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「駄目だよ、冬樹」
レイナは天音を抱いたまま一歩前に踏み出す。細い、弱々しく見える体のラインとは裏腹に、その芯の通った声には言い表し難い迫力があった。
「レイナ……」
冬樹が唖然と呟く。彼が見上げるレイナの表情は、どこか責めるような色が滲んでいた。
「貴方は、家族の命なんかのためにやってもいないような罪を認める人だったかしら? 私、そんなへなちょこと結婚した覚えは無いわ」
「!?」
冬樹は――正確に言えば周りでこの様子を見ていた全ての人間が、その言葉に目を丸くした。レイナは前に立っている絃夜を押しのけると、冬樹に近づいてつんと顎を上げて彼を見下ろす。
「貴方は元老院でしょう? 私たちにかまけている暇があったら“首都”のために最善を尽くして。――私が好きなのは、そういう貴方だから」
大きな灰色の瞳が、冬樹を射抜く。彼は惚けたように彼女を見つめた後――ふっと表情を曇らせた。
「……いいのか? 僕のせいで、君と天音は死ぬことになる。君が僕に要求していることは、つまりそういうことなんだけど」
冷静さは見せかけの苦しげな声。鋭い青色の目と、銀に近い色が絡み合う。レイナはふっと息を吐き出した。
「いいわけない。――天音にだってまだ未来があって、私だって死にたくないし貴方のことも殺したくない」
わずかに震える声。しかし、冬樹がなにか言う前にレイナは再び口を開いた。
「怖いよ。大切なものが全部なくなっちゃうなんて、怖いに決まってる。でも……貴方を正義の味方にするために、私は貴方をけしかけるの。だから、これはみんな私のせい。私が貴方にこうさせるの。貴方のせいで私たちは死ぬわけじゃないよ?」
「レイナ、」
「ずっとこのつもりだったよ? 少なくとも、私はね。貴方が言った通り、理論値では貴方は私よりも十年早く死んでしまう。でもそんなのは机上の空論なの、所詮。――私は、貴方と結婚してから、絶対に一緒に生きるんだって決めてた。誰を不幸にしてもいいから、一緒に生きて……一緒に死のうと思っていた」
子供じみてるね。馬鹿みたい
「……ああ〜、本当に、馬鹿だなぁ」
不意に後ろから聞こえた声に、レイナはのろのろと振り返る。そんな彼女に、声の主――絃夜はやれやれと首を横に振った。レイナはそんな彼をじっとりと睨めつける。
「外野は黙っていて」
「愚かな判断だ。君のせいで、ご亭主もご息女も――槍で突かれて死ぬわけだ」
絃夜が右手を上げると、太い槍を持った仮面の男たち――処刑人が彼の横に現れる。びくっと肩を震わせたレイナに、嘲笑を浴びせる。
「大した覚悟も無いくせに、随分と大見得を切るじゃないか」
「覚悟? ふっ……そんなもの、あるわけないじゃない。死にたくないって……死なせたくないって、言ってんのが……聞こえてないのかなぁ」
仮面の男のひとりが冬樹の枷を外す。冬樹は勢いよくレイナに駆け寄ると、その肩を抱き寄せた。
「レイナ……っ」
「私……知って、るんだからっ! 巫剣 冬樹はぁ――私の旦那様はっ、ただで転ぶ方じゃないから! 絶対に……わ、悪者を、許さない……っ、正義のヒーローなんだからっ!」
こぼれ落ちる嗚咽。それを一つ残らずすくい上げるように、冬樹は彼女と天音を抱きしめる。
「やだ……死にたくない。やだ。おねがい……この子だけは」
「……天音も、レイナも関係ないのにっ」
レイナの腕に抱きしめられた天音は、状況を飲み込めないのかきょとんとした表情をしている。――それにまた、愛おしさが込み上げてくる。
「準備はできたか? 巫剣」
再びこの場を我が物顔で支配する五十嵐は、くつくつと嗤う。その声が大広間にこだました。