408,
「……それで、話って?」
ローリエのケーキはとても美味しかった。とろんととろけるクリームは甘くて、トッピングのフルーツも――
「えっと……」
なんて過去を回想して現実から逃げている場合ではなかった。
ベース中の“兵器”たちはみんな《ひととき亭》に集まっている。誰一人として見ている者はいないのに、天音はあえて自分の工房――正確には荒野側に張り出した小さなベランダにイツキを連れてきた。
「その……うああ……」
不思議そうに首を傾げるイツキを目の前にして、ようやっと固まり始めた決意はまるでストーブの前に置かれたホイップクリームのように溶け出してしまっていた。
「……」
「……」
気まずい沈黙。話があると言ったのは自分だったのに――あまりにもきまりが悪くて下を向いた瞬間、イツキがそっと息を吐き出す音が聞こえた。
「俺の用事、先に済ませてもいいか?」
「!?」
はっと顔を上げると、イツキはじっと天音を見つめ続けている。問うようなその視線に天音は慌てて大きくうなずいた。
「どっ、どうぞ!」
「じゃあ、遠慮なく」
ふっと微笑む息の音。彼が一歩、また一歩と近づいてくる。
――え? え……え?
直ぐ目の前に黒いマント留めが迫ってくる。よくわからないままに立ち尽くしていると、そのまま何故か右腕をそっと掴まれて――
『チリン』
思わず目を瞑ってしまいそうになったその刹那、涼やかな金属の触れ合う音が耳に触れる。――腕に冷たくて硬い感触があった。
「こ、れ……」
「《精霊祭》の贈り物――お前にやる」
手首にあったのは銀製のブレスレットだった。細い鎖に留め金のついたシンプルな装飾品で――ただひとつ、飾りとして小さな紅い石がついている。
薄暗い雪明かりの中でもどこか鈍く光って見える、その色に既視感があった。
「普段世話になってるから、その礼だ。あとまあ……」
イツキの表情は、彼があまりにも近いところに立っているせいで見えない。いつもと同じ平坦な低い声。
不意に彼が少しだけ屈んだのがわかった。
「?」
「やっぱな」
手首を掴まれて、イツキに吟味されるように見つめられているのを感じる。手首を撫でる長い骨ばった指と耳元にやけに近い声。心臓がおかしな音を立てて飛び上がった。
「い、いつき、」
「よく似合っている……思ったとおりだな」
顔は見えない。手首を掴む大きな手。ただ、低くて甘い声だけが耳に触れる。背筋をそっと撫で上げられるような感覚に、天音はびくりと身体を震わせる。――頭が痺れてしまったように身体が動かなくなっていた。
「……ぅ、あ?」
喉の奥から小さな声だけがこぼれ出る。今、どんな顔をしている?
「ふっ……なんで、渡す本人よりも緊張してるんだよ」
手首から手が離れて、代わりにガシガシと強引に頭を撫でられる。はっと我に返った天音の視界に、少しだけ離れて微笑むイツキの表情が映った。
「だ……だって、びっくり、して……っ」
「気に入らないか? 似合うだろうと思って選んだんだが」
首を傾けるイツキの表情はどこか不安げに見える。天音は慌ててかぶりを振った。
「そんなことないです! 気に入らない、わけが……」
冬の寒空の下。かじかんでいるはずだった頬が、今はいやに熱い。
――そう……あなたから贈られたものが、嬉しくないはずがない
「すごく、嬉しいです。可愛いですねこれ」
「そうか……よかった」
淡泊な声に安堵が滲んでいる。手首には銀の鎖と――紅い石。
――なんか、イツキの色みたい
せっかく冷めてきた頬の熱が戻ってくる。なんて変態じみたことを考えているのか。ぎゅっと目をつむってどうでもいい思考を頭の中から追い出して、天音はまっすぐにイツキを見つめた。
「わ、私からも……」
――ええい、腹をくくれっ!
ポーチの中に手を突っ込んで、引っ張り出した小箱を勢いよくイツキの眼前につき出す。
「私からも、《精霊祭》のプレゼントです!」




