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「驚いている場合じゃない……早く出発しろ。これ以上敵に囲まれたら、いくら装甲車でも動けなくなるぞ」
驚愕に満ちた空気に、その元凶であるイツキは装甲車の小さな窓を横目にいたって冷静に告げる。――気づけば今起きた一連の出来事の隙に、外にはたくさんのアーティファクトたちがすぐそこまで迫っていた。
「ヤバっ!?」
「大変……早く出してくださいな!」
アザレアの叫び声が運転士に聞こえたのか、装甲車はすぐに慌てたように急発進する。足元の雪を巻き上げて、最高速で南へ――追いかけてくるアーティファクトはいるが、やはり車のスピードには勝てない。
――やっぱり、相手はこっちが装甲車で逃げることを想定していない……よかった
一般的に物資輸送用に使われる装甲車は、エンジンを起動して実際に発進できる状態になるまでに最低でも十分ほどの時間がかかる。第一次機械戦争以前に用いられていたという軽装な車とは違って馬力はあるが車速が遅く、増して雪に足を取られるこの環境で、相手がこちらを追いかけるために装甲車を準備しなければならない十分の差があれば――“首都”までの道のりで敵に追いつかれることは無いはずだ。
「……イツキ、」
ひとまずほっと息を吐きだして、天音は今目の前にまさに転がっている問題から片付けることにした。ポーチから不思議な形のアーミーナイフを取り出すと、名前を呼ばれたイツキはじっと天音を見上げる。
「傷を診せてください――あまり大したことはできないと思いますが」
「あ、先生……なら貨物室の中に入ったほうが良いっすよ。ここ結構揺れるんで」
天音たちがいるのは、甲板のハッチに続くタラップを下りてすぐの狭い空間。タイヤの真上で車両の接続部分が剥き出しになっているこの場所は、酷く揺れて修繕をしようにも手元が狂う。
アキラの言葉に天音が立ち上がると、カリストがイツキの身体を持ち上げてうなずいた。
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「……っ、」
「すみません、痛みますよね……痛覚遮断してください」
右腕の欠損、腹部にはしっかりと貫通した損傷。天音の工房に保管されているため腕は直せないが、その他の怪我は部品が足りているところを少しでも直そうと、天音はそっと彼の傷に触れる。痛みに表情を歪めるイツキに天音は眉を寄せるが、彼はただ首を横に振った。
「でき……ない、」
「え――もしかして、制御装置が破損しているんですか?」
黒く濁った機械油に塗れた身体はボロボロで、どの部品が欠落しているのかは彼の身体の構造についてすべて把握しているはずの天音が見てもぱっと見では判別できない。わかるとしたら本人のみだが――イツキは苦しげな息を吐きだして小さくうなずく。
「たぶん……ずっと、感覚の遮断が、効かない」
「っ」
掠れた、彼にはあまりにも似合わないか弱い声に、天音は思わず口元を押さえる。人間ならとうの昔に出血多量で死んでいるであろう怪我の痛みを、イツキはなにもできないままに今まで数時間耐えてきたのだ。どれだけ苦しかっただろうなんて天音には想像することもできない。
予期していなかった事態に、天音はイツキの正面で膝をついたまま考え込む。周りで見ているアキラたちの表情も不安げで、しかし天音はそんなことを来にしている場合ではない。
――この状態じゃ、何もしないほうが良いのでは?
今傷口をいじっても、イツキからしてみればただただ痛いだけだろう。できるだけ早く処置をしたい気持ちはあるが――
「……電源、落とせないか?」
悶々と考え込んでいた天音は、小さな低い声に思わず顔を上げる。見るとイツキの紅い瞳が、じっと天音のことを見つめていた。




