192,
「だ……れにも、言いませんよ。先輩の機嫌を損ねるような真似はしません」
「ふふ。君は偉いなぁ」
朗らかな微笑み。冬馬はほっとしながらも、その影に隠れた冷酷さにまだびくびくしていた。
「――父と母にも疑いがかけられているってことは……こちらで待つつもりですか?」
「うん。というよりかは、この屋敷に捜査を入れさせてもらう。もうすぐ職員たちが着く筈なんだが……。ああ、君とその他の関係の無い人たちには、当面の間この屋敷を離れてもらうことになるんだが――いいかな?」
「他の人たちは知らないですけど、少なくとも私はいいですよ」
冬馬は心底どうでもよさそうにそっぽを向く。
「私は、つい昨日やっと住み込みで入れてもらえる職場を見つけたので、どのみちここは出ていくつもりでした。……まあ、他の人たちだって、金だけはたんまり持っているんだから好きなところに住めばいいでしょう」
「君は……つくづく他の人のことはどうでもいいんだね」
苦笑するユーリに冬馬はフンと鼻を鳴らす。
しかし、その表情はすぐにどこか心配そうなものに変わってしまった。
「あ、でも……」
「ん?」
首を傾げるユーリに、冬馬は頬を掻く。
「冬樹さんの娘はどうしましょう。私は連れて行ってやれないし、他の人たちだってきっと、連れて行ってやろうなんて心の広い人はいないだろうし……」
「あれ。別に他人のことがどうでもいいわけでは無かったね」
ユーリは顎に手を当ててうつむく冬馬の横顔を眺めて微笑む。冬馬の真正面に回って、彼を見つめる。
次にユーリが放った言葉は、冬馬に少なからず衝撃を与えた。
「もし、君と他の分家の人たちが良ければ……あの子を僕が引き取ってもいいだろうか」
「え?」
冬馬ははっと顔を上げる。彼が見たユーリの表情は真剣そのものだった。
「もちろん、君が許してくれるなら、だ。養育費を寄越せとも言わないし、なにか僕から条件を出そうとも思っていない」
「……どうして、あの子を?」
冬馬は訝しげに呟く。
「あの子の力の正体、多分わかったんだよね。きっと、僕ならどうにかしてあげられると思って」
「それだけじゃ無いでしょう?」
冬馬の追及に、ユーリは笑って両手を上げる。
「はいはい。やっぱり誤魔化せないね、君は。……なんかさ、あまりにも僕に似ていて」
「先輩に?」
首を傾げる冬馬にユーリはうなずく。一抹の寂寥。凪いだ蒼色の瞳が細まった。
「これは全部嘘かもしれないって、人間を信じられない。知れば知るほど醜くて愚かで、そういう人間が嫌い。ふふ……自分もそうなのにね。自分もそういう人間の一人なのに、そうやって殻に閉じこもって出てこれない。――なんかさぁ、 昔の僕を見ているみたいで……あまりにも哀れなんだよ。そうやって出てこれないのが辛いのを、僕は知っているから」
微笑。しかしその裏側にある苦しさに冬馬は気づく。
――この人は……
「……先輩、飽き性じゃないですか。育てられるんですか? 子供なんて」
「え〜? そんなのひどいなぁ。――僕、愛着が湧いたものに対しては結構しつこい性格だから大丈夫」
苦笑するユーリ。冬馬はどこか物悲しさを感じた。
――この人は、空っぽなんだな
世界の全てから見棄てられて、大切にされたことがない。そのせいで何一つ大切にできない。人間を好くことができなくて、アーティファクトの修繕と誰の為になるのかもわからない元老院の職務に全てを捧げている。
それなのに、たったひとり幼い少女に愛着が湧いたというのだ。この人は。
「いいんじゃ、ないですか? あの少女は私のモノではありませんし」
「急に冷たいなぁ……。いいの? 君は」
「いいですよ」
――なんだかんだ言って、先輩は大切にしてくれる……
自分も大切にしてもらってきた。入るのが難しいだけで、一度懐に入ってしまえば、彼はなんだって大切にしてくれる。冬馬はそれを身をもって知っていた。
「少なくとも私は、先輩ならいいですよ」
冬馬の静かな声。春らしい強い風がその声をさらっていった。