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※微流血表現があります
「最期に、なにか言い残すことは?」
「――せめて、レイナと天音は……」
「それは無理な相談だ、巫剣。『高貴なる人々』の掟を忘れたか? 長の罪は一家の罪。――奥様もご息女も、見逃すわけにはいかないなぁ」
腕の中に目を落とす。小さな娘をぎゅっと抱きしめるレイナ。その体は酷く震えている。
――あんなこと言わずに、
何もかも、見棄ててしまっても良かったのだ。冬樹のことも、“首都”のことも。全部見棄てる権利が彼女にはあるのに。
――ヒーロー。か
「……罪を犯したのはお前だ、五十嵐。僕を殺した程度で、お前の政権が崩壊するまでの時間は伸びないだろう」
格好悪い捨て台詞だ。でも……
「っ――もういい、殺せっ!」
激昂した五十嵐が叫ぶ。それでいいんだ。
“首都”のためだの平和のためだの。最後まで、偽善を振り回す正義の味方でいてやる。
「冬樹……」
「ごめんな……。守ってやれなくて、ごめんな」
レイナを抱きしめて、天音の髪をそっと撫でる。愛しいもの。大切なもの。
――ああ。もっと僕が強ければ、
守ってあげることが出来たのだろうか。
「巫剣 冬樹。お前からだ」
処刑人の低い声が、いやに頭に響く。
後ろから近付いてくる死の気配。しかし、冬樹がそれを振り返ることは無かった。
「おかあさま……?」
「見ないで。――お願い」
冬樹のことを見つめたままレイナは天音をきつく抱きしめる。
後ろで槍が振り上げられる風切り音が響く刹那、レイナの柔らかな視線と絡み合う。その目が涙でいっぱいになって、それでも懸命に微笑もうとしていて。
――やっぱり、愛しいな
思わず彼女に手を伸ばしかけた、まさにその時
『――――』
湿った音。高笑い。腹を突き上げる大きな衝撃。
視界が暗転した。
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「っ……」
見たくない。目をつぶってしまいたい。それでも――
――最期まで、ちゃんと見よう
それが、大切な友人への唯一の弔いである気がしてならなかった。
「――」
ユーリの隣でヨシュアが口元を覆ったまま視線を落とす。周りを見れば、笑い声を上げ続ける五十嵐や絃夜以外、誰も彼も皆似たようなものだった。
鮮烈な血の赤色と、金臭いにおい。――歯向かえば、次にこうなるのは自分たちなのだ。
「巫剣 レイナ」
「お願い……天音だけはっ」
悲痛な叫び声。うずくまるレイナの後ろから処刑人が近づいてくる。
「おとうさま、どうしたの?」
舌足らずな高い声。ユーリは思わず、堪えきれずに視線をそらして下を向いた。
『死』の概念を知らない純真無垢な少女。最初で最期に見るのが両親の死だなんて――どれだけ惨いことだろう。
「ごめんね。天音」
「おかあさま?」
「ごめんね。生きさせてあげられなくて、ごめんね」
きょとんとした天音を、レイナは見つめて笑う。――その頬を伝う涙が、この空間と不釣り合いに美しく輝いた。
「天音。ちょっとだけ、お別れね」
鈍色の槍の穂先。レイナの灰色の目。目をしばたかせる天音の頭を、レイナはそっと撫でた。
「天音……お誕生日、おめでとう」
『ドシャッ、』
貴族たちが一様に目を背ける。湿った鈍い音。今までそこに生命があった。――その抜け殻が静かに倒れた後、そこに残ったのは顔を母親の血で染め上げられた幼い少女だけだった。
ぽかんとした表情。
「おかあ、さま……?」
天音はレイナの亡骸に近づくと、その肩を揺する。ふらふらと揺れるだけの腕の意味に天音は気づくことができないようだった。
「おかあさま? ……おとうさま?」
途方にくれた幼い声。誰も、何一つ言葉を発することができずにその少女を見つめることしかできなかった。
「……巫剣 天音」
処刑人が彼女の名前を呼ぶ。天音の目は、その男が持っている太い槍に釘付けになっていた。
「次はお前だ」
そう告げる低い声に、天音はびくりと体を強張らせて首を横に振る。
「や……やだ。やだ……やだ」
――異変が起きたのはその時だった。