201,
「天音ちゃん。へえ、いい名前だね」
「……ご用がおわったなら、かえってください」
ふいっとそっぽを向く天音。茜はその仕草をしげしげと眺めている。
「なんですか! じろじろ見ないで」
「ユーリさん、子供いたんだ。似てるか似てないかで言われたら……確かに似てるなぁ」
「……」
茜の言葉に天音は困り眉で口をつぐむ。黙り込んでしまった彼女に茜は首を傾げた。
「どうしたの……、」
「おや。茜くん」
ふせられたその表情を覗き込もうと茜は顔を傾けたが、その瞬間後ろからかけられた声に顔を上げる。
「ユーリさん。久しぶりです」
そこには、脱いだジャケットを腕にかけたユーリが立っていた。蒼い目が優しく細められる。茜は立ち上がった。
「ご苦労さま。いつもありがとうね……。天音、いい子にしていたかい?」
「……」
黙ったまま大きくうなずいて、天音は茜の脇をすり抜けるとユーリの足元にすり寄る。その様子を微笑ましく眺めるユーリ。天音を不思議そうな表情でじっと見つめる茜に、彼はクスクスと笑いながら言った。
「せっかく来てくれたんだし、お茶でもどう? 茜くん、コーヒー好きだろう」
<><><>
温かな湯気とふわりと香ばしいコーヒーの匂い。開け放しの窓から見える青空にそれらは吸い込まれていくようだ。
「……ユーリさん。いい加減部屋を片付けましょう?」
「ん? ああ、大丈夫大丈夫。ものの場所は把握しているよ」
相も変わらずごちゃごちゃとものが片付かない部屋。いまひとつ説得力のないユーリの言葉に茜は胡乱な目をする。そんな彼を、ユーリの足元に立っている天音がキッと睨んだ。
「とうさんをそんな目で見ない!」
「あはは……まあまあ天音。そんなに目くじらを立てなくっても、僕は怒っていないだろう?」
苦笑いするユーリ。彼を見上げると、天音は渋々といった表情でうなずく。
「いい子だ」
頭を撫でられて満足気に目を細める彼女を見て、茜は首を傾げた。
「というか、ユーリさんって結婚してたんですね」
「……あー。いや、そうじゃあないんだよなぁ」
足元にくっついて離れない天音を抱き上げて、ユーリは背の低いソファーに腰を下ろす。柔らかな湯気を立てるマグカップが二つ、ローテーブルに置かれた。
「はい、どうぞ」
「あ。ありがとうございます」
「……別にね、天音は僕と血が繋がった子供じゃないんだよ」
ふうふうと熱いコーヒーを吹いていた茜は、その言葉に顔を上げる。
「え?」
「君も会ったことがあると思うけど……この子は巫剣 冬樹の娘なんだ」
ユーリはかいつまんで今までのことを茜に話した。もちろん、彼には到底理解できない複雑な政治の話を避けて、だが。
「巫剣さんって、たまにここでお茶を飲んでいた人ですよね?」
「僕の友達だった人だ。――まあ、いろいろあるんだよ」
一口コーヒーを啜ってユーリは微笑む。その表情がまるで泣いているように見えて、茜は思わず顔を伏せた。
「……すー、すー」
「ん?」
沈黙が舞い降りた瞬間、ユーリは胸元から聞こえた寝息に視線を下げる。ユーリにもたれかかったまま、すっかり寝落ちてしまっている天音はまるで緊張感がない。そんな彼女を見て、ユーリは思わず笑みをこぼした。
「たとえ血が繋がっていなくても……この子は大切な僕の娘だよ」
「……」
天音の穏やかな寝顔とユーリの表情を交互に眺めて、茜はその年頃の少年らしくニッと笑う。無垢な表情は光が当たったようにどこか眩しく見えた。
「僕、本当にユーリさんの子供なんだと思いました。そっくりですね」
「そうかなぁ。この子は、お母さんによく似ているんだけど……」
訝しげな顔をするユーリ。茜は大きく首を振ってみせた。
「目とか髪とか、めっちゃ似てます。――あと、」
「あと?」
「笑った顔が似てます! 『本当に嬉しいんだ!』って顔してるから」
「……」
ユーリは目を丸くする。そんなふうに考えたことが無かった。
幼気な寝顔。寝息。ユーリは微笑んだ。
――似ている……か。
外を吹く青色の風はもうすぐ、六月の雨雲を連れてこようとしていた。