40,
――っ、
ドクン。と心臓が嫌な音を立てた。目眩が、どんどん激しくなっていく。
「……素敵なブローチですね」
しかし、そんな天音にはお構いなしに、男は天音の首元を見てそう言った。その目が鈍く光る。
「――」
「前に一度、それによく似たものを見たことがあるんです。……タリスマン、なんですけど」
――まずいっ
その言葉にうなずいてしまいそうになる。できるだけ表情に出ないように堪えてはいるが、強くなる目眩と、緑色の目から目が離せないことで、天音の頭からは徐々に思考が止まっていく。
「こ、れは」
「これは?」
男の声が頭の中にぐわんと響く。促すようなその言葉に、無意識に天音は真実を話そうとしていた。
しかし。
『巫剣 天音』
その刹那、頭の中にもう一つ低い声が天音の名前を呼んで響く。イツキの声だと気づいた途端、彼女の意識は現実に引き戻された。
『そいつの目を見るな』
淡々としたその声に、天音は目眩を振り切って下を向く。
ふっと、体が楽になった。
「……」
「これは……えと、母の形見なんです」
下を向いたまま、天音はどうにか言葉を発した。そこからほんの数秒の沈黙が、天音にはとても長く感じられた。
「そう、ですか」
男の声が再び聞こえた。天音は彼の顔を見ないようにしながら顔を上げる。
「どうやら勘違いだったようです。失礼をしました」
「い、え」
変わらない調子の男の声に、天音はさとられないように肩の力を抜く。
衣擦れの音がして見ると、その男は店の中に入っていく。
「お買い物ならぜひ見てってください。――と言っても、若いお嬢さんがお気に召すものは、無いかもしれませんが」
視界に入る唇は、そう言って柔らかく弧を描く。天音はその言葉に従いかけたが、先程の異変が脳裏をよぎり、逡巡する。
『やめておけ。――これ以上この男を相手にするのは、こちらの分が悪い』
イツキの引き止めるような声に、天音は被ったフードの端を両手で握る。
「すみません。えと、遅くなると――親に怒られてしまうので、また今度にします」
天音はどうにかそう言ってぺこりと頭を下げると、再び下を向いて歩きはじめようとする。と、その後ろから男が声をかけてきた。天音は慌てて後ろを振り返る。
「しばらくはここに店を出しますので、良ければまたいらしてくださいね。お嬢さん」
「――はい」
最後に一瞬だけ見えたその男の目は、やはり仄暗い光を灯した緑色だった。
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「奇妙なお客だね」
どこか幼さの残る小さな客人の後ろ姿を眺めていた男は、後ろからかけられた声に振り返る。
黒い鉄の塊のような見た目をした装甲車から、降りてきたのは――
「ちゃんと人がいなくなってから喋るようにしてくれないかな、“アズマ”」
黒い、艶々とした毛並みを持った猫だった。その猫が口を開くと、少年のように少し高い声がその男をなじる。
「この距離で、人間に聞こえると思うかい?ボクはそうは思わないなぁ――。神経質すぎるよ、“カイト”」
その男――カイトは、緑色の細い目を更に細め、アズマと名のついた黒猫を見つめる。カイトの視線には構わず、アズマは誰もいなくなった店先を眺めた。