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積もった雪が境界線基地の敷地内一面を白く染め上げている。くるぶしほどまで積もった雪はこの一晩のもの。かすかに白い息を吐き出してイツキはぼんやりとこの景色を眺めた。
「あ……おはよう、イツキ」
後ろから聞こえた声に振り返れば、ローレンスと目が合う。コートにマフラーを身につけたその様子は人間とさほど変わりなかった。
「おはよう……」
「随分積もったな。ダルグほどじゃないけど、“首都”の雪も馬鹿にできない」
『遺物境界線』に開いた通用口の向こう側にはまっ平らな銀世界が広がっている。足跡一つ無い真っ白な風景を一瞥して、イツキは億劫そうにため息をついた。
「これだけ積もると雪かきをしないといけない……面倒だな」
「ん? ああ、その必要はないぞ」
しかし、ローレンスはどこかいたずらっぽく微笑む。首を傾げるイツキに彼はあたりを見回した。
「雪かきには雪かきの専門家がいる……ほら、ちょうど来た」
『ガガガー……』
途端、耳元に触れるけたたましい機械音。足元からほんの数メートル先、雪で覆われた地面に目を落とすと――
『コチラ、雪カキ専用機《SNOW-MAN》……タダイマ除雪作業中ノタメ、徐行シテクダサイ』
何処かで聞いたことのあるような甲高い機械音声。そいつは雪かきスコップを携えた――名前通りの雪だるまだった。
「雪かき専用機……?」
白い金属でできた球が二つ縦に積み上げられたフォルム。木の棒をイメージしたのであろう細いロボットアームに握られた大きな雪かきスコップ。首元の赤いマフラーとつぶらな瞳が愛らしい。
「先生が造った雪かき特化型の非ヒト型代行機だ。冬のこの時期には、僕たち“兵器”以上に大活躍する」
「なるほど。こいつが俺たちの代わりに雪かきをしてくれる、と」
「“兵器”の負担が増えるって、三年くらい前に先生が造ってくれてな。冬場限定だけどすごく重宝して……、」
『オイ、ワレラ。ソコ邪魔ヤネン』
ローレンスの説明は、しかし最後まで続かなかった。二人が見下ろすと《SNOW-MAN》のくりくりとした目がこちらをじっと見つめている。
『ソコナ、ワイガ通ル道ヲ塞イデンノヨ。兄チャンタチ、随分ト図体デカイネンナ。ゴッツウ邪魔ヤカラ、サッサト退イテクレヘンカ?』
「あ……ご、ごめん」
慌ててローレンスが飛び退る。イツキも半歩下がると、《SNOW-MAN》は二人がたった今立っていたところの雪を掘り始めた。
「えっと……邪魔してごめん。いつもありがとう」
気遣ったつもりなのかローレンスが微笑むと、《SNOW-MAN》はちらりと彼を見上げる。二つ並んだ黒い目はいかにも可愛らしい様子で彼を見ているが――機械音声は非常に口が悪く、言葉にはやたらと棘が多かった。
『別ニ、ワレラノタメニ雪カキシテルントチャウカラ。チョ〜ットデモソノ辺ニ雪ガ残ッテテミ? マスターガ歩イテ転ブネン。マスターノ可愛イ顔ニ、傷デモツイタラドナイスルンヨ。機械ノ兄チャンタチノコトハ、正直ドウデモイイネンデ』
『ガガガー……』
《SNOW-MAN》は宣言通り、地面の雪をひとひらも残さずにスコップで掬って邪魔にならないところに放り投げる。そそくさとそれを終わらせて、再びけたたましい音を立てながら建物の角を曲がって消えていった。
――なんで……
「なんで天音の造る機械は、みんなこんなのばっかりなんだ?」
低い声で呟いたイツキに、ローレンスは苦笑する。
「なんでだろうな……多分、彼らにも先生にも悪意はないと思うんだけど」
ルクスといい今の《SNOW-MAN》といい、天音を“マスター”と呼ぶ機械たちは皆、どこか上から目線で厭味ったらしい。そのくせして天音のことは敬愛するマスターとして扱うのだ。
「……あんなのが、冬の間はこのあたりを闊歩しているのか」
「まあ便利ではあるから、あんまり目くじらを立てないでやってくれ。そのうち慣れる」
苦々しい表情のイツキにローレンスは笑う。
よく晴れた冬の朝だった。




