196,
「――それじゃあ、荷物はここに置いておくね。お風呂とかは全部部屋の奥にあるし、ベッドは……今一つしか無いから、しばらくは君が使っていいよ」
「……ありがとうございます」
下を向いて小さな声で天音は礼を言う。そんな様子に微笑して、ユーリはデスクに向かった。
「じゃあまあ、僕は仕事するから。外に出るんだったら、“兵器”のみんなの邪魔にならないようにね」
「外……でません」
ふるふると首を横に振って、天音はソファーに膝を抱えてうずくまる。ユーリはそれを放って彼女に背を向けて椅子に座る。
その背中をぼんやりと眺めて、天音はぎゅっと小さく丸まった。
――どれだけ経ったか。
巫剣分家の屋敷からここまでやってきて疲れが溜まっていた天音は、気がつくとソファーにもたれてうとうとと微睡んでいた。それにとっくに気づいているユーリは、何も言わずに彼女をそっと放っておいている。
いよいよ本格的に眠りに落ちそうになる天音だったが――不意に外から聞こえた足音に、はっと目を見開く。
『先生! 今、おられますの?』
聞こえたのは若い女の声だった。びくりと身構える天音。ユーリは振り返らないままその声に答える。
「いるよ。どうしたの?」
「――右足が……短針が取れましたの〜っ!」
勢いよく開くドア。そこにいたのは――ひらひらとしたドレスを纏った女だった。長い金髪はゆるく巻かれ、片足でドアに掴まって体勢を保っている。
「またなの? ……って、まさかここまでそれで歩いてきた?」
「ケンケンして来ましたの。あいにく、誰も手が空いていませんでしたのよ」
形の良い眉をきゅっと寄せる。彼女は立ち上がったユーリを見て――天音を見た。
「あら? どなたかしら」
アメシストの瞳が大きく見開かれる。その視線に天音は小さく縮こまった。
「最近引き取った子。君も知ってるでしょ? ほら、冬樹の娘だよ」
「冬樹って、巫剣 冬樹ですの? よく先生に会いに来ていた? まあ!」
驚いたように口元に手を当ててその女は声を上げる。ユーリは天音を見た。
「天音、ちゃん。この人はアザレア――境界線基地所属の“兵器”だよ」
「……へい、き」
「はじめまして、アザレアですわぁ!」
アザレアはスカートの裾をつまんで優雅に一礼する。呆然とその様子を見つめる天音。そんな彼女にアザレアは近づく。
「っ!?」
「すごい! 小さくて可愛らしいですわぁ!」
紫の瞳がキラキラと輝く。体を強張らせて微かに震える天音に気づかないまま、アザレアはしゃがみこんで天音の顔を覗き込んだ。
「人間の女の子なんて……初めて見ましたわぁ〜! ねえ、触ってもいいかしら?」
「っ!?」
ほっそりとした指が目の前に伸びてくる。
天音は――そうやって伸ばされる手の恐ろしさを知っていた。
――『次はお前だ』
『触らないでっ! いや!』
「ぇ?」
パニックを起こした天音は、気がつくと叫んでいた。その声にアザレアはピシリと固まる。
「え……うご、け、ない……?」
「アザレア!?」
動きを止めたアザレアにユーリは駆け寄る。その声に、動きに、天音はますます切羽詰まったように身体を縮こまらせた。
『こないで……や、やめてっ!』
「天音ちゃん、それ以上は駄目だ! 落ち着いて……」
ユーリは天音に触れようと手を伸ばすが――彼女はその腕をすり抜けて走り出す。
「天音ちゃん!」
ユーリの腕は僅かに届かず――天音は夢中でドアを開けると、なにかに追いかけられているかのように何処かへ走り去って行ってしまった。




