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「当主……? 待ってください、何の話ですか?」
しんと張り詰めた空気に天音の焦燥に満ちた声が響く。ユリアは首を傾げてみせた。
「貴女は先代当主・冬樹さんのご息女。貴女が巫剣本家の当主であることは疑いようがありませんが」
「私はもう、巫剣家の人間ではありません。養子に出されたときに縁を切っているはずです。巫剣家からはもう何年も離れていて――ましてや、当主だなんて」
「……それでも、貴女は巫剣の姓を名乗っている」
「そ、れは……」
口ごもる天音にユリアはふっと息を吐き出す。その表情は無感情だったが――鋭い瞳はまるで天音を睨んでいるようだった。
「確かに戸籍上、貴女がユーリ・アクタガワの養女であることは間違いありません。しかし、私とその他巫剣分家に携わる者たちは、貴女を巫剣の人間だと――本家のたった一人の生き残りであると認識しています」
「……」
「古狸共は血筋にうるさい。本家の血筋――正しい血を引く貴女の言うことなら素直に聞くでしょう」
ユリアの声は冷たかった。どこか攻撃的なその口調に、天音の肩が震える。
「もう一度言います。巫剣 絃夜の葬儀に出席し、巫剣家に戻ってください。本家当主として、家を再興するのに力を貸していただきたい」
頭が真っ白になっていた。手の震えを止めることが出来ない。
――戻れって、あの家に?
脳裏に中枢区に鎮座する豪奢な屋敷の姿が写る。ユリアが“古狸”と呼ぶ分家の人間たちの顔も。そんな古い記憶たちが呼び覚ますのは、他でもない痛みと辛さだった。
――あの悪夢の中に……戻るの?
「――お待ちください。いくら巫剣家内部の事情だとしても、その要求は“兵器”も見逃すことができません」
黙りこくってしまった天音の前に出てユリアを睨むのはローレンスだった。天音を庇うようにしながらその緑の瞳がじっとユリアを見つめる。
「巫剣先生は“首都”でたった一人の修繕師です。外部のアーティファクトたちの攻撃が激化している今の状況で、“首都”防衛の要である先生を手放すことはできません」
「あら。巫剣家に戻ったところで、貴方たちの先生がいなくなるわけではありませんよ。ここへ通えばいいだけの話ではないのですか」
「当主の仕事と並行してできるほど修繕師の仕事は簡単ではありません。二十四時間――たとえ真夜中であっても何が起こるかわからない」
ローレンスの言葉に周りの“兵器”たちもうなずく。ユリアは面倒くさそうに眉をひそめた。
「感心しませんね。昨今、首都中枢塔の役人たちですら勤務時間を明確に定め、労働時間を削減しているというのに……貴方たちは十代の少女に随分と依存しているのですね。機械のくせに」
「っ……」
ざわりと“兵器”たちが動揺の声を上げる。口を閉ざしたローレンスのその一瞬の隙をついて、ユリアは彼の横を通り過ぎて天音に近づいた。
「っ、あ」
「どうか巫剣家へお戻りください、当主。貴女にはそうする義務が、責務がある」
「責、務……」
天音の声はか細かった。ユリアは静かに口角を上げる。
「確かに、貴女はこの街の修繕師でありその職務はかけがえのないもの。しかし、それ以前に巫剣の血を引く高貴な方なのです。巫剣の家で自らの血の責務を果たし、家に貢献する。そのことがいずれ“首都”のためになり、修繕師として身を立てる以上の名誉を貴女にもたらす。勿論、巫剣の家にも」
「……」
「家を再建し『高貴なる人々』としての尊厳を取り戻す。それが貴女の、巫剣本家に生まれた尊い血の持ち主の責務。その責任から逃れようなどと……」
「責務って、なんですか」
ユリアの滔々とした語りは、しかし天音の言葉によって途切れる。うつむいた表情は誰にもにていない白銀の髪の影に隠れていた。
「当主の責務? 血の責務? そんなもの……私になんの関係があるというのですか?」
巫剣ユリア
巫剣家分家の当主にして、 巫剣 絃夜の一人娘。冷徹な人柄で知られており、本家の生き残りにである天音に対して厳しい感情を抱いているが……




