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<α0211>戦線歴2010年8月4日
――『親愛なる二人へ』
――『《帝州》の暦水が陥落した。正直、戦況は思わしくない』
「どうしたんですの?」
降りしきる雨は、もう二日も前から降り続いている。
薄暗い部屋の中でじっと俯いているヨツハを見つけたアザレアは、いたって冷静な風を装って尋ねた。
「……ギルから手紙が来てた。郵便屋め、ドアの隙間にねじ込んでいったから……クシャクシャになっちゃってる」
「なにかあったんですの?」
覇気のない声。ヨツハの様子があからさまにおかしいのに、アザレアは眉をひそめた。
「――そうじゃない」
ヨツハは便箋をアザレアに差し出す。
「そうじゃない……けど、」
縒れたそれの上で律儀に並ぶ見慣れた筆致を追っていくと、ヨツハの様子にも納得がいった。
――『本来は、一旦退いて隊を立て直すべきだ。でも、上は暦水の一件で焦っているらしい。《アスピトロ公国》領土への本格的な侵攻を始めるつもりだ』
――『当分、本国には戻れなくなると思う。君たちの歌が“懐かしい”と感じる日が来るだなんて、本当に想像もしていなかったよ』
「『当分』ね、あの大馬鹿者はほんとに……いったい何年先のことを言っているのかしら」
どこか呆れたようなため息に、ヨツハは弱々しく首を横に振る。
「最後に会ってからもうすぐ二ヶ月だよ? まだ……会えないの?」
「ここまで一回の遠征が長引いていたことは無いですものね――そう」
厚い便箋の束を机の上に置いてアザレアはため息をこぼす。
「ギルは……まだ無事なのかな」
ヨツハが囁く。アザレアは勢いよく鼻を鳴らした。
「死ぬわけがないでしょう、あの男が。ああ見えて丈夫ですもの。軍部所属のアーティファクトを見くびってはいけませんわ」
「――そう、だよね」
ヨツハは微笑むがその表情はどこかぎこちない。貼り付けられたその笑みに、アザレアはやれやれと首を振った。
「まったく、これだから人間は……しゃんとなさいヨツハ」
「だって、もしギルが――」
「そんなことを貴女が言っていていいの? あの馬鹿の帰りを、一番信じて待っていなければならないのは……貴女ではないの? ヨツハ」
「え……?」
不思議そうな表情で首を傾げるヨツハにアザレアは小さく笑った。
「ワタクシが――貴女と今まで一緒に行きてきたワタクシが、貴女がギルをどんな目で見ているのかがわからないと?」
「っ!?」
「ギルがここに来るたび、そわそわしてるじゃないの。あれを見て気づかないほどに、ワタクシだって鈍くないですわ――まあ、とは言っても多分、貴女のその気持ちに気づいていないのはギル本人くらいでしょうね」
呆れて腕を組む。愕然と言葉を失うヨツハに、アザレアは苦笑するしか無かった。
「う……え? 嘘、あたし――」
「ギルのことが……好きなんでしょう?」
隠しているつもりでしたの? と鼻で笑うアザレア。ヨツハの頬がだんだんと赤く染まっていった。
「……い、つから?」
「だいぶ前から。だって、ギルを見るたびに目で追っているんですもの」
「なんで……?」
「顔、真っ赤ですわよ? それで気づかないほうが無茶ですわ」
「ギルは、ほ、ほんとに気づいていないのかな?」
「さあ? でも、あの男はアーティファクトですから。それもまだ稼働してからそんなに経っていない。ワタクシと違って、あの男の情緒はハリボテみたいなところがありますもの」
ヨツハは顔を覆って唸る。アザレアはニヤニヤと笑いながら、机の上の便箋をそっと撫でた。
「……ギルには内緒にして」
「あら。ワタクシ、そのくらいの配慮は持ち合わせていますわよ?」
「まだ……あたしにもわかんないんだよぉ。ただ、ギルを見ると胸が――ぎゅってなって……」
斜め下に黒い視線が落ちる。潤んだその瞳にアザレアは穏やかに笑った。
「好きって、こういうことなんだよね? あたしのコレは……好き、なんだよね?」
「さあ? ワタクシも機械ですもの。よくわかりませんわ〜」
飄々と言ってのけるアザレア。ヨツハは思わず彼女を睨むが――アザレアの不敵な微笑みに、ほんの少しだけ首を傾げた。
「?」
「ただ、ひとつだけわかることがありますわ。恋する乙女って、想像の何倍も面倒くさい人間なのですわね」




