427,
細く開いた扉の隙間を覗くが、整然と置かれた家具以外はなにも見つからない。ベッド、タンス、机と思しき影――他の部屋とまったく同じで生活感の欠片もない暗闇。天音はまたそっと部屋の中に滑り込んだ。
「……ふう、」
――このフロアの探索は終わりかな……ああ、地図がほし、
「誰だ?」
思考が途切れる。心臓が跳ねる。突然暗闇の中から聞こえた低い声――背骨に鉄骨でも挿入されたみたいに身体が固まって、身動きが取れなくなった。
「……」
「……」
よくよく見ると、目の前の家具の影だと思っていたものはわずかに動いている。無言が続く。お互いにお互いを探る沈黙――永遠に続くのではないかと勘違いしてしまうようなそれの後、先に口を開いたのは相手だった。
「何者だ……勝手に」
万事休すと天音は唇を噛む。小さな物音とともに、部屋の明かりがついてその様子がはっきりと映し出される。
「――何をしに来た」
そして――どこか無機質な家具の並びを背景にして背の高い青年が目の前で天音をじっと見下ろしていた。
「う……あ、」
天音の二倍はあるのではないかと錯覚するほどに高い背丈。屈強な体躯に精悍な顔つき――その黒髪に、どこか見覚えがあった。
「カリスト……?」
「――あんた、“太陽の御方”に似ている」
突然、彼は天音の顎を掴んで持ち上げる。逃げようにも背後には今入ってきた扉が立ちふさがって、天音はその力の強さに思わず身構えた。
が、彼は何をするでもなくしばらく天音の顔を見つめて――そのまま手を離す。離れた彼は無気力にベッドに腰を下ろした。
「でも違う……雰囲気はよく似ている」
「わ、私はその、」
どう説明したものか。ただの迷子だと言えばここから出してもらえるだろうか――なんて必死になって考え始める。
その瞬間、背中にあたっている扉が外側から叩かれる音が部屋の中に響いた。
「!?」
『カリスト? 緊急事態だ……開けるぞ』
外から聞こえたのは男の声だった。再び硬直する天音に、カリストはいきなり手を伸ばす。
「なっ……むぐっ」
「声を出すな、暴れるな」
驚いて声を上げる天音。カリストは手で彼女の口を塞いで低めた声で短くそう指示する。彼はそのまま天音を抱えて部屋の隅まで歩いていくと、大きなクローゼットに彼女を押し込んでドアを閉め――
その瞬間、部屋の扉が開いた。
『……何の用だ、エウロパ』
『閉じ込めておいたはずの“ギフト”が脱走した。捜索を手伝え――とは言わないが、気に留めておいてくれ』
クローゼットの中の小さな暗闇で天音は息を殺す。くぐもって響く声は、カリストのものともう一つまるで聞き覚えのない声だった。
『……そんなこと、俺に言ってなんの意味が』
『この部屋の扉は外側からは開けられるが、内側からは鍵がないと開けられない。もしかすると“ギフト”がここに迷い込むかもしれない』
『……』
――やってしまった
天音は頭を抱える。エウロパとやらが言ったことを、天音は今まさにやってしまったのだ。そして、今の会話から察するにカリストは完全に敵方のアーティファクト――
沈黙が耳に痛い。カリストはおそらく、いや絶対に天音をエウロパに差し出す。ここまでかと胸の前で両手を握りしめる。
『わかった』
カリストの低い声。思わずぎゅっと目を瞑る。
『なにか見つけたら報告する』
――え……?
しかし、カリストは何故かそう答えた。天音のいるクローゼットのドアは開かず、代わりに鍵を回す音と扉の開く音が外から聞こえてくる。
『助かる。くれぐれも粗雑に扱うなよ――“ギフト”は我が君に必要不可欠なものだ』
人間は脆いからな。その言葉の後すぐに扉が閉まる音が聞こえ、クローゼットの外は途端に静かになった。
「……」
恐る恐る目の前のドアをそっと押す。暗闇に慣れきってしまった目にただの照明の明かりが眩しい。
カリストはなにも言わず、ベッドに座ったまま天音をじっと見つめていた。
「あ……あの、」
「あんた、“ギフト”なのか?」
クローゼットのわずかに開いたドアの隙間から覗く。天音の言葉を遮ったカリストの問いに、天音はどう答えたものかと逡巡する。
「えっと……」
「“首都”の修繕師、なんだな?」
念押しするような圧。天音は思わずうなずいてしまった――が、カリストはやはりなにも動きを見せない。
「あの……なんで言わないでいてくれたんですか? その、さっきの人に」
「――どうでもいいから」
あまりに無気力な答えだった。顔をうつむけると彼の着ているパーカーの紐が揺れる。天音は静かにクローゼットの中から滑り出た。