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「――ああ、面白くなってきた」
口元が緩んで仕方がない。
手元に浮いている仮想画面を消す。さっきまで、はっきりと音声が聞こえていたのだが、もうすっかり静かになってしまった。
「そうか……我が親愛なる“ギフト”は、とても聡明な子なのだな」
目を瞑る。瞼の裏を銀色の自動伝書機が横切っていった。あの自信満々な、優秀な彼はもう戻ってこないようだ。
「可哀想なことをしてしまった。でも、君は役に立ったからね」
――君は、私たちにたくさんの情報をもたらしてくれた
“兵器”の軍議や日常の何気ない会話。その全てに“首都”を攻略するための情報が散りばめられていた。
そしてもちろん、我が最愛の“ギフト”についての情報も。
「まあ、流石に今回は私の詰めが甘かったようだね」
まさか自動伝書機が暴走を起こしてしまうとは。まさか“ギフト”がこうも簡単に作戦を看破してしまうとは――
「ふふ……ああ、楽しい。ますます会うのが楽しみになってきたよ、“ギフト”」
唇を指先で撫でる。潤んだ甘い香り。
すべては最善の《未来》へと向かうための前座に過ぎなくて、これはすべてを幸せな終わりに導く茶番劇だ。
「あの場所に帰る。それこそが……この『耳』で聴いた最善の《未来》」
――『帰りたい』
胃の腑を焼くような焦燥。喉の渇きに似た欲求。何千、何万と聴いてきた《未来》が、声を揃えて『帰れ』と叫んでいる。
それが、最善の《未来》に繋がるのだ、と。
「もう少しだ。あと、もう少しで……」
脳裏に焼き付いて離れない、どこまでも続く青々と美しい大地。あの場所へ、もう一度帰りたい。
もう一度会いたい。愛すべき仲間たちに、民たちに、制作者に――
「ああ……そういえば、懐かしい声も交じっていたな」
吐息混じりの微笑み。傍受した音声データは膨大な量になっていたが――その中のひとつが、まるでたった今聞こえているかのように耳元で再生される。
「懐かしい声だ。いつまでも変わらない……優しい声」
鮮明に覚えている。少なくとも、自分は。
半ば諦めていたというのに、まだ生きていてくれた。でも、あのとき聴いた《未来》の通りになってしまったのだろうか。
「もうすぐ会うことができそうだ。永らく待った甲斐があった」
星の数ほど耳に触れてきた、数えきれない量の《未来》の可能性。その中でもとびきりのたった一音を、今まさに掴もうとしている。
寒色の口紅が妖しく微笑みを浮かべた。
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――“首都”への攻撃は日に日に激化していた。
敵の数も攻撃も、全てが目に見えて増えている。ほんの数ヶ月前まで『遺物境界線』まで百メートルのところでとどめていた対アーティファクト戦の最前線も、今はボーダーぎりぎりを掠めている。
いつ瓦解するかわからない“首都”の防衛機構に、“兵器”たちだけではなく一般の市民たちもまた、疲弊してきているようだった。
「……クッソ、」
境界線基地のロビー。入り口の近くにしゃがみこんで短い仮眠をとっていたアキラは、口汚い声の主を見上げる。
「おかえり、アザレア」
「ただいまですわ。……ったく」
「今日は、えらく荒ぶっているな」
アキラの隣で大鎌の手入れをしていたイツキも横目で彼女を見上げる。アザレアはしばらくぼんやりと二人を見つめて――
「もう、駄目ですわ……」
弱々しく呟くと、二人と同じように壁に背を預けてしゃがみ込む。伏せられたその表情は、淡く垂れた金髪に隠れて見えなかった。
「お、おい? アザレア」
へなへなと崩れ落ちたアザレアに、アキラは驚いたように目を丸くする。
「なにかあったのか」
サイスから目を離さないままのイツキの問いに、彼女は伏せていた顔を上げた。
「毎日のように避難命令が出て、街の人たちも疲れ果てていますわ――そんなこと、よくわかっていますの」
ぶんぶんと頭を振ってアザレアは低い声で呟く。アキラとイツキはお互いに顔を見合わせた。
「よく……わかっているのだけれど――でもね! この“首都”を……守っているのは、いったい誰だと思っているのかしら!? わざわざワタクシたちの仕事を増やして、脳みそが無いのかしらあのゴミクズ共は……っ」




