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「……」
――なんだか不思議な気分
「なるほど……うん、汚い部屋だね」
「あまね、あまり口出しをしたくは無いのだけれど……片付けるべきだわぁ」
「――うるさいですね」
普段は首都中枢塔の地下でしか見ることのできないアーティファクトと、敵の親玉であるアーティファクトが自室のソファーで悠々とくつろいでいる。これ以上奇妙なことがあるだろうか。
「あまね、なにか飲み物をいただけるかしら? 妾はいらなのだけれど」
「え、君……まさか食事もできないのにお茶をしようだなんてのたまったのかい?」
「あら、あなたは飲めるのでしょう? ならいいじゃないの。妾はあなたとあまねがお茶をしている情景だけでお腹いっぱいよ」
まるで自分の部屋にいるかのようなくつろぎっぷりだ。夢を見ているのではないかと思えるほどに混沌とした状況に諦念の溜息をこぼして、天音は以前ローリエにもらった茶葉をティーポットに入れた。
「紅茶? いい匂いだね……何百年ぶりだろう」
「コーヒーのほうが良かったとか言わないでくださいね?」
「あいにくコーヒーは試したことが無いんだ。紅茶は大昔に一度だけ……まあ好き嫌いの概念は無いから何でも構わないさ」
甘く香る紅茶と暖かな機械ストーブの空気。謎にまったりとした沈黙がしばらくこの場を支配していた。
「……さて、“器”の子」
向かい合って紅茶をすする天音とソル。そんな二人をにこやかに眺めていたマザーが不意に声を発した。
「あなたの聴いた『未来』とやらを聞かせてもらってもいいかしら?」
「そうだね。あまり私にも時間がない――それじゃあまあ簡単に」
ローテーブルにティーカップを置いて、赤い舌がぺろりと唇を舐める。蒼い瞳がふっと昏く霞んだ。
「先ほども言った通り『未来』が変わったんだ。よりによって、本当に最悪な方向に」
真剣な眼差しは鋭い。ふっくりとした唇が――言葉を紡いだ。
「世界の危機……人間とアーティファクトの滅びの兆しが現れた」
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「滅び……?」
ソルの言葉はあまりにも具体性に欠けていた。天音の訝しげな顔にソルは小さく笑う。
「と言っても唐突すぎるか。そうだなぁ……理解してもらうには、まずは私の聴く『未来』というものについて少し説明しなければならない」
天音の理解できなそうな表情も、マザーのすべてを悟ったような表情もソルにとっては想定の範囲内なのだろう。スラリと長い足を組んで蒼の瞳がじっと天音を見つめた。
「未来というのは枝分かれと確率の世界だ。けっして今この瞬間には知覚することのできない、しかし確実に私たちが踏み入る時間領域……まるで巨樹の枝のように無数に枝分かれしたこの先に起こる出来事のすべてを、人は未来と呼んでいる」
広げられた白く細い手。そこから伸びる五指が未来の分岐を示しているかのようだ。
「選び取った未来のみが残って、選ばれなかった世界は消えていく。そのたびに少しずつ、その先で選ばれる選択肢の可能性が絞り込まれていくんだ。そして、私が聴くことができるのは可能性の絞られた――つまり実現する確率が高くなる『未来』」
「よく……わかりません」
「そうだね、只人には難しい。そう……例えば、今夜君が眠る世界と眠らない世界があるとする。極端な話だけどね」
ソルの右手と左手がローテーブルの上に差し出される。ひらひらとその手を動かしながらソルは言葉を続けた。
「君がこの話を聞いて疲れ果ててぐっすりと眠る世界と、君がこの話を聞いて目が冴えてしまって今夜一晩眠らない世界。君の直近の未来には大まかに言って二つの可能性がある。これが未来の枝分かれ――すなわち今後君が選び取る分岐だ。ここまではわかるね?」
「はい」
「では私が聴くことができる『未来』について話そう。確かに君には二つの起こり得る可能性がある」
差し出された手を握って開いて。ソルはいたずらっぽく微笑んだ。
「確かに未来は二つだ。しかし、厳密には未来は二つではない」
「???」
「まあわからないね。君がこの未来にたどり着く道すがら、更に多くの分岐を踏むのに気がつけたかな? 例えば君はこのあとご飯を食べて、歯を磨いて風呂に入って眠る。でも、同じ眠る未来にたどり着くにしても別の分岐が存在するんだ」




