179,
「五十嵐様の……罪?」
元老院の誰かの呟きが聞こえる。五十嵐は焦燥を滲ませた表情で、声のした方を振り返った。
「ああ……。五十嵐、お前は僕たちセナトスの預かり知らぬところで――春苑との戦争を企てているな?」
――ざわり
再び貴族たちがざわめき立つ。何も知らないヨシュアも、目を丸くした。
「戦争……!?」
「……」
ユーリはそんな中で唯一冷静でいた。
――冬樹の裁判の日取りが決まってすぐ。独房に幽閉されているはずの彼から、ユーリのもとに一通の手紙が届いた。
分厚い封筒に彼が好きな紺色のインクで記された宛名。中に入っていたのは一枚の便箋と、膨大な量の証拠資料だった。
『五十嵐様は春苑との戦争を企てている。戦争は明らかに世界永久停戦条約に反していて、今この世界であってはならないことだ。』
『幸い、まだ春苑への宣戦布告までは至っていないようだ。だから、僕は証拠を集めてこのことを公表しようと思ったんだが……しくじった。』
『今回のことで分家のジジイ共からは散々文句を言われたが――遠縁への迷惑も巫剣家当主のメンツが潰れることも、レイナと天音に迷惑がかかることよりは気にならないものだな。』
あのときは、こんなことになるなんて思ってもみなかった。ユーリはただじっと冬樹を見つめる。
「は……ははっ! そんなもの、どこに証拠が、」
「考えが至らなかったのはどっちだ? よりによって、巫剣家の分家と共謀していたとはな。分家の屋敷に通って漁ったら、あちこちから証拠が転がり出てきた。資料なら全て僕の執務室のデスクにある。――あいつらと同じ血が流れていると思うとゾッとするな」
冬樹の言葉に、五十嵐は声をつまらせる。その様子に、段々と周りの貴族たちは違和感を覚え始めたようだ。
「まさか……」
「本当に? 五十嵐様が?」
「だ、黙らないか! お前らっ」
焦りに声を震わせて、小槌をけたたましく打ち鳴らす。しかし、先程と打って変わって騒がしさは止まない。冬樹は低い声で言った。
「僕からは他に言うことはありません。ただ……本当にこの“首都”を危険に晒したのは誰なのか、よく考えて結論を出すのが――元老院の役割だろうとは思います」
貴族たちは黙る。罪を問われ、尊厳を取り上げられた人間とは思えない毅然とした態度。常に自分たちよりも前を歩き、“首都”の政治を動かしてきた男がそこにはいた。
五十嵐はわなわなと体を震わせる。
「っ……全て! すべて欺瞞だっ! わしは大元帥だぞ、そんなことあるわけないっ」
「……」
しんと静まり返ったままの大広間。疑いの視線が痛いほどに五十嵐に降りかかる。いくら五十嵐に媚びへつらって立場を得てきた者たちも、今回はどちらの論がより説得力を持っているのかを理解したらしい。ユーリは五十嵐を見下ろした。
「弁明は、冬樹が持っている“証拠”を見てからお聞きします。閉廷でよろしいですね?」
「……っ」
額に脂汗をにじませる五十嵐。ユーリがちらりと冬樹を見下ろすと――彼はほんの僅かに目を細めた。それが冬樹にとっての笑顔と相違ないことを、ユーリは一番良く知っている。
「ひとまず、セナトスは全員執務室へ。どうするかはっきりさせようじゃありませんか」
ヨシュアが貴族たちを見回して声を張り上げる。それに納得した者たちが一人、また一人と大広間を出ていった。動かない五十嵐をちらりと見て、ユーリは冬樹に近づこうと傍聴席を降りようとする。
――その時だった。
「お待ちください。皆様方」
突然、大広間の奥側の扉が開くと共に、どこか笑い声を含んだ男の声が響き渡る。
慌ててユーリたちが振り返ると――そこには人影が立っていた。