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――今朝、目を覚ました原因もやはりあの夢だった。
壁外地区の街灯がつき始める午後。段々と沈む陽の光を背景に、天音は工具を持った手を動かしながら物思いに耽る。いったい、なにをあんなに渇望しているのだろう――。
「……天音、それは人差し指のパーツじゃないね」
「はっ!」
突然耳に触れた嗄声に、天音は勢いよく顔を上げる。――見上げた先にはセレイネの顔があった。
「なんだい天音。あたしの人差し指を短くするつもりかい?」
「す、すみません!?」
慌てて手元を見ると、セレイネの義手の右手の人差し指と小指のパーツを付け違えてしまいそうになっていた。元のように付け直す天音の横顔を眺めながら、セレイネは嘆息する。
「たしかに、義手を壊してあんたの仕事を増やしてしまったのは、他でもないあたしの落ち度だけどねぇ……。なにかあったのかい、天音」
「あぁ――ちょーっと? 寝不足で……」
視線を泳がせると、セレイネの鷹のような瞳がギラリと光る。
「まーた仕事を遅くまでしているんだね? あのねえ、天音。あたしがあれほど――」
「ち、違うんですよ! そうじゃないんですって」
天音は焦って首を横に振る。セレイネの胡乱な表情に、天音は小さくため息をついた。
「ちょっと……寝付きが悪いと言いますか」
「ほう。なにか悩みでもあるのかい? それとも、どこか体の調子がおかしい?」
「というか、なんか変な夢を見がち、みたいな?」
天音の答えにセレイネは目を細める。
「最近、なにか妙な経験でもしたのかねぇ? 夢は現実の出来事とか、今までの記憶に大きく影響されるから。あんまり寝れないようだったら、寝る前にアロマでも焚いときなさい。若い子はそういうの好きでしょう?」
「ええ、そんな適当な……」
医者であるセレイネの建設的なアドバイスを期待していた天音は、不満そうな顔をする。セレイネはからからと笑った。
「強引に寝れるように睡眠剤を出してもいいけれど、あんたが欲しいのはそういうのじゃないでしょう? それに大方、どうして変な夢を見るようになったのか見当はついてるんじゃないかい」
「……まあ、それは」
天音がうなずくとセレイネは微笑む。
「まあ、あんたが仕事中に目を開けたまま寝れるくらいには困っているのはよくわかったからね。睡眠導入用に調香したアロマくらいだったら融通してやらんこともないよ。後で持ってきたげよう」
「――寝てないです。でもまあ、ありがとうございます」
「はは、これも仕事さね」
天音が直した義手の指を動かしながら、セレイネは立ち上がる。
「ああ、普通に動くようになった――上手いもんだねぇ、あたしにはさっぱり直せなんだけど。やっぱりユーリの娘だわ」
「それが仕事なので。逆に、セレイネさんみたいに生身の人間は治せませんよ」
工具をしまって同じように立ち上がった天音に、セレイネは柔らかく目を細めた。ぽんぽんと、直ったばかりの右手で天音の頭を撫でる。
「見る度に、大きくなったのを実感するね。ユーリによく似てきた」
「……血は繋がっていませんよ?」
「雰囲気が、さ。見た目なら、あんたは母さんによく似ている」
やっぱり『高貴なる人々』だねぇ。と笑うセレイネ。天音はすいっとその表情から目をそらした。
「そう……ですか?」
「ああ。そういう表情はレイナそっくりさね」
セレイネの含み笑い。金属製の義手は硬くて冷たくて、それなのにひどく心地がいい。天音は彼女を見上げて薄く微笑んだ。
「そうだといいなって、思います」
「――まったく、あの子の娘だねぇ。人を絆すのが上手すぎるよ」
苦笑するセレイネに天音は首を傾げる。ゆったりとした空気は、近づいてくる宵闇に静かに溶ける。
――そんな穏やかな時間を、
『リン!』
どこか鋭い表のベルの音が切り裂いた。




