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仄暗い蝋燭の明かりが照らす石造りの廊下。首都中枢塔の地下にあるものは――なにもあのマザーの大広間だけではない。廊下の両側の壁は一部が鉄格子になっていて、その中からひそひそと囁き声が聞こえてくることもある。それだけで大体の人間はここがどういう場所であるかを察するものだ。
「……それで、父は最期になんと?」
「遺産の相続については遺言の通りに、と。遺言書はこちらで保管させていただいております」
カツカツと軍靴の音を響かせるルイスの横で、その女はため息をつく。見るからに若い女だった。烏のように黒いドレスに揃いの生地の飾り帽子。メッシュベールの向こう側の青い瞳は、無感情に凪いでいる。
「他にはなにか?」
「……巫剣の血を引く者たちは、分家当主の命令も聞かない愚か者たちだった――だのなんだの。聞くに堪えない怨嗟の言葉でした」
「当主が聞いて呆れるわ。巫剣の分家をここまで落ちぶれさせたのは、いったい誰だったと心得ておられたのかしら」
淡く口紅の乗った唇から鋭い言葉が発せられるのを、ルイスはいつもの薄笑いを浮かべて眺める。
「随分と腹に据えかねていらっしゃるようだ」
「ええ、当然。ようやっとあの耄碌も死んで、私も分家当主としての務めを始められるというものです。貴方にも、随分と迷惑をかけてしまいましたね」
「とんでもない」
へらりと笑うルイスに、彼女もほんの僅かに表情を緩める。
あの、巫剣分家の当主――先代の当主の一人娘にして、現在はかの家を束ねる女。しかし、こうして見ると年相応だと、ルイスはどうでもいいことに感心した。
「さあ、こちらへ。いくら罪人といえど、『高貴なる人々』ですからね。それなりに対応はさせていただきます。最低限の尊厳というやつですね」
「なにからなにまで……本当にありがとうございます」
頭を下げるその姿は、小柄ながらもどこか凛々しい。なんとなくあの修繕師に似ていなくもないことに――ルイスは心の奥で笑った。
――まあ、血が繋がっているから当然か
流石、どれだけ落ちぶれても血を守ってきた『高貴なる人々』というところか。ルイスはいつもの表情を変えないまま、重い鉄扉を開けた。
「一応言っておきますね。この度は、大変ご愁傷さまでございます。どうぞ故人様とのお別れを」
いくつも並んだ牢とは違い、その部屋は鉄格子すら無い積石の壁の小さな部屋だった。中央に佇む背の低い台の上には白い布。膨らんだその下にあるのは――言うまでもない。
「やっと死んだのね」
つかつかとその台に歩み寄って、女は勢いよく白い布を引き剥がす。ひんやりとした声に、ルイスは壁際で静かに目を閉じた。
「罪人は罪人らしくくたばっていれば良かったのに――最期まで煩い人だったわ」
死んだ父親にかける言葉とは思えなかった。が、台の上に横たわるその男のしでかしたことを考えれば、当然だっただろう。その男は大罪人だった。
「もう、貴方の言いなりにはならないわ――巫剣 絃夜」
凪いだ声からは感情を読むことは出来なかった。
ただ、蝋燭の光が積石の壁に揺らいだ。
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デスクの上に掛けてあった月ごとのカレンダーをめくる。指先が冷たくなっていることに天音は気づいた。
「そろそろストーブを出そうかな」
ベッドの奥、洗面所と物置に通ずるドアをちらりと見やって天音は呟く。たしか、仕舞ったときに奥の方へ押しやってしまったはずだ。引っ張り出さなければならない憂鬱に彼女は静かにため息をついた。
『リン!』
と、不意に表のベルが鳴る。
外部のアーティファクトによる猛攻は相変わらずだったが、“兵器”たちの努力により少しずつ襲撃の規模が小さくなってきていた。相手も“兵器”たちがここまで粘るとは想定していなかったのだろう。
「どうぞ」
日がな一日階下のロビーに居座っていた天音も、ようやく工房に引きこもって仕事ができるようになってきていた。“兵器”たちは全員出払ってしまっているのに、こんな時間に訪問者がいるのも珍しい。
「どなた……イツキ?」
「今、大丈夫か?」
扉を開けて入ってきたのはイツキだった。後ろ手に扉を閉めてマントのフードを脱ぐ彼に、天音は不思議そうに首を傾げる。
「珍しいですね、どうしましたか?」
ソファーの上に乱雑に散らばっていた仕事道具たちを片付けて、天音はイツキに座るように促す。彼は少しきまり悪そうに首筋に手を当てた。
「怪我をした……完全に俺のミスだ」




