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彼女は、太陽のようなひとだった。
曇り空を晴らすあの華やかな笑顔が。優しく澄み渡る蒼色の瞳が。どんな仕草も表情も、ただただ眩しくて仕方がない。
――『ルナ』
名を呼ぶ声が愛しかった。これを守らなければならないと、漠然とそれだけを考えて生きていた。世界で一番尊く、愛しい彼女を守れれば――もうそれだけで自分には生きる価値があるのだと。
今思えば、あれはただの依存だった。
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どこまでも続く薄暗い沈黙。天音はやっと嵌った最後のピースを、じっと心のなかで反芻していた。
「『戦が起こる根本的な理由は支配欲である』――とある有名な軍師殿の言葉だ。彼女は数千年の間この持論を貫いてきたらしい――最後にお披露目したのは《帝州》でだったと言っていたな。もっとも、この考え方はとある人間に教わったものであると、彼女は誇らしげに語っていたけどね」
聞き覚えのある言葉だった。あの時、寝物語だと笑った春苑の“管理者”・颯懍の微笑みを思い出す。“器”――ソルの語りは続いた。
「戦争の始まりは、一人の人間だった。彼はここ数千年でも見かけないほどの才を持った人物でね――それでいて、彼は実にねじ曲がった倫理観と性癖の持ち主だった。彼は求めたんだよ、自分が支配者になる世界を」
しんと静まり返った薄暗い廊下。遠くから聞こえていた足音も話し声も、気がつけば聞こえなくなっていた。
「彼は人間であった。彼が人間であったことは、周りのものから見れば唯一の幸運だっただろう。そういう常軌を逸した思考を現実のものにするには時間が足りなかった。人の一生とは短いものだからね――そう、足りないはずだったんだよ」
蒼い視線が交錯する。天音は――やっとすべてを見た気がした。
「彼は……たった百年にも満たない短い生涯の中で、人間を統べる“神”を生み出した。人間の才能とは本当に恐ろしいものであると、今思えば痛感するね。人の信仰心とは実に簡単で、それに見合わぬ程に強固なものだ。自分の知る理の範疇を超えた、不思議な力を持ったものを人は畏れ敬う。そういう対象になる存在を、彼は造り上げた」
ソルはひらりと手のひらを翻す。細い手指の動き、口調も表情も人間と何一つ変わらない。
「そう、彼は造り上げたんだよ。人間のような身体を、意思を持ち――しかし、人間には到底持ち得ない不思議な力を持った機械を、ね」
その微笑みは、自嘲に見えた。人々に争いを起こさせるための信仰心。造り出されたニセモノの心を、信念を集めるための神も――またニセモノだったのだ。
「……ずっと、嘘ついていたんですか?」
「……」
ニセモノ――どこまでが本当なのか、どこまでが嘘なのか。ちらりと視線を上げればイツキはただじっと黙り込んでいた。
「製造年が三百年前だったって、嘘だったんですね」
「……ああ」
「なにも知らないなんて、嘘だったんですね」
「……ああ」
掠れた低い肯定。天音は両手を胸の前で握りしめる。どうして、どうして――やるせなさが胸に沁みた。
「なんで、話してくれなかったんですか? 私は……そんなに信用ならない人間ですか」
「……」
彼から返ってきたのは沈黙だった。その表情はうつむけられているせいで見えない。――答えなんて、聞きたくなかった。
吐く息も白く凍りつくような冷たい廊下の空気。そんな中の二人の沈黙を、ソルの深い蒼の瞳がじっと見つめていた。
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彼は、月のようなひとだった。
目を細めるだけのこぼれ出るような笑顔が。鋭く、それでいて優しい紅の瞳が。どんな仕草も表情も、ただただ眩しくて仕方がない。
――『ソル』
名を呼ぶ声が愛しかった。そばにいなければならないと、危うい彼を繋ぎ止めておいてあげないといけないと――彼は世界で一番大切なモノだった。
今思えば、あれはただの呪縛だった。
 




