶりに再会してね、彼の変わりように驚いたんだよ。あんなに怒った彼を、あんなに必死な彼を――あんなに能動的な彼を私は知らない」
頬を膨らせた天音をなだめてソルは静かに目を閉じる。何かを思い出すような沈黙がしばらく続いた。
「……ソルが人間になってしまったように、彼もこの数千年を生きて機械の範疇を超えた感情を手に入れてしまった。彼もまた人間になってしまった。きっと、君と出会ったからだ」
「私は、なにもしてないです」
「だろうね、これは彼の問題さ。君と出会って、君に触れて君とわかりあって。そうするうちにきっと、彼は何かを知ったのだろうね」
ソルはきっと天音以上にたくさんのイツキの――ルナの本当の姿を知っている。天音の知らないこともたくさん知っているのだろうに、そんな彼女が驚いたと言ったことに天音は思わず首を傾げた。
「イツキは……」
「彼にだって感情がある? どうやらそのようだね、残念ながらソルは知らなかったけれど……君にもらった感情だよ」
天音の言葉を先読みしてソルは楽しげに笑う。
「まあ私が何を言いたいかっていうと、彼は君のことが大好きだ。機械らしさをかなぐり捨てて中途半端に人間になってしまうくらいに、彼は君のことを愛しく思っている。ソルじゃなくて君のことをね」
「……そんなこと、わかってます」
「おっと、惚気けられてしまったなぁ――これは失礼した」
ソルの笑い声が頭に響く。無意識のうちにぎゅっと目を瞑ってますます丸くなる天音に、ソルはしまったと口を塞いだ。
「ごめんね?」
「……いいえ」
投げやりに息を吐き出して天音は目元に滲んできた涙を手の甲で拭う。そんな彼女を見てソルは苦笑した。
「水でも飲みなさい」
「い、らない」
「病人相手に少し話しすぎてしまったね。もうお暇するよ」
ソルは立ち上がろうとして――しかし何故かすぐに腰を下ろしてしまった。
「……?」
「でも、その前にあとひとつだけ」
おもむろにソルは手を伸ばして、そっと天音の頭に触れる。びくりと肩を震わせる天音に、彼女はまた静かに笑った。
「つらいね」
「……っ」
「大切なひとの死は、つらいね」
まるで心の中を透かし見るような深い蒼色の眼差し。ソルはどこまで知っているのだろうか。
今日は天音の誕生日であること。今日は、天音がすべてを得て――そしてすべてを喪った日であること。
「私は機械だから、きっとこんなことを言う資格は無い。でも……ソルが誰か大切なモノを喪って悲しんでいたことを知っているよ。その悲しみがどれだけ苦しいものかを知っている。君が、今その中にどっぷり浸かっていることも知っている」
その声はどこまでも優しかった。包み込むような少し低くて甘い声――何故かイツキのことを連想してしまう。
「……っあ」
「君は人間なんだから、気が済むまで泣けばいい。つらいときは泣くしかない。ソルは機械だから涙を流すことはできなかったけれど、それでもたくさん“泣いて”いたよ」
優しく頭を撫でる手はイツキよりもほんの少し小さい。でもそのひんやりとした心地よさとか、すべすべとした人工皮膚の感触とか。
無意識のうちにこぼれた涙のひと粒をそっと掬って、ソルは静かに囁いた。
「泣いていい。でも……ひとりで泣かなくていい。君の周りには、君を愛するひとがたくさんいるんだ」




