405,
――“喜ばせる”……か
鮮やかな金属光沢。無彩色に限りなく近い銀色は、艷やかな白銀の髪を連想させる。指先の冷たい感触を弄びながら静かにため息をついた。
「なんなら……喜ぶのか」
人を喜ばせようだなんて、そんなことは今まで考えたことも無かった――考える資格すら持っていなかった。そんな資格、ひょっとすると今ですら持っていないかもしれない。それでも、こうしてこんなところで今まで手を触れたことも無かったようなアクセサリーに手を伸ばしているあたり、この得体のしれない感情は何もかも変えてしまう不思議なものらしい。
何気なく視線をめぐらせる。誰かに愛を、感謝を――その他たくさんの感情を伝えるのであろう装飾品たちは、イツキにはただただ眩しく感じられた。その中の一つにまた手を伸ばす。
「ブレスレット、か」
細い鎖に小さな紅い石がついた腕飾りだった。手にとって、指先でそっと石を撫でる――ふと、昔の記憶が蘇ってきた。
――『似合うと思わない?』
誰だっただろうか。華奢な手首に簡素な腕飾りを着けて、そいつはどこか得意げに笑っていた。
――『ねえ、返事をしてよ。これさ……君の色なんだよ?』
ちらちらと視界を行き来する腕。細い銀の鎖に――小さな紅い石。いたずらっぽい笑顔を、嫌に鮮明に思い出す。
――『おーい! 聞いてるの?』
なにも言わずに見つめ返せば、そいつは頬を膨らせた。ほんの数センチだけ目線が下にあって、それにもかかわらずまるで幼い子供のような顔をする。やつは立派な大人だったはずなのに。
――『素敵だよね、アクセサリーって』
――『きっとたくさんの祈りが詰まっているんだよ。なんて綺麗なんだろう……感情ってものは』
腕を掲げて眩しげに微笑む。ああ、とても眩しい――その微笑みに何度灼かれてきただろう。
――『ねえ、君に似合うって言ってほしいんだよ』
「……イツキ? 大丈夫か」
耳に触れた声にはっと顔を上げる。アキラがイツキの顔を覗き込んでいた。
「ああ」
「ぼーっとしやがって。そのブレスレットにするのか?」
イツキの手元を一瞥してアキラは問う。指に沿って垂れる細い鎖をじっと見つめて、イツキは首を傾げた。
「天音なら……似合うと思うんだよな」
「お前、時々恥ずかしいこと平気で言うよな。まあ似合うと思うけど。なんか、紅い石ってほら……へ?」
おそらくイツキの考えていることに思い至ったのであろう。アキラはしばらく言葉を失って――ギロリと横目で睨んできた。
「……お前な」
「あ?」
「恥ずかしい……ってか、なに? まさか独占欲じゃないだろうな」
紅い瞳は、じっと凪いでブレスレットを見つめている。指にかかったそれを目の前に掲げて、ディスプレイの眩いライトに反射させながら小さく呟いた。
「別に。似合うと思うから」
「……うわ」
“君の色なんだよ”
あいつに言われた時はまるで嬉しくなかった。お前のことは忘れてやらないと、言外にそう脅されているようで。あいつの気がしれなかった。
でも今は違う。
――これを着けていたら……天音は俺のことを忘れないだろうか
この三百年、仮初の居場所で仮初の対人関係を築いて、その場限りでなあなあに生きてきた。それで事足りていたから、誰かの記憶に残りたいなんていう意味の分からない感情は起こらなかったのだ。
「……重た」
細い腕飾り一つに託すにしては、まあなんて重い感情だろうか。
片時も忘れてほしくない。離れないで欲しい。必要とされたい――俺だけしか見なければいいのに。
――ほっそりとした手首に紅い石。きょとんとした蒼い瞳と相反する色を想像して、思わず唇の端が持ち上がる。
醜い。この世界で一番嫌いだった、人間の感情によく似ている。あまりにも不快で面倒くさいと感じるはずなのに――今はこの重たい感情すら心地が良かった。
「これにする」
「……こわ、なんて邪悪な顔してんだよ。お前ってだいぶ執着するタチなんだな」
連れてくるんじゃなかった。とため息をつくアキラに、しかしイツキはどこか上機嫌に微笑んでいた。
独占欲かと問われたらそうだと答えるしかない。紅い目と揃いの石が、鈍く光った。




