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「こんにちは……いい天気だね」
「!?」
――戦線歴2121年3月4日
パーテーションの端からひょっこりと顔をのぞかせた彼女の言葉とは裏腹に、窓の外ではどんよりとした鈍色の雲から大粒の雨が滴り落ちている。
「雨はいいね。人目につかなくてまことにいい」
「……なんで、ここに?」
「今日は君の誕生日だと聞いたんだよ。まあ……どうやらお邪魔だったようだけれどね」
工房は薄暗くじめっとした空気に包まれている。ガンガンと鳴り響くようなきつい頭痛に寝台から起き上がれないでいた天音は、枕元に現れた白銀の髪の持ち主に目をむいた。
「なんということだ。せっかくのお誕生日なのに、ずいぶんと具合が悪そうだな」
「どこから……」
「おっと、祝いの言葉よりも私のことが気になるかい? 窓の鍵を閉め忘れるのは非常に良くないと思うが……この状況じゃ仕方のないことなのだろうね」
そう言えば、ルクスを外に出したときに鍵をかけた記憶がない。むうっと顔をしかめる天音を見て彼女は静かに笑った。
「熱があるのかな? それにしては顔が青白いが」
侵入者の手のひらが無遠慮に天音の額に押し当てられる。ひんやりと冷たいその手はどこかイツキに似ていて、天音は触れられることを拒絶できないままにぼんやりと彼女を眺めていることしかできない。
「頭痛……雨のせいで気圧が下がって片頭痛……いいや、違うね」
「……」
天音はそっと息を吐き出すとぶつくさと呟く彼女を――ソルを睨む。ごろりと寝返りを打って彼女から視線を逸らすと布団を頭まで被った。
「なにか、ご用ですか……」
「おいおい、ご用をきく態度では無いなぁ。ついさっき“眼”の君と会ってきてね、さっきも言ったけど今日が君のお誕生日だと聞いて祝いに来たんだよ」
「本当に、それだけですか……? あなたが、私に……」
「ふふっ。予想通りの反応だな、本当に他意はないんだけどね。ま、強いて言えば存外君のことは気に入っているってことだよ」
天音の胡乱な声にソルはからからと笑う。雨の音が壁を染み透るようにじわりと耳に触れる――ソルの吐息混じりの微笑みが聴こえた。
「十七歳になったんだって? おめでとう」
「……どうも」
「そんなに警戒しないでよ」
勝手に寝台の横においてあった椅子に座ってソルは長い脚を組む。普段はそこはイツキの定位置なのだが――何故か天音は咎める気が起きなかった。
「“眼”の君の言っていたとおりだったな……君の誕生日になると必ず雨が降って、君は丸一日工房に引きこもって誰も寄せ付けないんだって。でも具合が悪いのなら、誰かにそばにいてもらったほうがいいよ?」
「……今日は、こういう日なんです。あなたが来たのが……おかしい」
「なるほどね……こういう日、か」
ますます布団に潜り込んで縮こまる天音にソルはまた笑う。天音から見えないその表情は、何故かとても優しかった。
「……」
「ねえ、君は聞いているだけでいいからさ、少し話をしよう」
ちらりと後ろを振り返ると彼女は足を組んだままじっと天音を見つめている。伺うようなその表情に、天音はまた小さく息をついた。
「ご自由に、どうぞ」
「ありがとう。ああ、つらくなったらいつでも言ってね?」
ソルは柔らかい口調で話し始める。雨粒の落ちる音がふっと遠くなったような気がした。
「人間とは不思議だよね。アーティファクトと違って、一年また一年と少しずつ成長する――私はずっとこの見た目のままだけれど、きっと君は生まれた頃から見た目も中身も何もかも変わったのだろうね」
「……当たり前です」
「私――いや、ソルだな。ソルは子供が大好きだった。彼らはとても可愛らしいだろう? それに、やはり日々少しずつ変化していくんだ。毎日毎日、できることが増えていく。人間とは本当に不思議なもので、生きていく中で持っているものが少しずつ増えていく生き物なんだよね。たくさんたくさん……止まることなくどこまでも大きく成長していく。ソルはそれを見ているのが好きだった」
懐かしむような語りはどこか他人行儀だった。今、彼女が話しているのは自分自身のことではなく、大昔に存在した“ソル”というアーティファクトの話。彼女は自分がその“器”でしかないことを知っている。
「這えば立て、立てば歩けの……なんだったかな?はいはいしてたのが歩くようになって、大声で泣くばかりだったのが言葉を繰るようになる。たかだか百年にも満たない人生の中で、その変化はまるで生き物の進化の過程さながらだよ。たくさんの進化を繰り返して、たくさんの宝物を持って――そしてあっけなく死んでいく」




