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「……ルクス?」
開けっぱしの窓から飛び込んできたのはルクスだった。キラキラと輝く金色の羽が天音の手の甲に止まる。
「どうしたの?」
『“ダイゲンスイサマ”カラ、マスターニ、デンゴンダヨ!』
ぐんと首を伸ばしてルクスはけたたましく叫ぶ。天音は首を傾げた。
『ポリティクス・ツリー、シツムシツ。キョウジュウニ、キテ』
「は? 雑な伝言だな……それが人を呼びつける態度なの?」
にへらと笑う赫い長髪を思い浮かべて、天音はムスッと表情を歪める。ルクスは軽やかに小首をかしげてみせた。
『“ダイゲンスイサマ”ハ、コウイッテイタヨ。イカナイノ? イクデショ?』
「……」
『マスター? ネエネエ、マスター』
「……んん、ああもう! わかったって」
グイグイと詰め寄ってくるルクスに天音はしびれを切らすと窓を閉める。バン! と勢いよく音を立てた硝子に呼応したかのように、部屋の奥から薄手のカーディガンがふわふわと飛んできた。天音はそれを羽織って部屋の明かりを消す。
『イクノ?』
「嫌なことはさっさと終わらせちゃうのがいいでしょ? あなたは留守番してて」
ルクスの真鍮の頭をひと撫でして、天音はドアを開ける。薄暗い廊下に一歩踏み出して彼女は呟いた。
「イツキは非番だって言ってたな……」
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「――それで、この暑いのに俺は連れ出されたわけだ」
「気温なんて、イツキには関係ないじゃないですか。護衛兼日傘持ちが欲しかったんです」
――中枢区の緩い坂道。朝方降った雨のせいでムシムシと嫌な暑さが漂っているが、空を見上げれば雲ひとつ無い晴天が広がっている。差し出された日傘の影から天音がふんと鼻を鳴らすと、イツキは辟易とため息をついた。
「へいへい。てか、大元帥から突然呼ばれたって……説教に付き合わされるのはごめんだぞ」
「せ、説教なはずがありません! 私、今回はほんとになにも悪いことしてませんもん」
表情を曇らせて天音は反論する。しかし、いまいち自信なさげなその顔にイツキはひっそりと肩を落とした。
「どうだか……」
「うぅ……どうせ、ほら! お仕事の話ですよ。あーあ、お給料上げてくれないかな」
夏の臨時ボーナス、とか?
嫌な予感を懸命に振り払おうと浮かれたように笑う天音。気がつくと、首都中枢塔の外門がすぐ目の前に迫っていた。
「まあ、すぐわかるか」
冷静に日傘を閉じるイツキに、天音は大きく息を吐きだして門番に近づく。
恰幅のいい門番に会釈して、門をくぐって塔のエントランスへ。昇降機を上がって最上階へ――
たどり着いた執務室の大きな木の扉の前で、天音はノックをしようと拳を上げる。しかし――肩の辺りまで手を上げたところで、彼女ははたとその動きを止めた。
「どうした?」
「――夏のボーナスの話? よく考えてみるとそんなわけ無いですよね、ありえないですよね。あの的場さんに限って……きっと、いつもみたいに無茶振りをされるんで、」
「ボーナスの話は本気だったのか。うだうだ言ってんじゃねー」
ここまで来て我に返ったのか、ぶつくさと独り言を言う天音に、イツキはため息をついて代わりに扉をノックする。
「ああっ!」
「うるさ……。さっさと腹を括った方がいい」
天音の慌てた叫び声にイツキは顔をしかめる。ちょうどその時、扉の向こうから声がした。
『どうぞお入りください』
「ううっ……」
天音は思わずイツキを睨みつけるが、彼は飄々と視線を返すばかりだった。気まずいうめき声を上げて天音は恐る恐るドアを開ける。
外とは打って変わって空調の効いた涼しい室内。“クールビズ”というやつなのか、爽やかな半袖のシャツに身を包んだ元老院たちが一斉にこちらを向く。
「女史! 来てくれたんだね〜」
彼らに交じって、長椅子に座って資料を眺めていた男が顔を上げる。天音は敢えて不機嫌な顔で彼を見た。




