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「……それで、結局力を貸すことになったのか」
呆れたイツキの声に天音は不服そうに唇を尖らせる。
「力を貸すと言っても、正式にユリアさんに家督を譲ることを表明したに過ぎません。私は本家の当主でもなんでも無いのに、譲るとかおこがましいにも程がありますけど……」
『遺物境界線』へと向かう馬車の中。小さな窓に切り取られた街の風景を眺めながら天音は大きくため息をついた。
あの後、結局ユリアと一時間ほど二人きりで話し合いをした。ユリアにはユリアの意見があったし、天音にも譲れないことがあった。お互いに『面倒は避けたい』という共通項を元に妥協しあった結果がこれだ。
「今後こちらには一切の干渉をしてこないことを約束してもらいましたし」
「その割に、もしものときには相談に乗るとは言っていたがな」
「私はあまり役に立ちませんから、せめてそのくらいのことはすべきかと……っていうか、外から聞いていたんですか?」
横目でイツキを睨む天音に、しかし彼は素知らぬ顔をする。
「周りを監視していただけで、聞こえたのはたまたまだ。耳が良いだけ」
「……私もユリアさんもこれで納得しているので――いいんです」
巫剣家の一員として関わるのをやめること。天音の生き方に干渉しないこと。その代わり、もしユリアがなにか困難に見舞われたときにはあくまでも第三者として相談には乗ること――
――『そこまでしていただいて良いのでしょうか?』
ユリアは天音の提案に困惑していたが、天音はただそれを了承した。
天音の両親を殺したのは絃夜であってユリアではない。割り切った考え方はあまり得意ではないが――どこか不器用なユリアは自分に似ているような気がして。いくら養子に出されたからといって、ユリアに家督の責任をすべて押し付けるのも、なんだか申し訳ない気がして。
「ユリアさんのことは、信用してもいいと思ったんです」
――『巫剣の……本家の血を引くものでありながら! 貴女はこの家を離れてのうのうと……っ』
ユリアはそれができなかったのに!
ぎゅっとスカートを握る。イツキがちらりとその手元を見た。
「あの人もきっと、隣の芝生が青く見えていたんですよ」
お互いにお互いの持っているものが羨ましかった。きっとそれだけだ。
「少し、協力してもいいかなって」
「同情したのか」
なるほどな。とイツキも窓の外を眺める。馬車はもうすぐ中枢区を出る。壁外の賑やかしい明かりと喧騒が目に浮かぶようだった。
「――いいんじゃねーの。お前がそれでよければ」
不意に聞こえたイツキの声に天音は思わず顔を向ける。窓際に肘をついて外を眺めていた彼も、ちらりとこちらを見ていた。
「仕事には影響ないんだろ」
「ええ」
「なら“兵器”としても問題ないって、たぶんローレンスなら言う」
――たしかにローレンスなら、“兵器”のみんなならきっとそう言ってくれるだろう。
先生の判断だから文句なんて言わないって、きっとそう言って笑ってくれる。
「イツキはこれでいいと思いますか?」
「……」
「私の判断は……間違っていなかったでしょうか」
イツキは無言で天音を見つめている。ゴトゴトとくぐもった車輪の音はより粗く、街の喧騒はより鮮やかになっていた。
「……ん」
「?」
しばらくそうやって無言で見つめ合っていたが、いきなりイツキが天音に向かって両手を広げてみせた。訝しげに首を傾げる天音にイツキはため息をつく。
「もう、髪グシャグシャにしてもいいな?」




