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どうしてこうなのだろうか。
「……」
暖かい機械ストーブの空気が占める沈黙の中で、天音は静かに笑っている。閉じられた瞼の裏の鮮やかな蒼い瞳とか、さらさらと長い白銀の髪とか。笑うと幼く見えるところや説得力のある言葉や――良いことも悪いこともすべてを知って、それでも全部受け入れようとしてくれる強い意志が、
――似てる
ソルに似ている。ソルそのものと言ってもいいほどに、天音は彼女にそっくりだ。
彼女の一部だから当然の話だろうか。数千年経っても、制作者の電子化された脳みそに上書きされていても、それでもソルは天音の中で生きているのだろうか。
「……天音」
「なんですか?」
――違うな
きょとんとイツキを見上げる目はたしかにソルによく似ている。しかし、天音はソルではない。
ソルはこんなに小さくなかった。同型機だから身長もそんなに変わらなくて、機械だから身体は冷たくて硬くて。でも天音は違う。
「イツキ……?」
抱きしめれば柔くて、温かくて腕の中にすっぽりと収まる。かすかに鼻を掠める甘い香り。呼吸と心臓の鼓動がはっきりと感じられる生きた身体を抱きしめて、腹の底からせり上がってくるぬるくて熱い“感情”は――ソルに対して湧いたことなんて一度もない。
「天音」
「……はあい」
ふわふわと真綿のような声が耳朶を叩く。ただ名前を呼ぶだけの行為が狂おしいほどに甘い。ぞくぞくと背を駆け上がるこれは――得体のしれないはずなのに、嫌じゃない喜びだった。
「……」
「ふふ」
喉の奥に何かが詰まっているように声が出ない。天音はそんなことはまるで気にしていないようで、くぐもった笑い声を立てながらイツキの背中に両腕を回す。
「……天音、」
「はい」
「好きだ」
ソルじゃなくて天音。ルナじゃなくてイツキ。
人間で、小娘で貧弱で怖がりで――その癖してどこまでも強くて真っ直ぐな天音が好きだなんて、人間が好きだなんて、おかしいだろうか。
「……私も、好きですよ」
ほんの僅かに震えた声と、顔が伏せられてもなお髪の隙間から覗く真っ赤に染まった耳。
「イツキのこと、私だって好きですよ」
小さく消え入りそうな声は天音の本心だ。こういう大事なことを言う時に限って彼女の声は小さく細くなる。それが愛しいだなんて、まったく馬鹿げて滑稽な話なのに。
「本当に?」
「……」
「天音も、俺のことが好きか?」
「――好きじゃなかったら、こんなこと許しませんから」
赤くなった耳元で囁くと、少しムッと唇を尖らせながら天音はイツキを見上げる。
「私のこと、抱きしめたり触ったりしていいのは……イツキだけです」
――ああ、こいつはきっと知らないんだろうな
今の一言がどれだけイツキを喜ばせているかなんて。今までの行動がイツキの生き様をどれだけ変えてしまったかなんて。きっと天音は知らないし知る必要もない。
「……そうか」
まるで人間のようだ。まるで感情のようだ。誰かを好きになることは醜くて、誰かを愛することは苦しい。
――『お前だけは、絶対に守るから』
あの日の約束を果たすことができないままに、また守りたいものができてしまった。中途半端で不毛なこの気持ちを、あの日笑って手を握ってくれた彼女は許してくれるだろうか。
――『あのねえ、ルナ』
きっと、かつてこの世の何よりも愛したモノは、この世の誰よりも愛してくれたモノは花が咲くように笑うだろう。
――『許す許さないじゃないよ。僕は君が正しいと思ったことを、絶対に否定しないんだから』
「イツキ、」
今だってここで、最愛で最善の存在は笑っている。
「大好きです、イツキ」
機械の範疇を超えた人間の感情。数千年の記憶では何一つとして手に入れることができなかったあまりにも大きな贈り物をくれたのは、たった一人の人間だった。




