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機械仕掛けの英雄譚  作者: 十六夜 秋斗
Chapter13,『ギフト』
431/476

431,

 自分の靴音が駆ける――それだけがいやに響いて聞こえた。


「……見つけた、」


 よく知った生命保持物体(エンティティ)情報。どれだけ離れていようとも、絶対に見つけ出せる。


「っ、」


 小さな呻き声は右肩の痛みに起因する。そんなことを気にしている場合ではないのだが――ぐらりと傾いだ身体に慌てて近くの壁に左手をつき、荒く息を吐き出しながら立ち止まる。不快に霞む視界の明滅。痛みに呑まれた息苦しさに思考することをやめる。


 ――どうにか、


 天音の元へ。

 唯一頭の中に残ったのはこれだけだった。こんな身体では彼女のことを守れないかもしれない。それでも良いから彼女のところへ行きたかった。


「っ……ふ、」


 ずるずると重い身体を引きずって、一歩ずつ前へと歩みを進める。足元に滴った機械油(グリス)の刺すような匂いが、遠くなる意識を現実に引き戻してくれる。


 ――天音を、あいつに会わせてはいけない


 あれは怪物だ。自分の望むことのためならば他がどうなろうかまるで気にしない。自分の望む理想の《未来》のために、天音を傷つけることも殺すこともやつは厭わないだろう。――本当のあいつ(・・・)は、あんな化け物では無かった。

 それにもう一つ、


「――のことは、」


 喉の奥から零れ出た小さな言葉は、天音を『あの御方』から遠ざけたいもう一つの理由――正確に言えば、これが本当の理由だった。


 知られたくないことがある。これだけは何としても彼女に知られたくない――しかし天音が『あの御方』に会えば、間違いなく知ることになるであろう真実。

 知られたら、どうなるだろうか。すべてを知ったら彼女はどうなるのだろうか。


「……げほっ、かはっ――」


 不意に込み上げた咳に、再び胃の底からグリスが溢れ出る。口元を拭って、吐いた息は不味かった。


 ――きっと、もう二度と目も合わせてもらえなくなるだろうな……


 そこに浮かぶのは幻滅か、軽蔑か。恐怖かもしれないし嫌悪かもしれない。どれだけ贖おうが、赦しを請おうが――

 赦されない罪を犯した。


『――』


 ちょうど柱の陰に入った時、不明瞭な足音と叫び声がすぐ近くを通過していった。じっと息を殺して足を止める。


「……行かないと」


 知られたくないことがある。知られてはならないことがある。隠し通さねば――せっかく手に入れた大切なものをまた失うことになる。


「……」


 這いずるようにして前へ。鈍い足音が、それだけがいやに響いて聞こえた。



<><><>



「今のって……」


「エウロパだ。また何かあったのか」


 天音はとっさに部屋の扉に耳を押し当てる。人数ははっきりとしないが、それなりの人数の足音と緊迫した話し声が廊下を駆けていくのがわかる。ダメ元でドアノブに手をかけたが、それはぴくりとも動かなかった。


「緊急事態……」


 この部屋に入ってからどのくらい時間が経ったのかはわからないが、天音が逃げ出したことを緊急事態だと騒ぐには少々遅すぎる。また別のトラブルが――この扉の向こうで起こっている?


「……」


 ぎゅうぎゅうと扉にへばりついて聞き耳を立てる。カリストはそんな彼女の様子を、ただじっと眺めていた。


『……って、だって――が』


「よく聞こえない……っ」


 息を殺して、自分の心臓の音すら煩い。イライラしながらもじっと耳をそばだて続けていると――扉のすぐ目の前を歩いているのであろう会話が聞こえた。


『また逃げ出し……だって人質な――ろう? まずいな――《四大衛星(サテレス)》……お叱りを受け、』


 相変わらずに不明瞭だったが、その内容を聞いて天音は愕然と扉から離れる。


「人質が……逃げ出した、」


 人質とは、きっとイツキのことだろう。背筋を冷たいものが伝う――喉が強張って息がうまく吸えないまま扉を見つめる。

 途端静かになった扉の向こう側に、天音はなすすべなく立ち尽くすことしかできなかった。

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