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<α0211>戦線歴2010年11月5日
――『恋』、ねえ……
配給の食品を詰めた麻袋を抱えて、すみかにしているプレハブへの道を戻る。
ここは寒い。十一月に入ってすぐだと言うのに雪がはらはらと舞っていた。
「――愛しい人は戦場に」
なんとなくこぼれ落ちたワンフレーズ。もっとも、曲名は忘れてしまったが。
「貴方の元へ、鳥になって飛んで行けたら」
――恋だなんて、ワタクシには似合わないですわねぇ
ギルからの手紙から始まったあの会話以降、ヨツハはぼーっとすることが多くなった。
曲を演奏しているときもどこか上の空だし、なにをしていても手が止まってしまっていることが多い。そう、“恋する乙女”というのは実に面倒くさい生き物なのだ。
「面倒だけれど……可愛いものね」
吐き出した息が白く曇る。自分の感情に翻弄されておろおろと彷徨っている様子も、自分の恋心と戦う様子も――何故かとても愛しくなる。随分と、自分も人間っぽくなったものだ。
「機械と人間の恋というのは、実際のところどうなのかしら?」
ちょうどすれ違ったアーティファクトを眺めて呟く。無表情とぎこちない動き。アレも軍部所属だろうか。脳裏にヘラヘラと笑うギルバートの顔が浮かんだ。
――そもそも、あんな男に恋心なんてものが理解できるのかしら?
人間と機械ではだいぶ違いがある。物事の考え方も、生活も食べ物も。
――ああ、恋愛と言えばアレよね……男女の営みってやつ? アレははどうなるのかしら? 明らかに子作りはムリよねぇ
なんて下世話なことを考えながら、王城の根本のプレハブ小屋に辿り着く。ドアを開けると機械ストーブのぬくもりに包まれた。
「ただいまですわ〜」
「あ、アザレアありがと。あたしのなのに」
パタパタと駆け寄ってきたヨツハに荷物を渡してアザレアは伸びをする。やかんの湯気が窓を白く曇らせていた。
「このくらい、どーってことないですわ。むしろ、この寒い中ヨツハが風邪をひくほうがめんどくさいんですもの」
「ほんと、いきなり寒くなったよね」
曇ったガラスを指で擦って、ヨツハは外を眺める。またぼんやりと視線が漂っている。
「……ヨツハ」
「っ、なに?」
慌てて振り返る彼女に、アザレアはゆっくりとため息をつく。紫の瞳がじっとヨツハを見つめていた。
「ぼーっとしている暇があったら、ギルに手紙でも書いてみたらどうですの?」
「え?」
「ずっと思い詰めているでしょう? まあワタクシは別に、ヨツハがぼーっとしていようが上の空だろうがどうでもいいんですけれど」
「――」
ヨツハは黙り込む。ふわふわと泳ぐ視線に、アザレアはずっと疑問に思っていたことを素直に口にしてみることにした。
「なにをそんなに思い詰めているんですの? ギルが好きなら、もうそれでいいのでは無いのですの?」
「……そ、それは」
「“好き”っていう気持ちは変わらないのでしょう? ワタクシ、貴女が不思議でなりませんわ。こんなにも貴女の感情ははっきりとしているのに――そんなに悩む必要性を感じませんもの」
ずっと不思議だった。ギルバートにその気持ちを伝えるわけでもなく、アザレアに相談するでもなく、ただひとりで思い詰めている。今さら隠す必要も無いだろうに、どうしてヨツハはそうなのだろうか。
「だって……よくよく考えてみると、おかしいじゃん」
「なにがですの?」
「相手は……私が好きになった相手は、機械なんだよ?」
「……?」
アザレアはますます首を傾げる。頬に手を当てる彼女に、ヨツハはどこかイライラしたような息を吐き出した。
「ギルはすごくいい人だよ。優しくて、カッコよくて……でも、機械なの。あたしと違って人間に造られた無機物なんだよ? それに恋をするって、おかしいよ……」
「ヨツハは、そう思うんですの?」
「……うん」
うなずくヨツハの表情は昏く淀んでいた。彼女の言わんとしていることを、アザレアはほんの少しだけ理解する。
「そう」
これはヨツハの問題だった。アザレアはこんな彼女にどういう言葉をかければいいのかを知っている。でも、
――ヨツハには……まだ悩む時間が必要なのですわね
ヨツハにはまだ悩める時間がある。今ここでその気持ちとどう折り合いをつけるか、アザレアが教えてあげるのは簡単だ。でも――ヨツハの悩みに必要性を見いだせないのと同じくらい、その必要を感じなかった。
――今はまだ、いいですわ
アザレアは知らない。この何気ない決断に、後に後悔することを。
この選択が――間違いだったことを。




