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「……それは、宗教ということですか?」
「悪くないアイデアだとは思うよ。信仰心っていうのは、人間の心の中で最も強い拘束力を持つ感情だ」
人が行動を決めるのは自分の意思。ただ、その意思は本当に己のものだろうか?
一切誰かの意見が含まれていないと、どうすれば証明することができるだろうか。
「まさか、《精霊神》信仰……とか?」
「おや、小麗から話を聞いたのかい。庭園の像は見た?」
颯懍の問いに天音はうなずく。ククッと彼は笑って、しかし肯定も否定もしなかった。
「信仰の対象が《精霊神》だったかどうかはわからないね。でも、《精霊神》信仰は世界で最も古い宗教であった――とされている」
ここ千年の話ではあるけどね。と颯懍は注釈を添えて天音を見る。天音はじっと考え込んでいた。
「『古代戦争』は、宗教戦争だったのでしょうか」
「う〜ん……なんとも言えないけど、宗教が原因の戦いだったんじゃなくて、戦いのために宗教を使ったんじゃないかって僕は思っている。まあ僕の妄想だけど」
不意に人差し指を立てた颯懍はそれをひらひらと振る。さながら、それが魔法の杖であるかのように。
「何かを盲目に信じることには、その人の心をまったく違うものに変えてしまうほどの力がある。まるで魔法みたいにね。神が一言『やれ』と言ったら戦争が起こる――嘘みたいかもしれないけれど、ここは人間の世界だから」
「……」
黙り込んだ天音を、颯懍はなにをするでもなくそのまま放っておいた。広間の入口からちらちらとこちらをうかがう小さな人影があるが、それも笑って無視する。
「人間とはそういうものだよ」
天音には彼の呟きは聞こえていない。颯懍は満足げに目を細めた。
「ああ……信ずる心の、何とも美しく愛おしきこと哉。これだから“管理者”はやめられないねぇ」
かつて――いや今も、精霊の使いなのだと祀り上げられ人の心の移ろいを見守るただの機械は声を立てて笑う。
結局イツキが迎えに来るまで、天音はそこから動かずにじっと考え込んでいた。
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――結局、肝心なことはなにもわからなかったなぁ……
いよいよ雪に埋もれた荒野の只中。小さな窓からそんな風景を眺めながら天音は頭の中を整理していた。
数千年前の記憶、『古代戦争』、アーティファクトと人間の戦い――宗教と人心の掌握。どれもこれも核心をついているようで、しかしどこか逸れている。
――まだ情報が足りない?
もう少し情報を集めたいが、正直これ以上のあてが無かった。後は夢の中で見るしか無いのか――しかし、結局は最後あの悪夢を見るだけだ。ここへ来て行き詰まってしまったように思えた。
「……むぅ」
「何が気に食わないんだ? さっきから眉間の皺がすごい」
寒くないためストーブを挟んで天音の向かい側に座っていたイツキの指摘に、彼女は慌てて眉間を揉む。
「気に食わないわけではありません。ちょっと疲れちゃっただけです」
「少し寝ればどうだ? “首都”まであと五時間はかかるらしいが……寝るにはちょうどいいだろ」
イツキはなんでも無いことのようにそう言うが――天音は苦い顔をしてうつむく。イツキは首を傾げた。
「どうした?」
「その……本当にうるさくありませんでしたか、私。夜寝てる時……とか」
不思議なことに夢を見た記憶がない。エレブシナにいたときも春苑で夜を明かしたときも――なんなら今まで装甲車の中で微睡んだときですら、あの悪夢はおろか何の夢も見なかった。
「うなされた記憶は無いんですけど、結構疲れているから無意識だっただけなのかもって思って」
「――おとなしく眠っていた。心配する必要は無い」
淡々としたイツキの答えは、しかし嘘では無いようだった。頬杖をついたままの彼の目は、どこか優しい。
「こっち来るか?」
「どうしてあなたはそういう恥ずかしいことを簡単に……」
不思議そうな表情を浮かべるイツキとは対照的に、天音は顔を真っ赤にする。うつむいて身悶えする彼女を見つめて、イツキは密かに微笑んだ。
「毛布があったほうが寝やすい。そうだろ?」
「……」
無言で唇を尖らせたまま天音は立ち上がってイツキの腕の間に身体をねじ込む。
「うなされてたら起こしてくださいね」
「はいはい」
もたれかかると嗅ぎ慣れたあの戦場の匂いがする。うとうとと微睡み始めた感覚の中で、そっと頭を撫でられる感触だけがいやに鮮明に感ぜられた。




